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転生のホムンクルス-最強勇者は魔法が存在する現代日本に転生しました-  作者: エア


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第47話『夕刻、響きの橋の下で』

 夕刻になると、街の色は一段階、深くなった。

 西の空はまだ明るいのに、通りの影は濃く、提灯の灯りが試しにひとつ、またひとつと点いていく。白地に赤い紐の提灯が、風もないのにゆっくり揺れ、揺れに合わせて“響きの橋”がかすかに鳴った気がした。


 アレックス・ホークは、櫓の脚に背を預けて空を見上げた。

 午前中に回収した札は百二十八枚。午後に張った三本の“響きの橋”は、街の上に目に見えない筋をつくり、鈴の音で互いを呼び合っている。

(ちゃんと繋がってる。……レンの言った通りだ)

 掌に当てた胸の鼓動と、足元の地面のほんのわずかな響きが一致する瞬間がある。器の身体は軽いのに、地面に重しを下ろしたみたいに、いまはぶれない。


 広場の向こうでは青年団が太鼓の皮を叩いて温めていた。重ねられた布を外し、木槌で縁を締め、ひと打ち、ふた打ち――。それに混じるように、どこかで練習の笛がのびる。

 通りには露店の骨組みが立ち並び、屋台主がソースの鍋を温め、鉄板に油を敷き、串を並べて下味をつけている。ソースと出汁の匂いが交じるたび、子どもたちの視線が吸い寄せられて、親に手を引かれて戻される。笑い声。足音。そして、細く浅いざわめき――。


「……音が増えた」

 すぐそばでレンが小声で告げた。制服の上着の上から白いカーディガンを羽織り、鈴を胸に抱えている。

「悪い音じゃないけど、混み始めると“偽太鼓”が紛れやすくなる」

「任せろ。混ぜ物は俺の鼻が見つける」

 アレクが指で鼻の頭をこする。

 ミユが笑って、記録帳を抱え直した。

「じゃあ私は、糸の“手触り”の変化に集中するね。切られそうになったら、鈴の隙間を縫ってすぐ知らせる」

「ユウタ、目印札は?」

「流してある。三本の糸、それぞれ七点。結び目は“引けば鳴る”。鳴ったら位置が落ちる」

 ユウタが淡々と言い、背負い袋の口を一度だけ確かめた。

 カズマは木刀を肩に担ぎ、軽く肩を回す。

「おっしゃ。人混みでぶん回さない程度に、きっちり守る。……なぁアレク、屋台、あとで行こうぜ。焼きそばとイカ焼き、今日は二人前いける」

「まずは仕事だ。終わらせてから、な」

「おっ、真面目!」

「いつも真面目だっつーの」


 十七時きっかり、ジンが広場に合流した。外套の裾は短くまとめられ、動きやすく仕立て直されている。眼鏡のレンズに夕陽が一瞬だけ反射して、すぐに消えた。

「各隊、準備完了。橋の張力、良好」

 レンが鈴をそっと揺らす。――ちりん。

 その一音に応じて、見えない糸がぴん、と細く光った(ように、六人には感じられた)。

「夜の主祭まで、約二時間。巡回は“橋の節”をなぞる。アレク、先頭。レン、ミユの後ろに一本道を作れ。カズマは人の波の楔、ユウタは視線と札で後ろを締める。……俺は別線から監視、合流は合図次第だ」


「合図って、あの例の?」

 レンが問うと、ジンはうなずいてから指をひとつ鳴らした。

 ほとんど音にならないほど小さな合図が、三本の橋に乗って、かすかな反響を返す。

「“橋”を使えば、目立たず遠くへ届く。敵も橋を嫌う。だから、橋を武器にする」


 六人は互いに視線を交わした。誰も何も言わない。言葉はもう必要なかった。

 アレクが一歩、踏み出す。足元の石が、軽く鳴った。


 *


 橋の第一節、駅前広場から神社へ至る路――。

 人の波が厚みを増す。ベビーカーを押す母親、浴衣で手を繋ぐ父娘、肩車された幼子。すれ違いざまに「おーい!」と手を振る近所の顔。

 アレクは歩幅を狭め、群衆の流れを壊さないように前を切る。ふっと鼻に刺す“紙の焼ける匂い”が右から流れてきて、さりげなく角を曲がる。

 配電箱の陰、通風孔の中に、細長い札が差し込まれていた。午後に見落とした一本だ。

「レン」

「うん」

 鈴の輪が、通風孔の奥まで届くように、ほんの少し長く――からん、からん。

 紙は自重で内側に折れ、ミユのピンセットがそれをひょい、と掬い上げた。即座に封。

「B—補欠1、回収」

「サンキュ」

 アレクは軽くウインクして、流れに復帰する。


 神社の鳥居が見えてくると、笛の練習が耳に届いた。拝殿の前では、子ども会の練習が最後の仕上げにかかっている。

 音が重なり、ほどけ、また重なる。良い音だ。胸の奥が自然に揺れる。

 ――その隙間を、細い針のような偽音が縫おうとした。

 ミユがぴくり、と反応する。

「右の屋台裏!」

 アレクは身体だけ流れに逆らって滑り込み、屋台裏の箱の中を覗いた。串の束の下、薄く折られた黒い紙が二枚、箸入れに紛れている。

「やらしいことするな」

 舌打ちして取り出すと、屋台の親父が顔を出した。

「坊主、何して――」

「ごめん、害虫駆除。店の味、守ってるだけ」

 アレクがさらりと言うと、親父は困惑しながらも肩をすくめ、大鍋へ向き直った。

「ちゃんと食ってけよ、ガキども」

「後でな!」

 アレクは紙をレンに渡し、短く合図した。からん。紙は黙った。


 鳥居をくぐると、宮司がこちらを見つけ、小さく頷いた。

「橋は鳴っている。拝殿の板も、もう鳴かない」

「おかげさまで」

 レンが頭を下げる。

 それから一同は、社殿の脇で軽く水を含んだ。喉を湿らせ、耳の奥を澄ます。

 境内の砂利の上で、アレクは足の裏の感覚を確かめた。

(落ち着きすぎるな。落ち着きすぎると、刃の音が鈍る)

 自分の内側に、薄く刺激を入れる。冷たい空気を吸って、熱を吐く。

 ジンが遠巻きに彼らを見て、一度だけ指を弾いた。――橋が返事をする。

(見えてる。届いてる)


 *


 二節目、旧図書館通りに入る。

 石畳を踏む足音が増し、建物の窓には祭りのチラシが貼られて、細い路地にも人が流れ込んでいる。

 石壁の角、ポスターに押しピン――のように見える黒い点。ミユがすれ違いざまに指先で払うと、ぽろり、と黒い粉が落ちた。粉は風に流れて消え、ユウタの袖口が微かに重くなる。

「この型、強度が上がってる」

「橋に張られてから、敵も学んでる」

 レンが息を整えながら言うと、アレクは口の端を上げる。

「学ぶなら、もっと本気を見せろよ」


 言った次の瞬間、糸がひとつ、乾いた音を立てた。

 遠く、アーケードの東端。第三節の結び目だ。

 ユウタが顔を上げ、結び目の位置が手帳に自動で落ちるのを確認する。

「切りに来てる」

「アレク、行く?」

 カズマが身体を傾ける。

 アレクは首を横に振った。

「ここを離れられねぇ。――橋は“隊”で守る。第三節はジンが寄る。俺らは第二節を死守」

 ジンの合図が遅れて橋を渡り、了解の返事が響いた。

 レンが鈴をひとつ鳴らす。第二節が強くなり、第三節の震えが収まる。

(繋がってる。……こっちを攻めてくるぞ)


 案の定、路地の陰から“仮面の男”が二人、現れた。

 今度の仮面は、午前の若者のものより厚く、目の穴はさらに細い。顔の輪郭は若いが、目の光に迷いはない。

「糸。切断」

 無機質な声。手の中には、折り紙のように折られた暗い紙束。

 アレクが一歩、前に出る。

「切りたきゃ俺を超えろ。――それだけの話だ」

 仮面の男の手が振り下ろされ、紙束が空中で刃に変わる。ひゅ、と乾いた風切り。

 アレクは踏み込みを半歩だけ遅らせ、刃の根元、紙の“折り目”を杖で打つ。ぱし、と軽い音。刃は霧のように解けて落ちた。

 カズマが横から滑り込み、二人目の仮面の背中に木刀の柄を当てる。木と骨の間の優しい力で、呼吸だけ奪う。

 ユウタが素早く後手を取り、首の後ろに貼られた札を剥がす。

 男は膝から崩れ、仮面が外れかける。

 ミユがさっと前に出て間に立ち、通行人の視線を柔らかく逸らした。

「大丈夫です、演目の練習です。危なくありません」

 嘘ではなかった。危なくしないのが彼らの仕事だから。


 気づけば、路地の角に黒い影がいくつもできていた。どれも“仮面”を貼り付けているが、先ほどの二人ほど“訓練された”気配はない。露店で渡された札を“貼る”役、雑草のように増える雑兵。

 レンは鈴を胸に抱き、深く息を吸う。

「――三拍子、先に鳴らす」

 ちりん、ちりん、ちりん。

 鈴の輪が薄く広がり、仮面の影の“折り目”をほどいていく。紙は紙へ戻り、ただの屑に変わる。

 仮面の中の目が一瞬だけ正気を取り戻し、彼らは群衆に紛れて消えた。

 ユウタが札を拾い、封に入れる。

「第二節、守れた」

「よし。次」


 *


 三節目、アーケードの東端へ。

 ここは人が最も集まる要地だ。提灯の列が奥まで続き、道の真ん中には子ども神輿が据えられている。担ぎ手の子どもたちが、はしゃぎながらも緊張して笛の合図を待っていた。

 アレクたちが近づくと、ユウタの結び札がひとりでに震え、位置を示した。

 結び目の近く、看板の影。――黒い紙。

「レン」

「うん、行く」

 レンが鈴を構え、音を糸に沿わせるように鳴らす。

 からん。

 その瞬間、別の音が割って入った。

 笛でも太鼓でもない、細くて冷たい線。

 紙の破片が空中に浮かび、鈴の響きの表面を滑ろうとする。

「くっ……指でなぞってる」

 ミユが歯を噛む。

 アレクは反射で前に出た。

 風のように――いや、風をずらして――。

 杖で“触れられた空気”を叩く。硬い手応え。やはり“指”だ。紙を操る誰かの手先が、見えない膜を破ろうとしている。

「下がれ」

 低い声。

 目の前の群衆が自然に割れ、黒い鎧がそこに立っていた。

 黒刃のヴァイス。

 昼間と同じ、銀の継ぎ目、赤い呼吸。だが、昼よりも静かだ。刃は抜かれていない。

「糸。切断。――これは、命令」

 言葉は命令形なのに、声はただの報告のように平らだった。


 アレクは笑った。

「夜の舞台じゃなかったのか?」

「舞台。もう始まっている」

 ヴァイスの瞳が、赤く光った。

 アレクの赤い瞳と、ほんの一秒だけ、同じ色を帯びて呼吸した。

 レンが一歩、踏み出しかける。鈴が鳴りそうになる。

 その腕を、ジンの合図が、橋越しに止めた。

 ――ち。

 小さな指鳴らし。橋の上を滑り、レンの耳の奥に届く。

(今は、鳴らさない)

 レンは唇を噛み、鈴を胸に戻した。

 アレクが前に立ち、杖を斜めに構える。

「切りたきゃ、夜に来い。ここは通さねぇ」

 ヴァイスは静かに首を傾げ、刃を一寸だけ抜いた。光が走る。

 けれど刃は、抜かれきらない。

 「了解。――舞台、準備中」

 短い言葉を残し、影は群衆に溶けて消えた。

 結び目の震えが止まる。鈴の糸が、再びぴん、と張る。


 ミユが大きく息を吐いた。

「……怖かった」

「怖がれるのは、立派。怖がらないより強い」

 ユウタの静かな言葉に、ミユの肩の力が少し抜けた。

「アレク君……」

「平気だ」

 アレクは笑って見せ、すぐに真顔に戻る。

「けど、来る。夜に、必ず」


 *


 巡回を重ねるうちに、空の青は薄くなり、提灯の赤が濃くなった。

 広場の太鼓は本格的な調律に入り、締めの音が乾く。神社の笛は、鳥居の外にまでのびる。アーケードの喧噪は、祭りの本番に向けて一段重さを増した。

 橋は鳴っている。三本とも。

 鈴の音は細いのに、街の耳がそちらへ向いているのがわかる。

 レンは汗ばむ掌をスカートでそっと拭き、鈴の環を握り直した。

(大丈夫。鳴らせる。繋げる)

 ミユが横でページを繰り、結び目の数を確かめる。

「すごい……本当に、音が“走って”る」

 ユウタが頷く。

「橋は、通すためにある。人も、音も。――敵も、それを知っている」


 そのとき、ジンの微かな合図が橋を渡ってきた。

 ――ち。

 同時に三方向。

 広場、神社、アーケード。

「三点同時……」

 レンの顔から血の気が引く。

 アレクが歯を食いしばった。

「三点攻め。橋を“揺らす”気だ」

 カズマが木刀を握り直す。

「分かれるか?」

「いや――動くのは敵に任せて、俺たちは“節”で受ける」

 ユウタの意見に、ジンの合図が二度、返る。

 節に立つ。鳴らし続ける。切りに来たものを、節で迎え撃つ。

 六人は三つの節に分かれ、それぞれの場で“同じ音”を鳴らすことにした。


 *


 広場の節――。

 アレクとカズマが先頭に立つ。

 仮面の男たちが三人、四人と現れ、紙を刃にして斬り込んでくる。

 アレクは“折り目”を打ち、カズマは“背の札”を砕く。二人の動きは午前よりも滑らかだ。

 橋の反響が、二人の呼吸を揃える。

「右!」

「任せろ!」

 木刀の鈍い音、紙が裂ける乾いた音、人の跳ねる足音。すべてが少しずつ鈴の音に引き寄せられていく。

 アレクはふと、視界の端で“銀色”を見た気がした。

(ヴァイス……?)

 だが銀はすぐに消えた。今は追わない。


 神社の節――。

 レンは鈴を胸に、拝殿の脇で音を鳴らす。

 ――ちりん。

 宮司が背後に立ち、結界の紐を握って支える。

 石畳に差し込む夕陽が、鈴の輪に入って、金の粉みたいに散った。

 仮面の影が木陰から飛び出すたび、レンの鈴が一拍早く鳴る。

 ミユがすぐに位置を指示、ユウタが札を切る。流れるような連携。

「レンさん、呼吸落ちてる!」

「大丈夫、まだ行ける!」

 レンは汗を拭きもせず、鈴を握り直す。声は強張っているが、音はぶれない。

(鳴らせ。――アレク君が立てるように。街が立てるように)


 アーケードの節――。

 ジンは人波の影に紛れ、鏡のような薄い板を袖から出して、音の向きを反射させていた。

 仮面の男が紙を投げ、紙は空中で刃に変わる。

 その刃の先端に、ジンの板が一瞬だけ割り込む。音の向きがずれて、刃は壁を切り、力を失う。

 板はすぐに消え、ジンの指が二度、橋を鳴らす。

 ――ち、ち。

 “節”は揺れず、橋は張る。

(夜まで持たせる。……夜に、終わらせる)


 *


 時刻は十八時を回った。

 提灯が本格的に灯り、通りの光が赤く染まる。

 広場の太鼓は囃子の合図を練習し、子ども神輿が掛け声の練習を始めた。

 橋は、鳴っている。

 鳴り続けている。

 切ろうとする手は現れては消え、現れては消える。

 ヴァイスは――姿を見せない。

 けれど、どこかで確実に“見ている”。

 その気配だけが、糸の上で薄く冷えた。


 アレクは額の汗を拭い、呼吸を整えた。

 レンの鈴は、輪の内側が温かくなっている。

 ミユの指先は紙粉で白く、ユウタの封呪袋はさらに重く、カズマの木刀の表面には薄い紙の繊維が一層、貼りついた。

 ジンの外套には、香の匂いが微かに移り、眼鏡の奥の目は、いつもより少しだけ柔らかい。

「よく保っている」

 ジンが短く言う。

 アレクは鼻で笑い、拳を握った。

「ここからが本番だろ。来いよ、ヴァイス。来いよ、商人。俺たちの“舞台”は、もう張ってある」


 誰も声に出して笑わなかった。

 けれど、六人の口元は同じ角度に上がった。

 橋の上で、同じ音が鳴った。

 そして、夜が――深くなる。

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