第42話『“祭”の幻が歩き出す』
「安全確認が取れました」
その連絡は、朝の連絡網を通じて各家庭に届いた。臨時休校が続いていた小学校に、ついに登校日が設けられる。
久しぶりに袖を通す体操服の匂い、少し重く感じるランドセルのベルト。通学路には「おはよう」の声と、久々の再会に弾む笑いが戻っていたが、空気に混じるざわつきは消えていなかった。
昇降口に入ったアレックス・ホークは、靴箱の前で立ち止まる。
(……薄い。昨日まで張られていた“膜”が、校舎の内側にも回り込んでる)
外からは見えない結界の薄皮のようなものが、床や壁を覆っている。指で弾けば破れそうで、それでいて、破ろうとすればどこまでも伸びてくる厄介な手触りの膜。
「なんかさ……妙に静かじゃね?」カズマが耳をすませる。
「鳥の声も少ない。気圧のせいか?」ユウタは空をちらりと見て眼鏡の位置を直した。
「いや、違う」アレクの赤い瞳が細く光る。「街全体が“息を潜めてる”。嵐の前の、あの感じだ」
下駄箱の戸が、誰も触れていないのに一枚だけカタンと揺れた。ミユが肩をすくめて小声で囁く。
「……今日、気を抜いちゃダメだよ」
ホームルームのチャイム。席に着くと、黒板の粉の匂いがやけに強く感じられた。教室後方の地図は新しいものに取り替えられている。先生はぎこちなく笑って「今日は様子見。みんな無理はしないで」と言って、出席を取り始めた。
その瞬間、床のどこかが――どくん、と脈打った。
地震ではない。大きな生き物の心臓が、校舎の下で眠っているかのような低い鼓動。誰かが「今、揺れた?」と言い、別の誰かは「気のせい」と笑って見せたが、笑いの表面は薄く、すぐに剥がれた。
一時間目。
最初の異変は、黒板のチョークが勝手に転がり落ちるという「小さな」奇妙さだった。続いて、後ろの地図の街路に淡い赤が滲み、筋状に広がる。
にじみはやがて人影の輪郭となり、笛や太鼓の音が、誰も奏でていないはずの教室に、うっすらと差し込んできた。
「ま、祭り……?」
近くの席の子がぽつりと呟く。
けれどミユは首を振った。瞳の奥に冷たい理解が走る。
「違う。これ、呪具の幻だよ」
地図の上の行列は徐々に濃くなり、紙の縁を越えて、足元の床へ“流れ落ちた”。赤黒い提灯の影が机の脚に絡み、太鼓の鼓面のような丸い影が子どもたちの足元で膨らんでは弾ける。
「うわっ!」
椅子が弾かれて転がり、悲鳴が上がる。教室全体の空気が一気に軽くなったかと思えば、次の瞬間には息が詰まるほど重くなる。
「位置取り!」
アレクは机の上に飛び乗り、杖を構えた。
「ミユ、光! カズマとユウタは防御、後列を守れ!」
「了解!」
ユウタの指先から走る線が床に白い結界を描く。机二つ分の幅に広がる半透明の壁が、押し寄せる影をはじいた。
「おう任せろ!」
カズマはひっくり返った椅子を片手で抱えて盾代わりにし、泣き出しそうな下級生の前に立ちはだかる。
ミユの掌が白く灯った。
「ライト・フラッシュ!」
閃光が爆ぜ、太鼓の影が布ごと焼けるように破れた。影の人形はよろめきながらも、口々に呟く。
「レン……レン……レン……」
レンの名。
狙われている対象が、はっきりと“声”になっていた。教室の空気がザラつく。名は、呪いの入口。呼べば、向こうからも呼び返される。
「名前を言わせるな!」アレクが怒鳴る。「“鍵”になる!」
ユウタは即座に理解し、結界の表面に別の式を重ねた。音を吸う薄膜。影の呟きは結界に触れた途端、湿った紙に吸い込まれる雨粒みたいに消えた。
それでも行列は止まらない。後ろの地図が、また新しい影を送り出す。紙から床へ、床から靴へ、靴から膝へ――粘つく影が、じわじわと境界を壊していく。
(長期戦は不利だ)アレクは歯を食いしばる。(ここで足止めされてる場合じゃねぇ。狙いは――)
――レン。
胸の奥が冷たくなる。同時に、ポケットの中のスマホが震え、画面にひび割れた映像が走った。ちらつく画面の向こうで、黒い仮面と赤い光球に囲まれた商店街と、そこに立つ――レン。
「……レンさんが!」ミユの声が裏返る。
「クソッ、やっぱり!」アレクは机から飛び降りた。「カズマ、ユウタ! ここは任せた! ミユ、行くぞ!」
「おう、こっちは任せとけ!」
カズマは笑って親指を立てる。額の汗を拭いながら、不安を笑いで押し流すように。
「一階の非常扉から出ろ。そのほうが人を巻き込まない」
ユウタは即座に通路の危険ポイントを最短で伝え、アレクに符を三枚投げた。
「簡易遮断式。足りないだろうけど、ないよりはいい」
「恩に着る!」
アレクは背を向けず手を上げて、それだけ言った。ミユが頷く。二人は影の行列の隙間を縫うようにして廊下へ飛び出した。
昼下がりの商店街に、妙な“賑わい”が戻っていた。
黒い仮面が露店の台にぎっしりと並び、人々は安っぽい光沢に吸い寄せられるように手に取っていく。仮面は触れた途端、ふっと軽くなって、持ち主の顔に吸い付いた。表情を消された人たちは無言のまま、同じ方向へ歩き出す。
「祭だ、祭だ」
唇は動くのに、声は仮面の裏側から出ているような遠い調子だった。
赤黒い光球が提灯のように上空に浮かび、その下で人影が列をなし、誰かを担ぎ上げるための“神輿”の形が曖昧に組み上がってゆく。
その中心で、レンは立ち尽くしていた。
「そういえば、もうすぐ市民祭だったな。アレク君も一緒に誘おうかな?」
市民祭とはレン達が住む街で毎年開かれている一大イベントだ。
アレクを誘ったら、きっと喜ぶに違いない。
レンがそんなことを思いながら呟いていると、背後から落ちる影が囁いた。
「……お前を“神輿”にする祭だよ」
振り返れば、漆黒の鎧。黒刃のヴァイス。
刃が抜かれる金属の音が、商店街のアーケードの骨組みを冷たく震わせた。
「排除対象――ミカガミ・レン。確保を優先」
レンは一歩も引かなかった。喉は渇き、膝は震える。けれど、視線は逸らさない。
(私が逃げれば、誰かが代わりに担がれる。――なら、逃げない)
創造主としての責任。恐怖は消えない。でも、恐怖より強いものを自分の中に見つけたから。
ヴァイスの刃が肩口へ滑る。
その一閃を、横から飛び込んだ杖の石突きが弾いた。
「よそ見してんじゃねぇよ、缶詰野郎!」
アレクだ。肩で息をしながら、それでも口元には猛々しい笑いがある。
「お前の相手は――いつだって、俺だ!」
ヴァイスの無機質な瞳に、微かな揺らぎが生じた。「アレックス・ホーク。再交戦」
刃と杖が打ち合い、真昼の商店街に夜みたいな火花が散った。
ミユはレンの腕を掴んで後方へ引く。指が震えているのがわかった。
「立てる?」
「うん。……大丈夫」レンは小さく笑って頷いた。結界を張るミユの掌が白く灯る。二人の周囲に透明な壁が立ち、仮面の群衆を押し返した。
だが群衆の圧は強い。仮面に覆われた人たちは、個としての意思を奪われ、ただ「祭りだ」と唱えながら押し寄せてくる。結界は悲鳴のように軋んだ。
アレクの杖は炎を纏った。調律を済ませたばかりの“こちら側”の音が、火の走り方に芯を与える。
ヴァイスの黒刃には新しい紋が刻まれていた。前回、ジンに刻まれた裂け目は札で塞がれているが、札そのものが呼吸している――呪具の“補助肺”だ。
初撃は互角。二撃目も互角。三撃目、四撃目――わずかに、アレクが押されていく。
(一撃ごとに削られる……この刃、当たるたびに“体力”だけじゃない、こっちの“調律”まで揺らしてくる!)
額の汗が目に沁みる。握りの皮が軋む音が、自分の骨の音みたいに大きく響いた。
「まだだ、俺はまだいける!」アレクは吠え、炎を立ち上げる。
火柱が黒刃を包み、視界が赤に染まる。だが次の瞬間、炎の中を黒い閃光が逆流した。ヴァイスの刃が炎を裂いて伸び、アレクの頬に薄い傷を刻む。
頬を伝う温かい血。
(痛ぇ……でも――生きてる証拠だ!)
アレクは一歩踏み込み、刃と杖の軌道をずらしながら“胸の紋”を狙う。前回、唯一揺らぎを作れた地点。
金属音。亀裂は走らない。札が間に割り込み、呪いの粘りが衝撃を吸って殺した。
ヴァイスは淡々と評価を更新する。「対策完了。――次」
黒刃が弧を描き、アレクの肩口を狙う。
その瞬間、後方から飛び込んだ影が刃の腹を打った。木刀の柄で。
「一人でカッコつけんなっての!」カズマだ。肩で息をしながら、しかし目は笑っている。「二人でやれば倍強ぇに決まってんだろ!」
「戦場は分担するものだ」ユウタが即座に陣を重ねる。「アレク、火力に専念しろ。僕が足を取る!」
足元に白い鎖が走る。ヴァイスが片足を取られた瞬間、アレクとカズマの同時打ちが胸の札を叩いた。
「ッ!」ヴァイスの身体が半歩よろけ、札の表面に細い罅が生じる。
「やれる!」アレクは叫び、炎を――さらに強く、さらに速く、さらに高く。
その頃、ミユとレンの結界の前で、仮面の群衆は波打っていた。
仮面の下の目は虚ろで、でも涙の痕がある人もいた。誰も笑っているわけじゃないのに、仮面は一様に笑っている。
レンは胸に手を当て、震える声で呟いた。「ごめんなさい……わたしの名前なんかのせいで」
「違う」ミユは首を振った。「これは、あなたのせいじゃない。誰でも狙えたはずのものを、わざと“名前”で寄せてきてるだけ。――悪いのは、向こう」
結界が軋む。ひびが一本、表面に走った。ミユはさらに魔力を込める。額から汗が伝う。
「アレク君……早く……!」
レンは決めたように息を吸い、鈴――名呼鈴を取り出した。工房でジンから手渡された、小さな古い鈴。
「ミユちゃん、少しだけ、壁を薄くして。音を通したい」
「危ないよ!」
「うん。でも、音を“呼ぶ”の。わたしの名前を、わたしの声で」
ミユは短く逡巡し、頷いた。結界の一部を薄くして、通り道を作る。
レンは鈴を胸の前で鳴らした。一度、短く。二度、少し長く。三度、深く。
からん――。
澄んだ音が、提灯のような赤い光球の群れを柔らかく揺らす。仮面の“笑い”に細かな皺が寄り、人々の足が半拍ぶんだけ遅れた。
「今だ、押し返す!」ミユが叫び、結界に力を戻す。波は一歩、後退した。
レンは震える指を握り込み、もう一度、鈴を鳴らす。
(ここにいる。呼ばれても、行かない。――わたしは、わたしの名前を、わたしのために呼ぶ)
前線。
ヴァイスの刃の呼吸がわずかに乱れていた。札の補助肺は万能ではない。炎と木刀、陣と鈴、それぞれの小さな“こちら側”の音が、全体の“あちら側”の呼吸を少しずつ削っている。
「押せる!」カズマが声を上げる。
「気を抜くな。あいつは“機械”みたいに学習する」ユウタが警告する。「同じ手は二度通じにくい。変化を混ぜろ!」
アレクは頷き、炎の軌道を一度止めた。
呼吸を整え、杖を低く構える。体の軸を半歩分、ずらす。足の親指で地面の感触を確かめ、脇を締め――
(ジンの剣を、真似る)
真正面から打ち合わず、線をずらす。押して、引いて、絡め取る。
炎は細く、しかし速く。幅ではなく“芯”で刃を撫でる。
黒刃が空を裂き、杖がその腹をかすめる。微細な金属音。
ヴァイスの肩の札が、ひとつ、剥がれ落ちた。
「……想定外」無機質な声に、初めて微かな苛立ちが混じった。
カズマは即座にそこへ叩き込む。木刀の柄で。音が鈍く響き、札が砕ける。
ユウタは陣の縁を伸ばし、ヴァイスの足首を再び取った。ほんの半秒。それでも充分。
「決めろ、アレク!」
「うおおおおっ!」
渾身の一撃が胸の札を砕く――寸前、ヴァイスは体勢を捻じって受け流した。完全な命中は避けられる。
だが黒刃の呼吸は荒れ、商店街を覆っていた提灯の光がひとまわり薄くなった。
その時、頭上のスピーカーから流れるBGMが唐突に止まり、代わりに低い男の声が降ってきた。
「よい……よい夜だ。鈴の音も、恐れの音も、よく響く――」
呪具商人。姿は見えない。だが声はあらゆる反射を通じて、耳の中に直接触れてくる。
「小さな勇者たちよ。祭りを嫌うことはない。祭りとは“寄せる”こと。魂を寄せ、名を寄せ、想いを寄せる。――寄れば、重くなる。重くなれば、沈む」
提灯の光が一斉に明滅し、仮面の群衆がざわりと揺れる。足元の地面が、底なしの泥のようにぬかるみ始めた。
ミユの結界が沈む。レンの足首に冷たい“何か”が絡みつく。
「レン!」アレクが叫ぶ。「そこから動くな! ミユ、持ちこたえろ!」
「……わかってる!」ミユは結界の曲率を変え、沈む力を斜めに受け流した。結界の縁が赤く光り、罅は広がらない。
レンはもう一度鈴を鳴らす。今度は短く、鋭く。泥の表面に波紋が走り、絡みつくものがほんの少しだけ緩んだ。
「よく響く。いい調べだ」商人の声は愉悦に満ちていた。「では――もっと大きな太鼓をくれてやろう」
アーケードの天井に張り付いていた影が剥がれ落ち、巨大な黒い太鼓の形を取って宙に浮かぶ。
どくん。
どくん。
校舎の床の下で感じた鼓動が、今度は街全体の空気を押し潰すほどの音圧になって響いた。人々の膝ががくりと折れ、仮面がさらに深く顔に貼り付く。
「くそっ、嫌な音だ!」カズマが顔をしかめる。
「精神系。鼓動への上書き」ユウタは歯を食いしばり、陣の位相を半分ずらした。「合わせるな。呼吸を、自分のものに戻せ!」
アレクは胸に手を当て、目を閉じた。
(合わせない。――俺の鼓動は、俺のものだ)
最初にレンの工房で目覚めた夜、薬品と金属の匂いの中で、彼女の震える手を握って伝えたリズム。あの時の小さな鼓動に、再び、自分の鼓動を重ねる。
どくん。
どくん。
どくん――。
巨大太鼓の音が“外側”へと退いていく。商店街の空気が、ほんの少し、軽くなった。
そこへ、別の足音が交じった。
軽やかで、しかし力強い複数の足音。商店街のアーチをくぐって現れたのは、近所の大人たち、商店街の店主たち、そして――水鏡屋の常連客たちだった。
「どけどけ! 危ない子は後ろへ!」
八百屋の親父が手押し車で仮面の群衆を押し分け、薬局の店主がアンモニアの匂い袋を振りまいて意識を覚醒させる。
「目を覚ませ! 深呼吸だ、深呼吸!」
呼吸のリズムが狂っていた人たちが、咳き込みながらも仮面を外し始めた。表面に刻印された薄い紋は、汗と涙で滲んでいる。
ミユの肩の力が少し抜ける。「助かった……!」
レンは鈴を胸に当て、もう一度だけ鳴らした。ありがとう、と小さく囁く。
ヴァイスは状況の変化を分析し、刃を僅かに下げた。無機質な声が冷静に結論を告げる。
「損耗増加。任務――一時中断。次回へ持ち越す」
「逃がすかよ!」アレクが踏み込む。
だが黒刃の周りに赤い札が舞い、影が渦を巻く。商店街の柱の影、看板の影、人の足元の影――あらゆる黒が一本の糸になってヴァイスの身体に絡み、次の瞬間には空気の裂け目の向こうへと溶けて消えた。
残されたのは、落ちかけの提灯の光と、人いきれと、遠くで鳴く救急車のサイレン。
そして、アレクたちの荒い息だけだった。
しばらくして、音は静まった。仮面は地面に落ち、踏まれて割れ、砂のように砕けて風に流れた。巨大太鼓の影も、いつの間にか天井の梁の暗がりへと溶けて消えている。
誰かが座り込み、誰かが泣き、誰かが笑った。無事に帰ってきた息子を抱きしめる母親の肩が震えていた。
ミユがゆっくりと結界を解く。レンが深く息を吐き、鈴を大切に握り締める。
「……みんな、無事?」
「かすり傷で済んだ」ユウタが冷静に報告する。「結界の外にいた人たちも、意識は戻っている」
「よかった……」レンの目に涙が滲んだ。恐怖の涙ではない。緊張がほどけたあとの、安堵の涙。
アレクは杖を肩に担ぎ、遠くの薄暗がりを睨んだ。
(逃げられた。けど――今日は、“こちら側の音”が勝った)
拳を握り、開く。小さな傷が、脈と同じリズムで痛む。その痛みを、彼は確かめるように噛みしめた。
「アレク君」
背中ごしに呼ばれて振り向くと、レンがほんの少しだけ笑っていた。
「ありがとう。……助けに来てくれて」
「当たり前だろ」アレクも笑う。血だらけの顔で。「俺は勇者で、仲間思いの男なんだ」
「はは」カズマが肩を叩く。「顔、れっきとした“ガキ”だけどな!」
「やかましい」
言いながら、アレクはそのままカズマの肩に額を預けた。ほんの数秒。重力と疲労が、ようやく自分の身体に戻ってくる。
ユウタは視線を遠くにやり、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「祭りの仕掛けは街に残っている。今日落とした札は一部だ。……戻ろう。データを整理して、対策を更新する」
その言葉に、アレクはこくりと頷いた。「ああ。――帰ろう、水鏡屋へ」
終幕の一拍前――聞こえる者にだけ聞こえる声
人波が途切れ、商店街に夜の色が落ちてくる。
アーケードの天井近く、灯りに照らされない梁の上で、誰かが小さく指を鳴らした。
「よい、よい。今日はここまで」
呪具商人の声は、空調の微かな唸りと混ざって、誰の鼓膜にも引っかからない帯域で笑った。
「鈴の音は、実に良い。次は、もっと大きな祭りにしよう。――神輿は、小さな創造主。担ぎ手は、街ぜんぶ」
街灯が一つ、二つと点き始める。
遠くで犬が吠え、どこかで赤ん坊が笑い、ベランダで洗濯物を取り込む誰かが小さく鼻歌を歌った。
日常は戻ってくる。いつだって、すぐに。
だからこそ、戻ってきた日常は、とても脆い。
アレクたちは夜風を背中に受けながら、水鏡屋の方角へ歩き出した。
火照った頬に当たる風は心地よく、鈴は布に包まれて静かに眠っている。
彼らの歩幅は揃っていて、呼吸の速さもすこしずつ同じテンポに落ち着いていった。
――次は、もっと大きな波が来る。
誰も口にしない予感だけが、夜の底でゆっくりと育っていた。




