第40話『敵の報告と勝利の余韻』
夜の街を覆う闇の中、影が蠢く。
黒刃のヴァイスは鎧の継ぎ目から黒い瘴気を滴らせながら、音もなく屋根を飛び渡っていた。
彼の動きは機械的なまでに正確で、呼吸も体温も感じさせない。
だが、その胸奥では確かに異常が生じていた。
――痛み。
機械のように動く彼にとって、それは本来ありえない感覚。
しかし今は、はっきりとした熱と疼きを身体に覚えている。
(……想定外。ミカガミ・ジン。危険度、修正必要)
ヴァイスは、任務失敗を認めざるを得なかった。
やがて辿り着いたのは、街外れの廃工場。
無数の呪具札が壁や床に貼り付けられ、赤黒い脈動が絶え間なく響いている。
その中心に立つのは――呪具商人。
彼はローブの袖で手を組み、ヴァイスを待っていた。
「……戻ったか。随分と遅かったな」
ヴァイスは片膝をつき、感情のない声で告げる。
「報告。任務――失敗」
「ほう……」
商人の口元に、不気味な笑みが浮かぶ。
「詳細」
「排除対象――カスガイ・ミユ。接触成功。しかしアレックス・ホーク及びミカガミ・レン、加えて仲間の介入により阻止」
「……ふむ。仲間、か」
商人は楽しそうに笑った。
「小さな英雄は、やはり仲間を集める運命にある。孤独では折れない魂も、絆を利用すれば容易く歪む」
ヴァイスは淡々と続ける。
「追加報告。ミカガミ・ジン――交戦。予想を超える剣技。黒刃に亀裂。損傷率――二割」
商人の目がわずかに細められる。
「……黒刃に傷、か」
低く呟き、やがて笑い声を上げた。
「面白い! 実に面白い! あの冷徹な兄こそ、我らの計画にとって最大の障害となるやもしれん」
商人は手を振り、札から立ち上る瘴気を集めた。
「よい。ヴァイス、お前の失敗は無駄ではない。むしろ収穫だ」
「収穫?」
「そうだ。ミカガミ・ジン――妹を守るためならば、自らの命すら顧みぬ。それは“歪み”となる。いずれ魂を蝕むだろう。
そしてアレックス・ホーク。異世界の英雄の魂を器に閉じ込められ、なお仲間を守ろうとする。……矛盾だ。矛盾は、必ず破綻を生む」
商人の声が闇に溶け、瘴気が廃工場全体を震わせた。
「我らの勝利は近い。――次は、もっと大きな舞台で試そうではないか」
ヴァイスは無言で頭を垂れる。
「命令を。次の標的を」
商人は嗤った。
「決まっているだろう。今度は――ミカガミ・レンだ」
その頃。
戦いを終えたアレクたちは、水鏡屋に戻っていた。
工房の灯りは暖かく、戦いの緊張を一気に解きほぐすようだった。
レンはアレクとミユを椅子に座らせ、手際よく傷の手当てをしていく。
「もう……無茶しすぎなんだから!」
アレクは苦笑いしながらも、「平気平気!」と胸を張る。
だがその声にも疲労が滲んでいた。
カズマは背もたれにぐったりともたれかかり、「死ぬかと思った……」と愚痴を零す。
ユウタは冷静にノートを広げ、今回の戦いの情報をメモしていた。
そして――静かに工房の隅に立っているのがジンだった。
彼の刀は鞘に収められ、顔には疲労の色が残っている。
だが眼差しは鋭く、まだ戦場に立っているかのような緊張を解いていなかった。
アレクはちらりと彼を見て、胸の奥が熱くなるのを感じた。
(……やっぱり、すげぇよ。あのヴァイスに互角以上で渡り合った。俺たちが束になっても、あんな戦いはできねぇ)
レンが湯呑みを手渡し、ジンに微笑んだ。
「お兄ちゃん……本当にありがとう。間に合ってくれて」
ジンは小さく頷き、湯呑みを受け取った。
「……遅れた。だが、無事でよかった」
ミユはまだ震える声で言った。
「ジンさん……すごかったです。私……本当に、命を助けられました」
カズマも口を挟む。
「いやー……普段は冷たい人かと思ってたけど、やっぱ頼れるな」
ユウタは淡々と頷く。
「戦闘技術だけでなく、冷静さも群を抜いていた。……正直、尊敬に値します」
ジンはわずかに目を伏せ、言葉少なに答えた。
「過大評価だ」
だがその声は、どこか柔らかさを帯びていた。
沈黙の中、アレクが立ち上がる。
「なぁ、みんな。俺は……やっぱり、この世界で戦い続ける」
レンが不安そうに顔を上げる。
「でもアレク君、あいつらはどんどん強くなって……」
「だからだ」
アレクは拳を握った。
「俺一人じゃなく、俺たち全員で戦えば絶対に勝てる。今日だってそうだったろ?」
カズマが笑う。
「確かにな。俺らもだいぶ役に立ったよな?」
ユウタも眼鏡を押し上げ、淡々と付け加える。
「戦力として互いに補い合えば、生存率は格段に上がる」
ミユは胸に手を当て、真剣に言った。
「私も……怖いけど、逃げない。アレク君を、みんなを守りたいから」
アレクは笑い、力強く頷いた。
「よし、決まりだ! これからは、俺たち全員で立ち向かおう!」
レンは涙を拭いながらも微笑んだ。
「うん……絶対に負けない」
その様子を見ていたジンは、静かに眼鏡を押し上げた。
(……甘い。仲間を信じるその心が、逆に隙を生むこともある。だが――今夜、俺は確かに見た。こいつらの結束は、脅威をも凌ぐ力になるかもしれない)
彼の胸に、ほんの僅かな変化が芽生えていた。




