第3話『冒険者、ランドセルを背負う』
朝の食卓。
レン・ミカガミが制服姿で牛乳を飲み干しながら、唐突に切り出した。
「ねぇ、アレク君、やっぱり学校に通った方がいいと思うの」
「はぁ!? 学校ぉ!?」
アレクはトーストを落としそうになり、目を剥いた。
「学校って……俺、学校に行ったことなんてないぞ!」
「えっ、そうなの?」
まさかの発言に、レンは目を丸くした。
「アレク君が元いた世界って、学校が無いの?」
「いや、あるっちゃあるけど、俺がいた世界は学校なんて都会の人間が通うところなんだ。村に住んでいる奴は奨学金で都会の学校に行くけど、そういうケースは稀だな」
「じゃあ、アレク君はどうやって勉強していたの?」
「俺の場合は、村長から文字の読み書きや計算を教わっていたな。ほとんど寝ていたけど……」
「へぇ、そうなんだ」
「そもそも俺は冒険者だぞ! 魔王と戦った英雄だ! なんでこの俺がガキの群れに混じらなきゃならねぇんだ!」
「だって、外見が完全に小学生なんだもん。ほら、社会に馴染むためにも必要だよ」
ジンが新聞をたたみ、冷ややかな声を差し挟む。
「お前の見た目だと、高校は無理だ。どう見ても十歳程度だ。……だが、小学校なら誤魔化せる」
「おい、待て! お前ら、本気で言ってるのか!」
その叫びの直後、レンが「ジャーン!」と声を上げて机の下から新品の黒い鞄を取り出した。
「何だ、それは?」
「これはランドセルっていうんだよ。昨日のうちに買っておいた!」
「用意周到すぎだろ、お前ぇぇ!!」
こうして、アレクは近所の小学校へ“転入”することになった。
一方のレンはいつも通り高校へ登校。二人は別々に新しい一日を迎える。
「転入生のアレク君です。みんな仲良くしてあげてね」
担任教師に紹介され、アレクは渋々前に出る。
「……アレックス・ホークだ。よろしくな」
堂々たる声に、教室の空気が一瞬引き締まる。だが次の瞬間、クラス中がざわめいた。
「なんかすごい雰囲気……真っ白だし」
「名前からして、外国人?」
アレクは(くっ、最悪だ……)と心の中で頭を抱えた。
午前の算数。黒板には「割り算」の問題がずらりと並んでいた。
アレクは鉛筆を握りしめながら、必死に式を追う。
(……くそっ、なんだこの呪文みてぇな数字は! 複雑すぎて分かんねぇ!)
頭が真っ白になり、ノートは真っ白のまま。鉛筆の先だけが虚しく震えていた。
そんなとき、隣の席の少女がそっとノートを差し出した。
「……あの、これ。見せてあげる」
アレクが顔を上げると、柔らかな笑顔がそこにあった。
黒髪を肩で揺らす小柄な少女。少し恥ずかしそうに、でも真っ直ぐな瞳で彼を見ている。
「お、おう……助かる」
ノートには丁寧な字で式が整理され、解き方の手順が一目で分かるようにまとめられていた。
アレクは感動し、思わず口元を緩めた。
(おぉ……すげぇ。俺が解けなかったやつを、コイツはこんなに分かりやすく……!)
少女は小さな声で自己紹介した。
「わ、私は……カスガイ・ミユ。これからよろしくね、アレク君」
「呼び捨てでいい。……ありがとな、ミユ」
短いやり取りだったが、アレクの胸の奥にあたたかいものが灯った。
給食の時間。
アレクが「なんだこの飯は!? 毎日こんなに豪華なのか!」と大騒ぎしていると、向かいの席に座ったミユがくすっと笑った。
「……アレク君って、変わってるね」
「お、おい、笑うな! 俺は本気で感動してるんだ!」
そのやり取りに、周りの子どもたちも笑い声をあげ、クラスの輪の中に自然とアレクが溶け込んでいった。
午後の体育はリレー。
「……よし、ここで見せてやるか」
スタートの笛と同時に、アレクは矢のように走り出した。小さな体とは思えない速度で、児童たちを一瞬で抜き去る。
「は、速っ!」
「人間じゃねぇ!」
歓声に包まれながら、アレクは勝ち誇った笑みを浮かべる。
(ふははは! これが最強冒険者の走りだ!)
リレーを終えた後、ミユが駆け寄ってきた。
「すごかった……! まるで、本物の勇者みたいだった」
その一言に、アレクは一瞬言葉を失う。
だがすぐに、照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「ふん、俺は昔からこうなんだよ。運動神経には自信があるんだ」
「ううん……きっとそれだけじゃないと思う」
ミユの瞳はまっすぐで、アレクは思わず目を逸らした。
(……やべぇ。なんだこの子。俺のこと、ただのガキ扱いしてねぇ……)
一方その頃、レンは高校の教室で友人たちに囲まれていた。
「ねぇ、レン。最近一緒に住んでる“子供”って本当?」
「う、うん……ちょっと事情があってね」
「ふーん。でもなんか楽しそうだよね」
「まぁ……楽しいっていうか、ドタバタっていうか……」
レンは苦笑しつつ、アレクが騒ぐ姿を思い出していた。
(アレク君、大丈夫かなぁ……ちゃんと学校に馴染めてるといいんだけど)
夕暮れ。水鏡屋に戻ると、アレクは玄関で仁王立ちしていた。
夕暮れの水鏡屋で、アレクはランドセルを放り投げながら叫んだ。
「聞けレン! 俺は今日、算数で玉砕したが、新しい友達ができたぞ!」
「えっ、ほんとに!? すごいじゃんアレク君!」
「しかも、メチャクチャ優しくて……ノートを見せてくれて……」
頬を赤くしながら語るアレクに、レンはじとっとした目を向けた。
「……ふーん。その子、もしかして女の子?」
「な、なぜ分かった!?」
すると、背後からはジンの冷たい声が降ってきた。
「……妹の前でデレデレすんな。変態ロリコンクソガキ」
「やめろ! 俺はただ感謝してるだけだ!」
夕焼けに染まる店内に、今日も三人の声が響いた。
アレクが元いた世界では、学校は都会の人間や奨学金を使った人が通うところです。
村の人間は親や村長から読み書きや計算などを学ぶのが普通です。
ちなみに、アレクは簡単な読み書きは出来ますが、異世界の言語(日本語)を読むことはできません。
英語なら何とかできそうですが…。