第37話『不穏な兆候』
市内の空気は、あの「学校襲撃事件」以来どこかざわついていた。
児童や生徒の間で妙な噂が広がり、教師たちはそれを“集団的なストレス反応”だと片づけようとしていた。だが、実際には目に見える形で街に異変が起こりつつあったのだ。
臨時休校が続く小学校の校舎は、昼間こそ工事業者や教職員で賑わっていたが、夜になると不気味なほど静まり返る。そのはずだった。
ところが、ある晩、巡回の警備員が「廊下を歩く子供の足音」を聞いたと騒ぎになった。捜索しても誰もいない。翌朝、黒板には赤黒い文字で「次ハ ダレヲ 喰ウ?」と書き殴られていたという。
ニュースにはならなかった。だが、子供たちの耳にはすぐに届き、保護者の間でも「呪いの学校」という不安が囁かれ始めた。
アレクは水鏡屋でその話を聞き、拳を握りしめる。
「……やっぱり、あの商人の仕業だ。俺たちを揺さぶるつもりだ」
ミユは顔を曇らせて頷く。
「このままじゃ、学校に戻れなくなっちゃう……」
レンもまた唇を噛みしめていた。
「勉強より大事な“普通の日常”を奪われるのって……一番嫌なことだよね」
数日後、今度は商店街で不可解な騒ぎが立て続けに起きた。
駄菓子屋のショーケースのガラスが突然ひび割れ、並んでいた菓子袋が一斉に破裂した。
金物屋では、展示されていた包丁やハサミが勝手に宙を舞い、危うく店主を刺しかけた。
さらには、駅前の自動販売機から赤黒い液体が流れ出し、路面を染めたという。
人々は「イタズラ」「機械の不具合」と片づけようとしたが、目撃した子供たちは震えて口々に叫んだ。
「黒いカードを持った人影がいたんだ!」
「笑ってたんだよ、こっちを見て!」
水鏡屋に戻ったレンは蒼ざめていた。
「……ねえ、これ、全部“呪具商人”の仕業なんじゃないの?」
アレクは赤い瞳を光らせてうなずく。
「間違いねぇ。奴は“恐怖”を街全体にばらまいてる」
カズマが椅子に腰かけたまま苦笑する。
「まるで、ちょっとしたホラー映画だな。だけど現実ってのが最悪だ」
ユウタは冷静に分析して、記録ノートをめくる。
「一連の現象はすべて“生け贄”を炙り出すための前段階だろう。狙いは――」
その先を言わずとも、全員が理解していた。
ジンが低く告げる。
「レン、お前だ。次は確実に」
その夜。レンは寝付けず、机に広げたノートに向かっていた。
――アレク君の魂の安定度。
――呪具の反応とホムンクルスの共鳴。
――そして、自分が「創造主」として背負う責任。
ペン先が震える。
(私が……狙われる? 本当に?)
廊下の窓を覗くと、街灯に照らされて人影が一瞬横切った。
心臓が跳ねる。けれど、気のせいだったのかもしれない。
そのまま電気を消して布団に潜り込んだが、胸のざわめきは収まらなかった。
翌日。商店街ではさらに奇妙な出来事が報告された。
ベーカリーのパン生地が膨らむ際、赤黒い紋様が浮かび上がり、焼き上がったクロワッサンがひとりでに崩れ落ちる。
文房具店のボールペンが勝手に走り出し、「レン」という文字を何十回も紙に刻み続けた。
その現場を偶然目撃したミユは震えながら水鏡屋へ駆け込んだ。
「レンさんの名前が……勝手に……!」
空気が張り詰める。
アレクは椅子を蹴って立ち上がった。
「もう待ったなしだ! 奴ら、レンを餌に俺を引きずり出そうとしてやがる!」
カズマも眉をひそめた。
「おいおい、洒落にならねぇぞ。商店街全部が敵のアジトみてぇじゃねぇか」
ユウタは冷静を装いながらも表情は険しい。
「状況は急速に悪化している。このままでは一般市民まで巻き添えだ」
ジンが静かに言い放った。
「……次に現れたら、逃がさん。ヴァイスだろうと商人だろうと、ここで斬る」
その晩。レンは一人で近所のコンビニへ向かっていた。
(お兄ちゃんには“危ないから出るな”って言われたけど……どうしてもインクが欲しかったんだ。卒業研究、途中で止めたくないから……)
夜道は静かで、虫の声が遠くに響く。
街灯の下を通るたび、影が長く伸びては縮む。
コンビニ袋を手に戻る途中、不意に風が止んだ。
――カサリ。
後ろで何かが動く音。振り返っても誰もいない。
(……気のせい?)
歩みを速めたその瞬間、背筋に冷たい視線が突き刺さった。
「……排除対象、捕捉」
闇の中から銀髪の青年――黒刃のヴァイスが姿を現した。
赤く光る瞳、漆黒の鎧。無機質な声が夜に響く。
レンの心臓が跳ね、足がすくむ。
(来た……! 本当に、私なんだ……!)
ヴァイスが刃を抜き、冷たい光が走った。
「アレク・ホークを引きずり出すため――お前を狩る」
その時、路地の向こうから駆け寄る足音があった。
「レン!」
アレクの声だ。
小さな体で杖を構え、彼はヴァイスの前に立ち塞がった。
カズマも息を切らしながら後ろから飛び込んでくる。
「ったく、やっぱり来やがったか!」
ユウタも手に魔導札を握り、冷静な声を放つ。
「レンを守る。アレク、君は全力で」
レンは震える唇を噛みながら必死に叫んだ。
「だめ! 私のせいで……!」
だがアレクは振り返り、真っ直ぐな笑みを見せる。
「お前のせいじゃねぇ。守りてぇから守るんだ!」
ヴァイスの刃と勇者の杖が、次の瞬間、夜の闇の中で火花を散らした――。




