第36話『小さな勇者たちの決意』
水鏡屋の工房に戻ったとき、時計の針はとうに深夜を回っていた。
玄関を閉める音がやけに重く響き、薄暗い工房に一同の影が揺れる。
「……ただいま」
レンが小さく息を吐きながら呟いた。声は震え、肩はまだ強張っている。
アレクは彼女の隣にぴたりと付き、周囲を見渡した。小さな体で必死に威勢を張っているのが分かる。
ミユは心配そうにレンの腕を取った。
「大丈夫? もう痛むところはない?」
レンは「平気だよ」と答えるが、その声はどこか頼りない。
カズマは乱れた制服の袖を直しながら
「ふぅ……やっぱり命懸けってのは胃に悪いな」
とぼやいた。
ユウタは冷静な口調で、
「被害が出なかったのは奇跡に近い。あの黒鎧、ヴァイス……本気を出していなかった気さえする」
と呟いた。
後から駆けつけたジンは、玄関の戸を閉めると同時に低く言った。
「……遅れてすまない。結界を張り直していたせいで、一歩遅れた」
「別にいいさ!」
アレクは子供らしからぬ勢いで胸を張る。
「俺とみんなで、ちゃんと乗り切ったんだからな!」
レンは思わずアレクの袖を引いた。
「……乗り切ったって言えるのかな」
青ざめた頬に不安の影が色濃く残っている。それでも彼女は必死に強がろうとしていた。
ジンは黙って皆を見回し、やがて工房の机に手を置いた。
「詳細を話せ。何が起きた」
アレクが声を荒げて説明する。
「また黒い鎧のやつ――ヴァイスが出てきた。狙いは……レンだった。
でも俺とカズマ、ユウタで何とか足止めして……レンとミユを守り切った」
その言葉にレンの肩が小さく震える。ミユは彼女の手を握り、そっと寄り添った。
「……ヴァイス」
ジンの眼鏡の奥の瞳が鋭さを増す。
「呪具商人の“刃”。想定通りだな」
カズマは椅子に腰を落とし、苦笑いを浮かべた。
「いやー……想定しててもきついぜ。あの野郎、手加減ゼロ。こっちが一瞬でも気を抜いたら斬られてた」
ユウタは落ち着いた調子で言葉を継いだ。
「だが観察はできた。攻撃の直前、鎧の紋様が一瞬だけ光る。あれは呪具の“呼吸”……力を解放するタイミングの合図かもしれない」
ジンは二人をじっと見つめ、短く頷いた。
「貴重な情報だ。お前たちがいたから今夜は命が繋がった」
カズマは一瞬目を見開き、照れ隠しのように頭をかいた。
「お、おう……素直に褒められると逆に気味悪いな」
ユウタも小さく笑みを浮かべ、「現実的な評価は歓迎する」と淡々と返した。
アレクは拳を握りしめた。
「なぁジン。あいつらの狙いはやっぱり……」
「お前の魂だ」
ジンは断言した。
「異世界の英雄の魂。商人にとって最高の“素材”だ。だからこそ、周囲を揺さぶり続ける」
レンが唇を噛む。
「じゃあ……私が狙われたのも、そのために……?」
「そうだ」
ジンの声は冷静で、容赦がない。
「お前は“餌”だ。だが今夜は、それでも立ち向かった。……その勇気は本物だ」
レンの瞳に涙が滲む。悔しさと恐怖、そしてそれを押し殺そうとする決意。
沈黙が広がり、重い空気が工房を満たした。
やがてレンは震える声で言った。
「……だから、これからは私も戦う。お兄ちゃん、私だってただ守られるだけじゃ嫌。ちゃんと……隣に立ちたい」
ジンの表情が険しくなる。
「駄目だ」
即答だった。
「お前に戦闘の素養はない。結界を守るのが限界だ。それ以上は危険すぎる」
「でも!」レンは涙を堪えながら叫んだ。
「今日だって、私が狙われたんだよ! このまま何もできないなんて嫌……!」
アレクが立ち上がり、強く言葉を放った。
「ジン! 俺だってガキの体だ。でも戦ってる。レンにもやれることはあるはずだ!」
「アレク君……」
レンの頬を一筋の涙が伝った。
ミユも勇気を振り絞って声を上げる。
「私だってそう。魔力は弱いけど、それでも……少しでも役に立ちたい」
カズマは肩をすくめ、「俺はもう巻き込まれた以上、最後まで付き合うぜ」と笑った。
ユウタも瞳を光らせ、「合理的に考えても、戦力は多いに越したことはない」と冷静に同意した。
ジンは皆を見渡し、唇を結んだ。
(……甘い。だが、全員の意志がここまで固い以上、否定だけでは崩れる)
長い沈黙ののち、彼は低く言った。
「……わかった。ただし条件がある。俺の指示には絶対に従え。勝手な行動は一切許さん」
「おう、任せろ!」
アレクが真っ先に答える。
レンも涙を拭い、「うん……ありがとう」と頷いた。
ミユも「はい!」と力強く返し、カズマとユウタも無言でうなずいた。
重苦しい空気に、ようやくわずかな灯りが差した。
アレクは拳をぎゅっと握りしめ、真っ直ぐに皆を見回した。
「……次は俺ひとりで突っ走らねぇ。お前らと一緒に戦う。俺だけじゃ勝てなくても、みんなでなら絶対に勝てる」
その言葉に、レンが目を丸くし、やがて笑った。
「うん……それなら、私も隣に立てる。怖いけど、アレク君がそう言ってくれるなら」
ミユも強く頷いた。
「私も……! だってアレク君は、何度も私を守ってくれたから。今度は私も、力になりたい」
カズマが大げさに肩をすくめながら、しかし口調は真剣だった。
「ったく、面倒見のいるリーダーだぜ。でも……悪くない。背中預けるくらいなら、してやってもいい」
ユウタは静かに目を閉じ、冷静に言葉を添えた。
「僕は合理的な判断を重んじるけど……今回は心で決める。危険を承知で共に進むよ」
笑い混じりの声と、真剣な決意。
工房の空気が、少しずつ温かく、そして引き締まっていく。
そんな中、ジンだけは沈黙を守っていた。だが眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れ、声にならない想いが胸を突く。
(……俺の役目は妹を守ること。だが、こいつらの結束が本物なら――もう少しだけ、信じてもいいのかもしれない)
ほんの一瞬、ジンの肩から力が抜けた。
それを誰も気づかないまま、夜は更けていった。
夜更け、皆が寝静まった後。
アレクは窓辺に立ち、遠くの街灯を見つめていた。
小さな拳を握りしめ、胸の奥で呟く。
(次に来るのは……もっとでけぇ嵐だ)
街灯の下で、呪具の紋様がかすかに瞬いた。
新たな襲撃の前兆のように――。




