第34話『黒刃との激闘』
夜の商店街は、風の筋だけが生き物のように走っていた。
点滅する街灯、シャッターの波、軒先の風鈴が乾いた舌で鳴り、誰もいない路地は息を潜めている。
薬草と試薬を詰め込んだ紙袋を抱え、レンは早足で石畳を踏んだ。
(大丈夫、大した距離じゃない。みんなには休んでって言っちゃったし……)
そう自分に言い聞かせた時、ふっと――音が消えた。風の流れが切れ、空気だけが重くなる。
「……っ」
通りの端、明かりの届かない暗がりから「影」が立ち上がる。
銀糸のような髪が月を撫で、漆黒の鎧が無言で姿を結ぶ。腰の刃は鞘に収まりきらず、赤黒い脈動を帯びていた。
「排除対象――創造主。ミカガミ・レン、確認」
黒刃のヴァイス。声に熱はない。命令の確認だけがある。
紙袋が掌の汗で湿る。膝が震えるのに、足は退かない。
(逃げたら、背中を切られる。正面だけ見て、時間を稼ぐ――!)
レンは深く息を吸い、指先で小さな錬成陣を空に描いた。両足の下にも、素早く簡易の滑走陣。
「……起動」
同時に、ヴァイスの体が霞む。間合いを詰める踏み込み――刃が月光を断ち、水平に走った。
レンは地面の陣を「滑らせ」、半身でかわす。髪先が一房、宙に散った。
「回避能力、評価更新。だが無意味だ」
二撃目が縦に振り下ろされる。レンは身を縮めると、紙袋を逆手で投げ上げた。瓶が夜光を弾いて視界を乱し、同時に指先の陣を拡大――
「フレア・フラッシュ!」
瓶の中のマグネシア粉末と彼女の光魔法が共鳴し、白い閃光が暗がりを裂く。
ヴァイスの刃が一瞬止まった。レンは足の滑走陣を再起動し、石畳の上を横滑りで離脱する。
(――あと、十秒。誰かの結界に触れるまで!)
「十秒は長い」
無感情の言葉と共に、ヴァイスが左腕を払う。黒い札が四方に散り、路面に吸い込まれた。
直後――石畳が盛り上がり、「影の手」が無数に伸びる。足首を掴み、喉を狙い、口を塞ぐように。
「くっ……プロテクト・シェル!」
薄い半球の結界が彼女を包む。影の指が表面にのしかかり、硝子のようなきしみが耳を刺した。
結界が一枚では足りない。レンは歯を食いしばり、手早く二層、三層と重ねる。魔力が腕から抜けていく。
「拒絶は無駄だ」
ヴァイスが刃を突き立てる仕草だけで、影の指が結界の目に潜り、膜を裂きにかかる。
――弾ける音。最外層が破れ、次層が悲鳴を上げる。
(間に合って――!)
その刹那、空気ごと誰かの声が飛び込んだ。
「レン、伏せろォォォ!!」
轟、と石畳が跳ねた。赤い稲妻のような衝撃波が横から叩きつけ、影の手をまとめて吹き飛ばす。
小さな影――アレックス・ホークが、レンの前に滑り込んだ。杖の石突きがまだ震えている。
「一人で帰るなって言ったろ!!」
「……遅いよ、でもありがと!」
「説教は後! ぶっ倒すのが先!」
ヴァイスが今度はアレクへ視線を向ける。評価の対象が切り替わる音が、鎧の継ぎ目から小さく鳴った。
「勇者――アレックス・ホーク。抹消優先度、併記」
「優先でも最優先でも、どっちでもいいぜ!」
アレクが踏み込む。杖は突き、払うだけじゃない。石突きで地面を撃ち、砂塵を上げ、目線を釣る。その一拍で距離を詰め、杖身で刃を受け、短い踵でヴァイスの膝の外側へ「押す」。
重心が半歩だけずれる。そこに、レンの声。
「今! 右脚の外!」
「了解っ!」
アレクは杖の先端を地面に突き、身体をピボットで回転させた。小さな脚が円を描き、ヴァイスの膝裏を刈る――が、刃の腹が素手のように受け止める。金属とは思えない柔らかさと弾性。逆に反動でアレクの体が弾かれた。
「ちぃ……! こいつ、刃を『盾』にしやがる!」
「なら盾を割る!!」
怒声と共に横合いから影――カズマが飛び込んだ。木剣を肩の上から振り下ろし、ヴァイスの頭頂を狙う。
真っ向の力比べ。火花が散り、木剣が悲鳴を上げた。が――折れない。カズマは握りを滑らせ、衝撃を逃がして着地、即二撃目を下段へ叩き込む。
「重いけど効かねぇわけじゃねぇ!」
「角度が良い。継ぎ目を狙え」
低い助言が飛ぶ。ユウタだ。すでに路地の側溝に膝をつき、魔導板の上で線を走らせている。
「紋様の発光前、動きが鈍る。発光直前の0.3秒、胸鎧の左下、五センチ四方」
「そんな瞬間芸、やるしかねぇ!」
アレクはにやりと笑い、ヴァイスの正面へ出た。彼一人に刃を向けさせ、歩幅を合わせ、呼吸を盗む。
「こいよ、鉄くず!」
ヴァイスが踏み込む。刃が水平に走り、アレクは半足退いて「当てさせ」、杖で刃の腹を押し下げる――火花、金属の悲鳴。
その瞬間、鎧の紋様がじわりと赤んだ。
「今だ、カズマ!」
「おうらぁぁ!!」
カズマの木剣が胸鎧の左下に突き刺さる。鈍い音。金属ではない、いや金属の形をした「呪」の膜が裂け、黒い霧が噴き出した。ヴァイスの身体が半歩、揺れる。
「……有効打、確認」
無機質な報告のように呟き、ヴァイスは足を一つ後ろに滑らせた。引くのではない。「次の形」を選ぶための後退だ。
刃が地面を撫でる。投げられたのは、さきほどと同じ呪札――だが数が違う。十、二十、三十。石畳が蜂の巣のように穿たれ、影の槍が一斉に生えた。
「レン!!」
「分かってる――グランド・ドーム!」
レンの足元で錬成陣が幾重にも重なり、地面の砂と石を「締める」。丸い土塊が瞬時に盛り上がり、半球の盾を作った。槍が叩きつけられ、火打石のような火花がカンカンと散る。
内側、レンの額に汗が滲む。
(重い……! 一層じゃ潰される)
「補助する!」ミユがレンの隣に膝をつき、震える手を重ねた。「ライト・ブースト……!」
土の盾の内側に光の膜が重なり、槍の貫通力をわずかに「鈍らせる」。錬金術の物理と、初歩魔法の光学的干渉――二つが噛み合い、盾は一撃ごとに「持つ」選択を取る。
「ナイスだ、二人とも!」
アレクは地面を蹴り、土ドームの外縁を踏み台にして跳ぶ。杖を片手で回し、体を水平に倒しながら刃へ突っ込む。
ヴァイスは空中の彼に向けて腕を伸ばし、掌から「線」を放った。見えない糸のような呪線が、空中のアレクの四肢を絡め取る。
「っ、なんだ――!」
「捕縛術式。空中の自由落下、奪取」
アレクの体が宙で固定され、ヴァイスの刃がゆっくりと彼の喉元へ上がる。
土ドームの内側で、レンの視界に血の色が滲む。
(間に合って――!)
「やめろぉぉぉ!!」
カズマが咆哮し、土ドームの縁を蹴って跳んだ。木剣を逆手にし、ヴァイスの手首を叩く――が、刃は止まらない。
そこにユウタの声。
「三歩前、右膝、回転軸ッ!」
カズマは半拍で姿勢を修正し、蹴りを回し蹴りへ変える。踵がヴァイスの右膝の外に当たり、回転の「軸」を歪ませた。
刃筋がわずかに逸れる。喉元から鎖骨へ――アレクは首を固め、刃の腹で擦過を受けて回転、呪線を引き千切った。
「助かった! 恩に着る!」
着地と同時に、アレクは自分の頬を叩いた。赤い瞳に、火が戻る。
「いい連携だ、もう一回!」
ヴァイスは無言。だが鎧の紋様の脈動が、先ほどより一段「速い」。
(……加速してる)ユウタの額にも汗。「出力が上がる。攻撃の前兆が短い。レン、後方を死守して」
「うん――もう、逃げない!」
レンは土ドームを一旦解き、代わりに路面に長方形の錬成陣を敷いた。「滑走」「粘着」「固化」の三層切替式。
「アレク君、左へ誘導して! 滑る!」
「任せろ!」
アレクはあえて正面から斬り結び、杖で刃を「押す」。人より軽い体重と、小回り。押し負けながらも半歩ずつ、左へ、左へ。
ヴァイスの足が錬成陣に触れた瞬間、レンが指先を下ろした。
「スリップ・レーン――オン!」
見えない油を撒いたように、石畳の摩擦が消える。ヴァイスの体が初めてバランスを崩した。足裏が流れ、重心が後ろに逃げる。
「今!」
アレクが踏み込み、杖の石突きをヴァイスの胸鎧の「傷口」にねじ込む。
そこへカズマが木剣で十字に叩き、ユウタの小さな符が連鎖的に爆ぜた。
刃と鎧の「間」に、呪圧が逆流する。黒い霧が噴き、ヴァイスの体が一拍だけ沈む。
「……有効率、上昇。対処優先度、変更」
無感情の宣告。ヴァイスはわずかに刃を引き、今度は地面へ突き刺した。
「――影縫」
子どもたちの足元に、黒い糸が生えた。足首へ絡み、膝裏へ回り、地面に「縫い付ける」。
カズマが無理やり一歩出ようとして、膝から崩れた。
「くそ、動けね――!」
ユウタは刹那の判断で短剣を自分の足首へ走らせ、糸を「切る」。痛みと同時に自由を取り戻す。
「各自、足元優先! アレク、上!」
「分かってら!」
アレクは糸が浮いた瞬間に跳び、ヴァイスの肩口にしがみついた。刃が背中をかすめ、服が裂ける。
彼は痛みを無視し、杖を脇に抱えたまま空手でヴァイスの兜の「目」をえぐるように掴む。
素手で壊せるものではない。だが目的は別。視界を塞ぎ、そのあいだに――
「レン!」
「粘着、オン!」
レンの陣が切り替わり、ヴァイスの足裏が路面に「貼り付いた」。
ほんの0.6秒。それで十分。ユウタの符が膝関節へ滑り込み、カズマの木剣が「梃子」になって関節を逆方向へ捻る。
ギシ、と金属が嫌な音を立てた。
ヴァイスの膝が折れ、片膝を地に着く。初めて、明確な不利の姿勢。
アレクは肩から転がり落ちながら、杖を全力で振り抜いた。
石突きが兜の顎を撃ち、頭部を仰け反らせる。鎧の紋様が明滅し、霧の出力が乱れた。
「今だ、畳みかけろ!」
「おうっ!」
三人の攻撃が一斉に殺到する。木剣が、短剣が、杖が、狙い澄ました継ぎ目に次々と突き、叩き、呪の層を剥がす。
レンは後方で錬金陣を回し続け、滑走と固化を切り替え、敵の足元だけを常に不利にする。ミユはその手元に光を重ね、レンの魔力消費を肩代わりした。
「……楽しいな」
無機質な声に、ほんの微粒の感情が混ざった気がした。
次の瞬間、ヴァイスの全身の紋様が一斉に「黒」へ落ち、刃が低く唸る。
まとわりついていた霧が刃へ吸い込まれ、夜そのもののような色に濃くなる。
ユウタの目が見開かれる。
「出力、段違い……来る!」
来た。
ヴァイスが地面をひと踏みで砕き、黒い残光を置き去りにして消える。
次に現れたのは、アレクの背後――
「っ!」
振り返るより先に、刃が頬を裂いていた。痛みよりも熱。血が飛ぶ。
カズマが叫び、木剣を差し込む――が、今度は木が負けた。刃が木目を割り、半ばで止まるも、衝撃でカズマの指が痺れる。
「ここで終わらせる」
ヴァイスの声が一段低い。刃が上段に引き、落ちる――
その刹那、レンの叫びが世界を上書きした。
「アレク君――ダウン!」
アレクは躊躇なく膝から崩れ、背を丸めて「落ちた」。
刃は空を斬り、ユウタの符が空中で炸裂してヴァイスの右肩を弾く。
カズマの半分折れた木剣が、残った刃で袈裟に叩き、着地の足を再び小さく「ずらす」。
「ぐ、っ……」
初めて、ヴァイスの呼気が乱れた。
アレクは床を転がりながら跳ね起き、傷だらけの顔で笑う。
「何回でも――喰らって立つのが、勇者だ!」
杖の石突きが三度、四度、五度と胸鎧の同一点を叩く。呪の層がわずかに薄くなり、下の「核」の気配が滲んだ。
――届く。あと二撃。
ヴァイスの刃が、横薙ぎ。
アレクは受けず、踏み込んだ。肩口から裂ける痛みが走る。杖を手放し、素手で鎧の縁に指をかけて「押し開く」。
そこへ、レンの小瓶が飛んだ。
錬成済みの拘束液――空中で破裂し、鎧の内側に粘る。
「今!!」
カズマの絶叫。ユウタの短剣が、核の気配めがけて吸い込まれるように滑り込む。
硬い手応え。黒がひときわ深く震え、霧が四方へ散った。
「……ッ」
ヴァイスの呻き。片膝がまた地を打つ。
アレクは息を吸い切り、拳を握った。杖なしの、ただの拳。
それでも――この瞬間、この距離、この仲間の連携なら――
「――もう十分だ」
背後から、氷のような声が零れた。
呪具商人。
いつからいたのか、路地の入口に立ち、薄く笑って指を鳴らす。
ヴァイスの足元に、黒い花が咲いた。
子どもたちの足元にも、一斉に。
「退く。愉快ではあったが、完成には尚早だ」
黒い花は「穴」へ裏返り、ヴァイスの体を沈めていく。
アレクは反射で飛び込んだ。だが穴は膜のように弾力を持ち、拳を飲まず、彼だけを弾き返した。
「待てぇぇぇ!!」
叫びは空にちぎれ、黒は夜へ溶ける。
残されたのは、荒れた石畳と、震える呼吸と、あたたかな体温。
レンが駆け寄り、アレクを抱きとめた。肩から腕へ、温かい血が伝う。
「アレク君、傷が……!」
「へ、平気だ……見た目ほどじゃねぇ。みんな、無事か」
カズマは半分になった木剣を見て苦笑し、ユウタは短剣を拭いながら小さく頷く。
ミユは両手を胸の前で結び、震えをこらえて微笑んだ。
「守れた……レンさんも、アレク君も……」
アレクは空を見上げる。
月はさっきより高く、冷たい。
拳を固く握り直し、唇の血を拭った。
「次は――逃がさねぇ。絶対に、核までぶち抜く」
レンが頷く。涙を光らせながらも、まっすぐに。
「うん。一緒に。今度は、もっと上手くやる」
カズマが拳を突き上げ、ユウタは安堵の息を漏らす。ミユはぎこちなくも、両手で光を作って皆の傷を照らした。
夜風が戻ってくる。風鈴が、やっと遅れて鳴いた。
――クライマックスは越えた。だが、物語はまだ熱いままだ。
彼らの呼吸と鼓動が、次の戦いをもう呼んでいる。




