第32話『不穏なざわめき』
翌朝。
水鏡屋の工房に、レンの甲高い声が響いた。
「アレク君! また宿題やってないでしょ!」
机に突っ伏して眠っていたアレクは、慌てて身を起こす。
「ぐっ……バレたか! 昨日はちょっと剣の素振りをしてただけだって!」
「小学生が“剣の素振り”って言わない!」
レンが呆れつつもノートを差し出すと、アレクは舌を出して受け取った。
そんな日常のひと幕。だが、この朝はいつもと違っていた。
商店街の通りに出ると、店主たちがざわついていた。
「またかよ……」
「うちの店の看板が勝手に燃え出してな……」
「俺の店じゃ、ガラス瓶が全部割れたんだ。まるで呪いみたいに」
レンは胸騒ぎを覚えた。
「……お兄ちゃん、これって……」
隣で買い出し袋を抱えるジンが、眉をひそめる。
「呪具の影響だな。今度は商店街にまで……」
アレクの赤い瞳が光を宿す。
「ただの嫌がらせじゃねぇ。あいつら、確実に範囲を広げてきてる」
その日の午後。
休校中の小学校では、清掃活動のために集まった数人の生徒が体育館にいた。
カズマとユウタも手伝いに駆り出されており、モップを振り回していた。
「おいアレク! サボってねぇか?」
「俺は見張りだ!」
「また都合のいいこと言いやがって」
和気あいあいとした空気が漂ったのも束の間だった。
バンッ!
突然、体育館の舞台の幕が勝手に落ちた。
吊り下げられた照明が激しく揺れ、床に叩きつけられる。
「うわっ!?」
「危ねぇ!」
子どもたちが慌てて逃げる。
レンは顔をこわばらせた。
「……呪具の気配がする」
アレクが即座に走り出し、舞台袖の影を探る。
そこに落ちていたのは――赤黒く染まった札。
「やっぱりか……!」
札を掴んだ瞬間、黒い霧が噴き出す。
それは人の形をとり、無数の手を伸ばしてきた。
「シャドウハンドか!」
アレクが構える。
だがユウタが前に出て、冷静に声を張った。
「アレク、動きを読め! 影の手は魔力の流れで繋がってる!」
「了解!」
同時にカズマがモップを振り下ろし、札を叩き割る。
「おらぁっ!」
黒い霧は煙のように散り、体育館に静けさが戻った。
汗をぬぐいながら、アレクは札を睨みつける。
「……この仕掛け。ターゲットは子ども全体じゃねぇ」
「え?」
レンが首を傾げる。
アレクは唇を噛んだ。
「俺たちを“呼び出す”ための罠だ。特に――」
赤い瞳がレンを見やる。
「お前を狙ってる」
レンは驚きに目を見開いた。
夕暮れ。
街角の電柱には、また新しい落書きのような呪符が張り付いていた。
それはまるで水鏡屋の方向を指し示すかのように並んでいる。
ジンは冷たい声で言った。
「……来るな。次は確実に」
レンは拳を握りしめ、震える声で答えた。
「……怖い。でも、逃げない。アレク君やみんなを巻き込んでるなら、私だって戦う」
アレクはニッと笑い、拳を突き出した。
「そうだ、それでこそ俺の創造主だ!」
夜の街を吹き抜ける風が、不穏なざわめきを連れていた。
呪具商人とヴァイスの狙いは、着実にレンの背中へと迫っていた。




