第31話『呪具商人と黒刃』
深夜。
街の外れにある廃工場。
錆びた鉄骨が月明かりを浴びて鈍く光り、吹き抜けから差し込む風が鉄板を鳴らす。
そこに、異様な光景が広がっていた。
床一面に張り巡らされた呪具札。赤黒い光が脈打ち、まるで血管のように壁や天井へと伸びている。
その中心で、呪具商人が黒衣の裾を揺らしながら歩いていた。
「……順調だ。順調すぎるくらいにな」
彼の声に応じて、床の札がふつふつと震え、不気味な音を立てた。
呪具商人は口元を歪め、細長い指で一枚の札を摘み上げる。そこには奇怪な紋様と、ひとりの少年の顔が描かれていた。
白髪に赤い瞳――アレックス・ホーク。
「小さな器に、異界の勇者の魂……。あれほどの“素材”を前にして、よくもまあ平然としていられるものだ」
くぐもった笑いが工場に響いた。
「英雄という名を騙り、仲間に囲まれているが……結局は孤独だ。魂は、常に孤独を求め、飢えている」
呪具商人の目は、獲物を見据える猛獣のように細く鋭い。
その時、暗がりから足音が近づいた。
銀髪の青年――黒刃のヴァイス。漆黒の鎧が月光を反射し、冷たい瞳が無機質に光る。
「……主よ」
低い声が空気を震わせる。
「任務、失敗。標的ミユ……排除できず。勇者と仲間たちの連携により阻止された」
呪具商人は笑みを崩さない。
「構わん。最初から“試し”にすぎん」
彼はヴァイスの前に歩み寄り、鎧に残る傷跡を指先でなぞった。
「なるほど……勇者の力は、やはり“偽物”ではなかったか。だが同時に、この器が小さすぎるのも事実。子供の肉体では、魂の力を全て解放することはできまい」
ヴァイスは無言で主を見下ろす。
彼の目に感情はない。ただ命令を遂行するためだけに存在する影。
「主よ」
やがてヴァイスが言葉を続ける。
「勇者の魂……それを取り込む計画。詳細を教えてほしい」
呪具商人は唇を吊り上げ、両手を広げた。
周囲の札が一斉に浮かび上がり、赤黒い霧を放つ。
「“刃”はただの道具ではない。魂を削り、捕らえ、形を与えるための檻だ。お前も知っているだろう? お前の身体そのものが、呪具の集合体だということを」
ヴァイスの瞳がわずかに揺れる。
「……理解している。俺の肉体は本来存在せず、主によって与えられた“刃の器”」
「そうだ」
呪具商人は楽しげに頷く。
「だからこそ、お前は“黒刃の従者”と呼ばれる。呪具を通して魂を固定し、肉体として形作る……それが我らの術式。そして――」
彼は一枚の札を掲げた。そこに描かれていたのは、勇者の赤い瞳。
「アレックス・ホーク。その魂は通常の人間とは比べものにならぬほど濃く、強靭だ。もしもこれを取り込めば……完全な呪具兵が誕生する。器も、魂も、誰にも壊せぬ存在に」
工場の闇がざわりと揺れた。
札の紋様が一斉に赤黒く輝き、低い呻き声のような音が木霊する。
ヴァイスはわずかに眉をひそめる。
「だが、勇者は仲間と行動している。創造主、水鏡レン。そして兄、ジン・ミカガミ。さらに……カズマ、ユウタ、そしてミユ。あの小さな集団は、想定以上に強い結束を見せた」
「結束……?」
呪具商人は嘲笑を浮かべた。
「人の絆など脆い。恐怖と疑念、ほんの少しの裏切りで簡単に崩れる。お前も見ただろう、学校で。クラスメイトの囁きが、勇者の心を揺らした瞬間を」
ヴァイスは頷く。
「……確かに。あの瞳に、一瞬の迷いがあった」
「そうだ。だから我らの狙いは直接討つことではない。じわじわと追い詰め、孤独に引きずり込む。その時こそ、魂は最も脆く、最も甘美になる」
呪具商人の声は陶酔に満ちていた。
まるで、長年待ち望んだ獲物を目前にしている狩人のように。
「ヴァイス。次の標的は勇者本人ではない」
彼は札を宙に散らし、その一枚に触れた。
そこに描かれていたのは――水鏡レン。
「創造主を狙う。器を造った女の子だ。彼女を追い詰めれば、勇者は必ず動く」
ヴァイスの瞳が赤く光る。
「……命令、承知した。ミカガミ・レン――排除対象に追加」
「ふふ……いいだろう。小娘をどう扱うかは任せる。殺してもよし、囚えてもよし。重要なのは“勇者の心を揺さぶる”ことだ」
呪具商人は工場の奥へと歩み去る。
彼の背後で、無数の札が宙に舞い、赤黒い霧が渦を巻いた。
ヴァイスは一人、その場に立ち尽くす。
鎧の奥の心臓――いや、魂がかすかに震えていた。
命令には従う。だが彼の胸の奥で、微かな感情が芽生えていたのだ。
――なぜ、自分はこの世界に存在しているのか。
――なぜ、勇者の瞳を見ると、ほんの一瞬だけ胸がざわめくのか。
その問いに答えはない。
だがヴァイスはただ、主の命令通りに影へと溶けた。
次なる標的――ミカガミ・レン。
嵐は、確実に近づいていた。




