第27話『黒刃の影、蠢く』
深夜の廃工場。
月明かりも届かないその空間に、無数の呪具札が張り巡らされていた。壁、柱、床、さらには天井にまで、赤黒い紋様が蜘蛛の巣のように広がり、脈動するたびに生ぬるい風が吹き荒れる。まるで工場全体がひとつの巨大な生き物の臓腑と化したようであった。
その中心に、呪具商人が立っている。
黒いローブの奥から覗く顔には表情がなく、ただ口元に薄気味悪い笑みだけが浮かんでいた。
「……計画は順調に進んでいる」
低い声が、廃墟のような広間に木霊する。
「小さな勇者は我らにとって予想以上の“試金石”になったな。魂の輝きは、凡百の器を凌駕する」
闇の奥から、コツコツと靴音が近づいてきた。
銀髪の青年――黒刃のヴァイスが姿を現す。漆黒の鎧に月光がわずかに反射し、彼の全身を幽鬼のように際立たせた。
鎧には前回の戦闘で刻まれた浅い傷跡が残っている。だが、それは痛みの証ではなかった。むしろ、彼が「試しの戦い」を経て強靭さを増したことを示す勲章のようでもあった。
「報告」
ヴァイスは感情の欠片もない声で告げた。
「水鏡屋の結界は予想以上に堅牢。創造主――ミカガミ・レンの補助を受けたアレックス・ホークは……想定以上の強敵」
商人はくつくつと喉を鳴らした。
「ふふ……つまり、愉快な相手ということだ」
ヴァイスの瞳は冷たく光り続ける。
彼にとって敵の強さはただの数値。恐怖も憎悪も抱かない。ただ命じられた対象を観測し、排除する。それだけの存在であった。
商人は懐から一枚の札を取り出し、ヴァイスにひらひらと渡した。そこには、細かく描かれた水鏡屋周辺の地図が記されている。
「だが目的は彼を討つことではない。“魂”だ」
商人の声は粘つくように響いた。
「器などどうでもいい。魂を取り込み、完全な呪具兵に変える。それこそが我らの望み。勇者の魂を我らのものにできれば、この街どころか、世界の均衡すら崩れるだろう」
ヴァイスは札を受け取り、短くうなずいた。
「次の標的を。命じてください」
商人は唇を吊り上げる。
「まずは揺さぶりだ。小娘の友人……“カスガイ・ミユ”。彼女を狙えば、創造主とホムンクルスは必ず動く。心を乱し、隙を作らせろ」
ヴァイスの瞳に、赤い光が宿った。
「了解。排除対象、更新――カスガイ・ミユ」
商人は満足げにうなずき、闇に消えるヴァイスの背を見送った。
「さあ、踊れ……小さな勇者よ」
◆
一方その頃、水鏡屋。
夕食を終えた後、レンとアレクは居間でくつろいでいた。
「今日のカレー、めちゃくちゃうまかったな!」
アレクが口いっぱいにほおばったのを思い出したかのように笑う。
「ふふん、私の得意料理なんだよ!」
レンは得意げに胸を張った。
小さな日常のひととき。
しかし、その和やかさの中でアレクの心は静かに燃えていた。
布団に潜り込み、天井を見つめる。
(……あいつら、絶対にまた仕掛けてくる。俺だけならまだしも、レンやミユたちまで狙われるのはごめんだ)
小さな拳を強く握りしめた。
勇者だった頃は、守るのは仲間や世界全体だった。だが今は違う。
(守りたいのは……レンと、ミユ、カズマ、ユウタ。あとはジンだってな)
不器用な決意が、静かな夜に熱を帯びていく。
ジンは隣の部屋で本を閉じ、窓の外を見やっていた。
(……嫌な気配が濃くなっている。奴らが次に狙うのは誰だ?)
思考の果てに、妹とホムンクルスの笑顔が脳裏をかすめる。彼は唇を引き結び、外套を椅子に掛けたまま眠れぬ夜を過ごした。
◆
翌朝。
空は晴れていたが、風は冷たく肌を刺した。
登校途中のミユは、鞄を抱えながら歩いていた。心なしか足取りは重い。昨夜から、胸の奥にひそかな不安が渦巻いていたのだ。
(……昨日聞いたこと、頭から離れない。アレク君がホムンクルス。でも、それでも――)
彼女は首を振り、歩調を速めた。
その時、背後から元気な声が飛んできた。
「おーい! ミユ!」
振り返ると、カズマとユウタが駆けてきた。
「一緒に行こうぜ!」
カズマが鞄を肩に掛け直し、息を切らして笑う。
「お前一人だとまた変な奴に狙われそうだしな!」
「おいカズマ、それ言いすぎ!」
ユウタが慌ててツッコむ。
「でもまあ、俺らがいた方が心強いだろ?」
ミユは思わず微笑んだ。
「……ありがとう。ほんとに心強いよ」
三人並んで歩き出す。
だが、その背後に――長い影が静かに伸びていた。
路地の角、電柱の陰。
銀髪の青年が佇み、冷たい瞳で彼らを見つめていた。
「排除対象、確認」
黒刃のヴァイスの声は、朝の雑踏に紛れて誰にも届かない。
彼の手に光る黒い刃が、ひそやかに震えた。
次の瞬間、ミユたちの運命を揺るがす嵐が――確かに始まろうとしていた。




