第26話『秘密を共有する者』
翌日の放課後。
水鏡屋の工房には、いつもより落ち着かない空気が漂っていた。
机に向かうアレックス・ホークは、鉛筆をくるくると回しながらノートに文字を並べている。その横で、ミユがそっとページをめくって手本を示していた。
「ほら、この漢字、ここは“くさかんむり”が大きすぎるよ」
「あ、マジか……またやっちまったな」
「でも昨日よりは上手くなってるよ。すぐ慣れるって」
ミユの声はいつもと変わらない。
けれど、どこか気を遣っているのがアレクにはわかった。
(……まぁ当然か。ホムンクルスだって知られたんだ。普通なら怖がって距離を置くだろうしな)
ちらりと横顔を盗み見れば、ミユは真剣に鉛筆の動きを見守っている。その瞳に怯えはなく、むしろ優しい色が宿っていた。
「アレク君」
ふと、ミユがペンを置いて小さく言った。
「この前のこと、まだびっくりしてるけど……でも、私、変わらないから」
「変わらない?」
「うん。アレク君が人間でもホムンクルスでも、私にとってはアレク君はアレク君。だから……これからも一緒に勉強していい?」
アレクの胸に温かいものが広がる。
(……本当に、変なやつだな。けど――ありがてぇ)
「……ああ。頼りにしてるぜ、ミユ」
アレクが笑うと、ミユもようやくいつもの笑顔を取り戻した。
その様子を少し離れた場所で見ていたレンは、ほっと息をつく。
だが、工房の隅に立つジンは冷たい視線を崩さなかった。
「……軽々しく秘密を外に漏らすな」
その低い声に、ミユはビクリと肩を震わせる。
「わ、私……誰にも言わないよ。絶対に」
「言葉にするのは簡単だ。だが人の口は塞げない。何気ない一言で広まることもある」
「…………」
ジンの瞳は氷のように冷たく、威圧感に息が詰まりそうになる。
しかしミユは、唇をきゅっと結んで顔を上げた。
「……それでも私は、アレク君の味方です」
ジンの表情は変わらない。ただ眼鏡の奥で瞳がわずかに揺れた。
その時、工房の扉が勢いよく開いた。
「おーい! アレク! いるだろ!」
元気な声が響く。カズマとユウタが顔を出したのだ。
「お前ら……なんでここに?」
驚くアレクに、カズマが腕を組んで言う。
「決まってんだろ。昨日“秘密を聞いた以上、もう仲間だ”って言ったろ? だから勉強会も俺らも参加する!」
「そうそう。俺らも漢字とか算数とか苦手だし、ミユだけに任せるのも悪いしさ」ユウタが笑う。
ミユは「えっ」と小さく声を上げた。
「二人とも、本当に来ちゃったの?」
「当たり前だろ!」カズマは胸を張る。
「友達の秘密を知ったんだ。だったら最後まで一緒にいるのが筋ってもんだ!」
アレクは思わず吹き出した。
「お前ら……ほんとバカだな。でも……ありがとよ」
レンも笑みを浮かべる。
「いいね。じゃあ今日は四人まとめて家庭教師することになるかな」
工房の机に、ミユとレンが用意したノートが並べられた。
カズマはやる気満々で鉛筆を握り、ユウタは半分居眠りしながらもついてくる。アレクは相変わらず算数で苦戦していたが、隣に仲間がいることで妙に楽しかった。
「アレク、ここ“九九”だから、勇者の勘とか関係ないからな!」
「ぐっ……敵の弱点を見抜くより難しいぞこれ!」
「バカか! 九九の方がよっぽど簡単だ!」
「いや、戦場は一瞬の判断が命取りなんだぞ!」
「だからそれとこれとは違うって!」
そんなやり取りに、工房は笑い声で満ちていった。
だが、笑いの裏でジンだけは黙して見守っていた。
(……仲間、か。子供たちの友情にすがるのは勝手だ。だが俺は甘くならん)
夕暮れ時。
勉強会が終わり、ミユとカズマ、ユウタは帰り支度を始めた。
「今日は楽しかったな!」カズマが言う。
「算数は地獄だったけどね……」
ユウタが苦笑する。
「でも、みんなでやれば少しは気が楽だよね」
ミユが笑った。
玄関で靴を履きながら、カズマがアレクの肩を叩いた。
「お前がホムンクルスだろうが勇者だろうが関係ない! 俺らの仲間に変わりはないからな!」
「そうだぞ。次の給食のゼリー争奪戦もちゃんと参加しろよ」
ユウタも茶化す。
アレクは思わず顔を赤くし、そっぽを向いた。
「……ああ、わかったよ。ゼリーは負けねぇからな!」
玄関の扉が閉じ、三人の足音が遠ざかっていく。
静けさが戻った工房で、アレクはふぅっと息を吐いた。
「……悪いな。俺のせいで気まずくさせちまって」
そんなことないよ」
レンは首を振る。
「ミユちゃんも、カズマ君もユウタ君も、絶対に裏切らないって思う。だってあんなに真剣だったもの」
「……だといいけどな」
アレクはぼそりと呟いた。
その隣で、ジンは窓の外の闇を睨んでいた。
(……甘い。人を信じること自体は否定しない。だが俺は、万が一に備える)
夜の帳が落ちる頃。
水鏡屋に広がる三人の温度差――そこに新たに加わった三人の仲間の絆。
それらが織りなす複雑な空気は、これから訪れる嵐を予感させていた。




