第1話『英雄の魂、現代へ──ただし外見は子供』
──全てが闇に飲み込まれていく。
アレックス・ホークは、己の魂が肉体から離れていく感覚を、恐ろしく鮮明に自覚していた。
(……ここで終わりか。随分と急ぎ足の人生だったな……)
剣を握り、仲間と笑い、酒をあおり、女を口説き……そして命を賭して戦った。
振り返れば、悔いがないとは言えないが、確かに濃密な日々だった。
(次に生まれるなら……せめて、もう少し穏やかな人生を……)
そんな皮肉めいた願いを最後に、意識は深淵の底へと沈んでいく。
だが、完全なる虚無に溶けるはずの魂は、不意に見知らぬ光に包まれた。
──ズゥンッ、と空間が震える。
「──錬成陣、起動! 生命よ、ここに芽吹けっ!」
少女の声が、どこからか響いた。必死で叫ぶような声色。
アレクの魂は、抗う間もなくその光へ吸い寄せられた。視界がぐるりと反転し、激しい眩暈ののち、彼は何か小さな器に押し込められるような感覚を覚えた。
研究室の中央に描かれた巨大な錬成陣が、青白い光を放ちながら脈動していた。
幾重にも重なり合う魔法式は血管のように脈打ち、淡い輝きが床や壁を照らしている。
壁際の棚には大小さまざまな薬瓶が並び、瓶底からは奇妙な煙が立ちのぼっていた。
古びた羊皮紙には細かい古代語の数式がびっしりと書き連ねられ、黒板にはチョークの粉が散乱している。
空気には焦げた金属の匂いと薬品の刺激臭が混じり合い、息を吸うたびに喉がぴりついた。
「や、やったぁ! 成功した! 本当にホムンクルスが……!」
白衣の下に制服を着た少女が、弾けるような歓声を上げた。
栗色の髪を肩の辺りで一つに結び、白衣の袖を翻しながら陣の中央を凝視している。
頬は興奮で真っ赤に染まり、潤んだ瞳は今にも涙がこぼれそうなほど輝いていた。
その隣に立つ青年は、対照的に冷ややかな眼差しを向けていた。
黒髪をきっちり整え、眼鏡越しの鋭い瞳が光を宿す。腕を組み、口元には不快と不安の影が滲んでいる。
「……まさか本当に成功するとはな。だが、レン。お前、本当に大丈夫なのか?」
低く冷たい声が研究室に響く。
「だ、大丈夫だよ! これが私の卒業研究なんだから! ほら、ちゃんと動いて──」
レンと呼ばれた少女が指を差した先で、陣の中央に横たわっていた人影が、ゆっくりと上体を起こした。
アレックス・ホークは、自分の全身を包む違和感に戦慄した。
骨の軋みも、筋肉の張りも、かつての強靭な肉体の重みもなく、代わりに幼い体格で男根も小さい。
「……何だ、この感覚は? 俺の身体じゃない……」
手を握り、開き、震える指を凝視する。あまりに小さくて、頼りない。
かつて剣を振り、魔王を討ち果たしたはずの手が、今は子どもの玩具を握るのが精いっぱいに思えた。
壁に掛けられた鏡に映る姿を見て、アレクは息を呑んだ。
そこにいたのは、白く短い髪に紅玉のような赤い瞳を宿した幼い少年。
まだ声変わりもしていない、十歳ほどの外見。
「…………は?」
状況を理解できず、思わず声が漏れる。だが次の瞬間、絶叫が研究室を震わせた。
「……おい、なんで俺、ガキの姿になってんだよっ!?」
アレクは目の前にいた少女に問い詰めた。
「か、可愛いっ!!」
レンが甲高い悲鳴を上げ、両手で頬を押さえた。
瞳は宝石のように輝き、今にも飛び跳ねそうな勢いでアレクを覗き込む。
一方のジンは重々しい溜息を吐き、吐き捨てるように言った。
「……最悪だ」
「お、おいっ! マジでなんなんだ、これは!? 俺の自慢の肉体も、色気溢れる美貌も、どこ行った!」
アレクは小さな手足を凝視し、涙目で絶叫する。声まで甲高く、完全に子どもの声だった。
あの戦場で響かせた勇者の雄叫びはどこへ消えたのか。
レンは小刻みに震え、頬を赤らめてうっとりと呟いた。
「ふ、ふふふ……か、可愛い……!」
「可愛いじゃねぇ! 俺は冒険者・アレックス・ホークだぞ! エルフの女王を口説き落とし、聖女と禁断の関係に身を焦がし、マフィアを叩き潰し、魔王と渡り合ったこの俺が──」
「……ガキになった」
青年が無表情で一言。
「やめろぉ! 一言で片付けるな!」
レンはアレクの顔に至近距離まで迫り、じーっと観察する。
赤い瞳を食い入るように見つめ、頬を染めながら小声で呟いた。
「天使……? 妖精……? もしかして合法ショタ……」
「お前、なに言ってんだ!!」
アレクは顔を真っ赤にし、飛び退いた。
「……妹に近付くなよ、変態クソガキ」
青年が眼鏡を押し上げ、氷のような声で告げる。
その一言は空気を凍りつかせ、アレクの背筋に冷たい汗が流れる。
「おい待て! 今の被害者は俺だろ!? お前ら俺のことガキ扱いしているけど、中身は20歳! つまり大人だぞ!」
「その言い訳が一番タチ悪い」
ピシリと空気が凍結する。レンが小声で「お兄ちゃん、怖い」と呟くのも無理はなかった。
しかしレンは両手をパンッと叩いて勢いよく立ち上がった。
「と、とにかく! これで私の卒業研究は大成功だよ! やっぱり私って天才かも!」
「いや、失敗だろこれ!? 俺は完全に事故の産物だ!」
「事故でもいいの! この子は私のホムンクルスなんだから!」
「勝手に所有物扱いすんな!」
「だって、私が錬成したんだもん!」
「俺は冒険者で自由人だ! ガキ扱いすんなぁ!」
二人の言い争いが研究室に響き渡り、薬瓶がガタガタ揺れ、黒板のチョークが床に転がり落ちた。
その様子をジンは眉間に皺を寄せ、冷徹な目で見つめていた。
(……このガキを放っておけば、確実に妹が巻き込まれる。絶対に許さん)
眼鏡の奥の瞳が氷のように冷たく光った。
時は21世紀──。
ここは我々の知る日本に似て非なる世界。
2001年1月1日午前0時、世紀の境目に突如地球は眩い光に包まれた。
それがきっかけなのかは分からないが、これ以降に生まれた人間は、誰もが魔法を操ることができるようになった。
火で料理をし、風で掃除をし、光で通信を行う。
科学と魔法が融合し、人類文明は「魔導科学」として驚異的な発展を遂げた。
夜の街では、照明の代わりに魔法光石が灯り、
交通網では、魔力を駆動源とする浮遊式のバスや列車が行き交う。
子どもたちは小学校で掛け算や漢字を学ぶ傍ら、魔法制御の基礎訓練を受け、
社会人はスマホの代わりに「魔導端末」で連絡を取り合う。
しかし進歩の影には危険も潜む。
禁忌の術式、失われた呪具、暴走するホムンクルス。
人間が魔法を当然のように使えるがゆえに、世界は常に不安定さを孕んでいた。
そして──。
その片隅に、一風変わった兄妹が営む店がある。
便利屋であり、研究所でもある──水鏡屋。
ここから、異世界からやって来た勇者と、見習い錬金術師の少女、そして冷徹な兄による一つの奇妙な物語が始まるのだった。
久々の新作となりましたので、ブックマークよろしくお願いします。
本作の世界では、魔法が使えるのは21世紀(2001年以降)生まれの人間だけです。
他の作品でいうと、『僕のヒーローアカデミア』の世界観に近いですね。




