8話 輪唱
両手いっぱいに薪と布を抱えて、あたしはどたばたと村を駆け下りた。
ミミ様の家から逃げる様に。
ミミ様から、たった一人の大切な孫を奪ってしまったあたし。
それなのに、あたしを見つめる優しい目が、注がれる愛情が、あたしの心に痛いほどに染みた。
扉を肩でぶつかり開けると、中は騒がしい。
だが、あたしの顔を見るとその騒がしさがすっと消える。
何しに来たんだという声が、音を通さなくても伝わった。
「ありがとう、シドレラ」
布を受け取ろうと手を伸ばしたのは、ファレファの母ソファラだった。
「重いから、気を付けて」
「大丈夫よ、お転婆娘の首根っこをよく捕まえてるから」
「ふふ、なら大丈夫ね」
ソファラに捕まえられて、不貞腐れるファレファの姿を思い浮かべる。
緊張していたからだが、少しだけ緩んだ。
「薪はどこへ? それと、あたしが手伝えることは?」
「薪はかまどの横に! それから__」
バタン! と誰かが倒れる音がした。
音のほうを振り向くと、かまどの前で大男が倒れている。
ドドレドだ。
「ドドレドでも一刻が限界だ、誰か、代わりを!」
出産の際はかまどの火を吹き続け、あったかくしなければならない。
村の男が次々に交代してやっとの、一番大変な作業だ。
「あとはあたしがやるわ」
薪を脇に置いて、大きな体を押しのける。
胸いっぱいに息を吸い込み、かまどに向かって吹き込んだ。
ぼう、っと真っ赤になった火が、お返しとばかりに熱気を浴びせてくる。
後ろから驚きとも感心ともとれる声がして、なめんじゃないわと鼻で笑った。
外では応援の音が、絶えず響いている。
それに合わせて、あたしは息を吹き込んだ。
もう音を出せない左腕の、代わりとでもいうように。
元気で、強く、生まれてこい。
火ならいくらでも炊くんだから。
思いを全部火にくべて、あたしはもう一度息を吹き込む。
***********
『シドレラはさ、いっつも我慢してるような顔してるよね』
『は? そんなことないだろ』
『してるよぉ。つらい~、苦しい~、助けて~って顔してる』
ずい、っと若草色の瞳が顔をのぞき込んできて、妙に懐かしさを感じる。
この色が、何よりも、大好きだったんだ。
『お、れは、そんなこと……』
俺、と言おうとして、なぜだか言葉に詰まる。
しっくりこないから?
いや、オシャレじゃないからだ。
自分の手を見下ろすと、砂ぼこりで汚れていて、爪にはひびが入っていた。
『シドレラはさー、絶対オシャレしたら、似合うと思うんだよね。素材はむかつくくらいいいし』
いつの間にか、彼女は隣に座っていた。
『手もさー、もっときれいにしなよ。そのほうが絶対いいって!』
勝手に人の手を取って、爪に色を塗っている。
『そんなことしたら、女々しいって言われるだろ』
髪を触ってくる手を粗雑に払いのけると、また若草色の瞳が真っすぐ見つめてくる。
『なんで? シドレラもさ、やってみたいんでしょ?』
どきん、と心臓が跳ねる。
自分の胸の内を、すべて知っているかのような言い草だ。
それも、俺の知らない部分まで。
にし、と彼女は歯を見せて笑った。
『そんでさ、二人で村に帰ったら、外で見たこといっぱい持ち帰って、村のオシャレリーダーになろうよ! あ、もちろんあたしが一番で、シドレラは副リーダーね』
『はは、そりゃいーや』
笑って目を細め、再び顔を上げると光景はガラッと変わっていた。
彼女は地面に仰向けに倒れていて、肩から胸にかけて真っ赤な傷が描かれている。
そこからは血がどくどく流れ、あんなに肌に気を使っていた顔は真っ青だった。
笛人は、外では高く売れると知ったのは、その後だった。
腕が、下劣な資産家達に芸術品として。
『シドレラ……』
『おい、おい嘘だろ、やめてくれ!』
剣がギラリと高く高く掲げられる。
その下には、彼女がいる。
『逃げてよ……行けって……』
『待て待て、駄目だ! だって、お前が村一番なんだろ!?』
彼女の手をとっさに掴むが、変な掴み方をしてしまいうまく引っ張れない。
『一番の座、譲るからさ』
『いらない、いらない! 俺が言いたいのは、そんなことじゃない!』
『だからさ……オシャレでいろよな』
ばしゃっ。
手がすっぽ抜け、血だまりに落ちる。
その手が動くことはもう、なかった。
斬りつけられた左腕がじんじん痛み、俺は大声をあげながら走った。
鳴らせなくなった腕に価値はないのか、追手は来なかった。
『あああ、がああああああ!』
最後に掴んだ彼女の手、その血の跡が右手の中指についていた。
俺は、これを絶対に忘れない。
あたしはもう、誰にもこんな思いはさせない。
再び決意を灯らせるために、その名前を呼んだ。
「レミファレ……」
「目が、覚めたみたいだね」
はっと目を開けると、自分の家ではない天井と、あたしをのぞき込んでる大男の顔が目に映った。
「ここはミミ様の家の一室だよ。あのあと、過労で何人か倒れてね。ここで看病しているのさ」
「ありがとう、ドドレド」
「お礼を言うのはおいらのほうだよ。おいらでも一刻が限界だったのに、一晩中火を吹き続けるだなんて。みんな、口では言わないけど、感謝してるはずさ」
ドドレドは一杯の水をあたしに差し出して、あたしはそれを一気に飲み干した。
窓の外を見ると、ちょうど朝日が昇ってくる頃だ。
「やだ、あたしってば、どれくらい寝てたのかしら」
「丸一日さ。君が最後で、ソファラさんがさっき起きたところ。どっちも頑張りすぎさ」
いわれてみると、体がかちかちに固まている気がする。
それに、ぐうとお腹も鳴った。
「少し待っててね、今みんなに知らせて、ご飯を持ってくるよ」
ドドレドが扉に手をかけようとすると、勢いよく開かれる。
息を切らして立っていたのは、ソファラだった。
ソファラはあたしを見るなり駆け寄ってくる。
「シドレラ、うちの娘を知らない? ファレファが、娘がいないの!」
「ファレファが、いない?」
なんで? どうして? いろんな問いかけが自分の中で渦巻いた。
最後に話したことを思い返す。
外の音楽を聴いて、見たこともない景色を見た。
ファレファはそう言っていた。
そうして外に興味を持ったら、あの子は行くだろうか。
行くだろう。
答え合わせをするように、扉の向こうからミミ様が歩いてくる。
「ファレファは、外へ行きました」
「どうして、知っていたんですか!?」
ソファラさんはミミ様に向き直ると、つかみかかろうとしてドドレドがそれを止める。
左手を抑えられ、それでも脆い右手を伸ばしてもがいた。
「どうして行かせたんですか!?」
「憧れは、止められないのです。たとえここで私が止めても、あの子はきっと私たちの手をすり抜けていってしまうでしょう」
「だからって、行かせていい理由にはならないでしょう!?」
「村を出たことが、あの子の後悔にならないで欲しかった。後悔を背負わせながら見送ることは、とても悲しいことだから」
ミミ様の細い目が開かれて、どこか遠くを見つめる。
若草色の、あの子に似た目。
思い出しているのは、レミファレのことだろう。
『言いたいことがあったらさ、我慢しないで言っちゃいなよ。そんで後から後悔すればいいじゃん!』
そういう自分だって、毎晩村の皆を思い出しては泣いてたくせに。
「私、あの子を連れ戻しに行きます!」
「ソファラさん、そんなにフラフラじゃ無茶だって! それに外も初めてだろ!? おいらだって行ったことないよ!」
真っ青な顔で何とか立ち上がろうとするソファラさんを、ドドレドが必死に止める。
自分が今、何をしたいのか。
ベッドから立ち上がる。
「あたしが、行くわ」
三人の視線が、一斉にあたしに向いた。
若草色の、細い瞳を真っすぐ見つめる。
「ファレファを無事に、村に連れて帰る。それがあたしの、やりたいことだから」
ミミ様はゆっくり頷いた。
気を失いそうになりながらも、ソファラさんはあたしの服の裾をつかんだ。
「シドレラ、どうかお願い、あの子を……」
きっと、ソファラさんが想像しているはずの光景に、あたしの中でレミファレが重なる。
でも、絶対にそんなことはさせない。
「任せて。絶対に二人で戻ってくるから」
疲労が限界に達したのか、ソファラさんは気を失った。
ドドレドに任せて、部屋を後にする。
ファレファ。
今回はあたし、すごい怒ってるから。
ほっぺを、思い切りつねっちゃうかもね。
それに、今後は何があっても側を離れてあげないから。
だから、絶対に。
無事でいて。