7話 目指す先
「いんや、はっは! お嬢が無事でよかった、よかった!」
大きく笑う身体が揺れるたびに、重みで沈み込んだベッドがぎっしぎっしと音を立てている。
私とケフラは顔を見合わせて、良かったと胸をなでおろした。
あれから私たちは、ポロクルさんをお医者さんのところに運んで、憲兵さんたちにいろんなことを聞かれて。
へとへとになって戻ってきたころには、もうポロクルさんは元気そうだった。
「ポロクルさん、もう傷は大丈夫なの?」
「勿論ね、あきしは丈夫だけん。治療の術師様に傷も塞いでもらったし、もうすっかり元気がね!」
「患者さん、起き上がったりしないようにって言いましたよね? あなたは一歩遅かったら死んでしまうほどの重傷だったんですよ?」
ドアの隙間から怖い顔をしたお姉さんがじっとりと覗いて、ポロクルさんは小さくなった。
あの人がポロクルさんが言っていた術師さん? なんだろうか。
「外にはすごい人がいるんだね! 傷をあっという間に塞いじゃうなんて」
「魔法はあくまでその人の傷の治りを促進するだけで、腕を生やしたりは出来ません。今回患者さんが生きていたのも、本人の生命力あってのことなんですよ」
あくまで塞いだだけにすぎず、いつまた開いてもおかしくないのです、と続けながらお姉さんはポロクルさんの隣へ座った。
ボウルを手にした術師さんはぐりぐりと薬をすりつぶしながら窓の外を見る。
「だというのに、もう一人の方ときたら……」
「そうだ、パルアさんはいないの?」
「お嬢。パルアさんはお店の様子を見てくる! って、あっという間に走って行ってしまったがよ。あきしらが止める暇もなかったね」
ごりごり、と薬をすりつぶす音に力がこもる。
術師のお姉さんは二人目は逃がさないぞ、とポロクルさんを見つめていた。
「そうだ、もしよかったらこの薬を逃げてしまった方へ届けていただけませんか? 万が一にも痕が残ってしまったら、私は自分の仕事が許せないのです」
かごに入った小瓶を受け取ると、中には緑色の薬がたっぷり入っている。
うわの空で窓の外をぼうっと見つめているケフラをつつくと、私たちはお店に向かった。
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日が傾いた街並みは影が広がり、白い壁に赤みが差す。
昼間よりも人は少し減って、子供よりも大人が増えた。
暗くなった空に変わって、街は自ら輝きを放ち始める。
道の端に並ぶ店たちはランタンを灯し、影を隠す。
そんな光が届かない脇にそれた小路は、さっきの男が今にもまた現れそうで身震いした。
ふと隣に目を向けると、傾いた日をまぶしそうに見つめるケフラの顔があった。
さっきみたいなことがあった私がこうして街を歩けるのは、彼のおかげ。
「ありがと!」
ケフラは何のこと? と言いたげに首をかしげる。
私はそれ以上は教えてあげない、と歩みを進めてお目当ての扉に手をかけた。
カンパーナの店内にはお客さんは一人しかおらず、パルアさんも見当たらない。
白い杖を隣に立てかけて、一人のお客さんがお茶を飲んでいた。
カウンターに座る背の高い男の人は、かっちりとした皴ひとつない服を着こなしている。
白マントに平たい帽子は、雪の中に隠れてしまえそうだ。
「おや、不思議な音が聞こえると思ったら、まさか笛人のお嬢さんとは。隣の方は蛇人ですね? これは珍しい組み合わせだ」
コト、とカップを置くと男の人は私を見つめる。
いや、見つめてると言っていいのだろうか。
帽子の下の目は、細いのか閉じているのか瞳が見えず、感情が読み取れない。
常に笑っている様にも見える目が、私を正面に捉えている気がした。
「おっと、申し遅れました。私はアルトゥロ・クロウェル。長いでしょう? アルでいいですよ。この国を守る兵隊の一員です」
「あ、えっと、ファレファです」
帽子を取り丁寧にお辞儀するアルさんに合わせて、私もお辞儀をした。
指先ひとつまできれいな所作は、向き合っていると自然と背筋が伸びてしまう。
「ファレファさん、すてきな名前ですね。そちらの蛇人の方は?」
「……ケフラ」
私の隣に立っていたケフラはびくっと手を震わせて、苦い顔をしながら声で答えた。
アルさんはふむ、と口元に手を当てる。
「珍しい名ですね。蛇人は皆、名前に濁点をつけるのが習わしだと聞いたのですが」
「それは……勇気の証。僕は、勇気がないから、ないんだ」
彼はうつむいて、それから先は話してくれなかった。
アルさんはそれ以上は効くまい、と私に顔を向ける。
「ファレファさんはどうしてここへ? 笛人というのは、滅多に人里に下りないと聞きますが」
「私にとって、百点満点の音楽をしたいんだ。そのためには、村にずっといるだけじゃダメだって、思ったの。いろんな景色を見て、いろんな人に出会って、新しいものが生まれるんだって」
「なるほど。それならば、ララビアを目指してみてはどうでしょう。この国の首都であり、竜が眠る街でもあります」
「竜が眠る? おとぎ話みたいなこと?」
「いいえ、本当に竜が眠っているのですよ。太古の時代にこの地を守り、眠りについたんです。その目を覚まさせることができるのは、真に美しい音楽だけだとか。毎年国中から人を招きコンテストが開かれるので、音楽の都とも呼ばれています」
音楽の都。
聞いただけでわくわくするその響きに、私の心は踊りまわった。
いったいどんなところなんだろう。
街のいろんなところから音楽が聞こえてきて、昼間は賑やかに、夜はゆったりと音が響いて最後には子守唄になるのかな。
そこにだったら絶対に、私の探してる音楽の答えがきっとある。
「すごい、行きたい! 私も行って、その竜を起こしてあげるんだ!」
「おや、それは頼もしい。ララビアは、ここドレスベルから北東へとずっと行った先にあります。コンテストがあるのは半年後、大きな寄り道をしなければ、十分間に合うでしょう」
胸が高鳴るのを抑えきれなかった私は、両手を組んで思いっきり気持ちを吹き込んだ。
まだ見たこともないララビア、その街並みを想像して、胸の高鳴りを音にする。
そこに行くまでに、一緒に演奏してくれる人を探さなくちゃ。
せっかくならもっと、いろんな楽器を弾けるひとと一緒にしたい。
それはきっと、とっても楽しいこと。
私の演奏が終わると、アルさんとケフラが拍手をくれた。
「すばらしいですね。まさか、笛人の演奏をこうして聞くことができるとは」
アルさんは口元をほころばせる。
「いやはや、これは本当に喜ばしいことです。こんなめでたい日には、ついお酒でも飲みたくなってしまいますね。すみません店主さん、もしよかったら、後ほどお酒でも__」
突然ずどどどど、と外の通りを何かが走ってくる音が聞こえた。
その音は扉の前でぴたりと止まると、二度ノックした後に開かれる。
扉の向こうに立っていたのは私よりも少し背の高い女の子だった。
アルさんととても似た格好をしていて、かっちりとした白い衣装に身を包んでいる。
違うのは帽子の端から二つ、犬のような耳が垂れていることと、マントはつけていないこと。
そして腰には細身の剣をぶら下げていることだ。
「あ~! 隊長、やっぱりこんなところでサボってた!!!」
ケフラがびっくりして肩を震わせるほどの大きな声で、女の子はアルさんを指さした。
指をさされた本人はというと、遂に見つかってしまったか、という顔をしている。
「隊長、もしかしてまたお酒飲もうとしてたんですか!?」
「してませんよ」
アルさんはさらりと噓をつくが、女の子はすんすんと鼻を鳴らして訴える。
「嘘です! 私、嘘つく人は匂いでわかるんです! ぜったい嘘ついてます、ぜっっったい!!!」
「……飲んでませんよ、まだ」
片眉を上げて抵抗を続けるアルさんの肩をがっしりと掴むと、女の子はずりずりと自分よりも背の高い体を引きずっていく。
アルさんはおとなしく、しゅんと肩を下ろして運ばれていった。
「飲もうとしてたって事ですよね!? まだお仕事中なんですから、サボらないでください! あと一人でどっか行くのやめてください! みんな心配するんで!」
「ははは、優しい部下達を持って私は幸せものですね」
引きずられていく中で、アルさんの手にした杖がしゅるっと伸びてカウンターの上にきれいに金貨を並べていった。
そしてにこやかに私達にてを振ると、またどこかで会いましょう、と扉の向こうに消えていく。
「また魔法の道具をそんな使い方して!」
閉じた扉の向こうでもはっきりと聞こえるお説教の声が遠のいていき、やがて聞こえなくなった。
ちょうど店の奥からパルアさんが顔を出して、カウンターの上に並べられた金貨を確認する。
「あら、こんなに。ずいぶんと羽振りのいい軍人さんだこと、このあたりじゃ見ない恰好だったけど、どこの人なのかしら。ファレファちゃん、ポロクルさんは大丈夫そうだった?」
「……うん」
パルアさんが私に何か聞いたのを、うわの空でしか返事ができなかった。
はっきりと目指す先が決まっていなかった私。
でも今日。進む道がわかった気がする。
ここからずっと、北東。
竜の眠る都、ララビアへ。