6話 一槍のデュエット
おなかもいっぱいになって一休みし終わった後、ポロクルさんとパルアさんは荷物のやり取りを始めた。
もう少し安くならない? んっふっふ、あきしもここまで大変な思いをして運んできたがね、というやり取りを椅子に座って聞いていた。
暇を持て余して足をぶらぶらさせていると、二人は近くを見てきてもいいよ、と言ってくれた。
その際、危ないから細い路地には入らないことと、離れすぎないことを約束する。
店の外はやっぱり人であふれていて、一人じゃどうすればいいかわからなくなってしまいそうだった。
人の波の中に自然とさっきの黒い頭巾の人を探してみるが、見つからない。
その代わりに、きらきらとした服がいっぱいのお店を見つけた。
上からつるされたチュニックやエプロンドレス。
下にもずらっとたたまれたものが積まれている。
つるされているものの中には、合わせなくても私の全身より長いことがわかる物もある。
パルアさんやポロクルさんみたいな、身体の大きい人用なんだろうか。
まだお話しているのかな? とお店のほうを見てみても、外からではよくわからない。
こっそり開けて覗いてみようと扉に手を伸ばす。
ぐい、と私の体が引っ張られた。
私の足は地面を離れて、誰かに抱えられるようにして暗い道へと吸い込まれていく。
「わ! むぐ!?」
声を出そうとした口を乱暴にふさがれて、足をバタバタとさせた。
蹴っても蹴っても動きは止まらず、手を使っての抵抗ができない私はどんどん奥の暗いほうへと連れていかれる。
もがもがと口を動かして、口を覆う何かに思いっきりかみついた。
「ぎゃあ!? いってえ!」
「いたい!」
地面に投げ出されるも、何とか手を使わずに背中から落ちる。
両手を確認して、傷がないことを確認すると顔を上げた。
私を抱えていた男は、歯形がついた手をさすりながら私をにらみつける。
その体が、後ろに吹っ飛んだ。
「こんのボケ! ケガしたらどーすんだ、あ!?」
倒れた男をガン、ガンと続けて蹴り飛ばし、男は倒れたまま気を失った。
蹴り飛ばしたほうの大男は、毛皮のマントに腰に剣と、戦う人のような恰好をしている。
その大きな男は私の前まで歩みを進めると、視線を合わせるようにかがんだ。
「ごめんなお嬢ちゃん、ケガは……ないみたいだな。よかった、よかった」
大男は私の両手を見ると息をついた。
ズキンと膝が痛み、擦りむいた跡を見つける。
男はそれを一瞥すると、気にしていないように立ち上がる。
「さ、嬢ちゃん。君にぴったりの場所があるんだ、行こうか」
男は裏路地の出口に立ちふさがって、私を見下ろした。
顔は陰になって見えないが、今まであった人たちとは違う、冷たい怖さを感じる。
一歩、後ろに後ずさった。
ドン、と背中が何かにぶつかる。
振り返ると、もう一人男が後ろに立っていて、私の逃げ道を塞いでいた。
「どこへ行くんだ~? 俺は痛い道と、痛くない道、二つ用意してやってるんだぜ。そっちでいいのか? 本当に?」
一歩、一歩と大きな男が歩いてくる。
自分より大きな相手って、こんなに怖いんだということを初めて知った。
心臓がどきどきとうるさい中で、ママ、パパ、おばあちゃんにシドレラが頭に浮かぶ。
怖い気持ちが口いっぱいに広がって、でも吐き出してもどうしようもない感覚。
はっはっと呼吸が荒くなり自分で制御できなくなる。
何もできない私は、ぎゅっと目をつぶった。
「いよおおいしょおおおお!!!」
がっしゃん!
音がして目を開けると、大きな男がもっと大きな影に吹き飛ばされるのが見えた。
大きな耳に、太い腕。
三本目の腕に見えるそれは、長い長いお鼻なことを知っている。
「ポロクルさん!」
「その子から離れな、こんのゲスヤロー!」
灰色の巨体の隙間から、真っ赤な影が一直線に飛んでくる。
赤い肌の力強い女性は飛びあがると、両足をそろえて強烈な蹴りを私の後ろの男に繰り出した。
「がふっ!?」
顔面を蹴られた男は、大きく吹っ飛んで壁にたたきつけられる。
私の体を優しい腕がきつく抱きしめた。
「間に合った、良かった!」
「パルアさん、私……」
私の頭にぽんと灰色の大きな手が乗った。
じんわりと、涙がにじむのがわかる。
「あきしらが来たからには、もう大丈夫だに。さあ、帰__」
どす、と鈍い音がする。
目を見開いたポロクルさんが、ゆっくりと私たちをよけてずしんと倒れた。
背中の服が甚割と赤くにじんでいく。
ポロクルさんの立っていた場所に、代わりに大男が立っていた。
「って~な、クソ! 象人ってのはど~なってんだ? 貫通させる勢いで刺したっつーのによ」
男の手の中には、一本の剣が抜かれていた。
その刃は赤く塗れている。
ピッと手の中で翻すと、飛沫が壁に線を描いた。
「そんな、嫌!」
「あんた、よくも……!」
パルアさんはとっさに男の腹部を思いっきり蹴っ飛ばす。
しかし、彼女は顔をゆがめるとがっくりと膝をついた。
男を蹴った足に、赤い傷跡が走っている。
ポロクルさんの苦しそうな息遣いが聞こえてきた。
誰か、誰かお願い。
助けて、みんなを助けて!
ピィー!
両手を組んで、思いっきり息を吹き込んだ。
私の願いは音に変わって、裏路地に響き渡る。
目の前の男は煩そうに耳を塞いで私に向かって走り出した。
もう一度、強く思いを込めて吹く。
ピイイィィィーーー!!!
私の思いが音に乗って、私の中から飛び出した。
体を抜け出した私の心は、ぎらぎらと輝く刃をくぐって男を通り過ぎていく。
暗い裏路地を走り抜けて、ごちゃごちゃの人込みへ。
誰か、誰か助けてと叫んでも、誰の耳にも入っていない。
思い切り地面をけると、心はふわりと浮き上がって大通りの上を飛んで回った。
誰も振り返らない。
誰も足を止めない。
それでも私は手を伸ばす。
ふと、人込みの中に目立つ黒色があった。
頭巾をかぶったその背中は、私の声に足を止めると振り返る。
頭巾の中、長くて太い髪の毛に阻まれた奥の、寂しそうな瞳と目が合う。
ぱち、と目と目の間に火花が走って、声が聞こえた。
『戦うのが、怖い』
私の心は体に引き戻されて、走ってくる大男が剣を振り上げるのが見えた。
パルアさんが私を引っ張って、鼻先を剣の軌跡がかすめる。
「うるせえガキが! お前はもう、腕以外いらねえ!」
再び剣が振り上げられ、私の前に二人が覆いかぶさった。
でも、私は目を離さない。
寂しくって、怖くって、今にも震えてしまいそうな心。
それでも、誰かのために動ける瞳を知ったから。
路地裏は暗く、屋根の隙間から覗く青空だけが私たちを照らしている。
その青空に黒い影が差した。
黒い頭巾が飛び降りて、槍の切っ先を鋭く輝かせる。
刃と穂先がかち合って、火の粉が散った。
「な!? なんだよ、お前はぁ!?」
黒い頭巾が風に舞って、長い髪があらわになる。
いや、違う。
髪の毛一本一本が首をもたげて、静かに大男を見つめた。
「蛇人……」
パルアさんが小声でつぶやくと、頭から生えた蛇がちろちろ舌を出して私たちを一瞥した。
蛇の髪の下から覗く顔は、私とそれほど変わらないくらい若い男の子だ。
「蛇人なんて聞いてねえぞ!? この前壊滅したって話じゃねえか!」
男の子が槍を構える。
戦うのが、怖い。
さっき彼の心に触れて、聞こえた声が私の中にこだまする。
彼の手は、震えていた。
私はもう一度、両手を合わせる。
親指の付け根から、いっぱいの気持ちを吹いた。
私の心が彼の震える手に触れる。
さっきカンパーナで見た、獣と戦う姿。
それはきっと、彼が戦った記憶。
よく顔をのぞいてみると、無数の蛇の髪の中から一つだけ、首から先を失って垂れ下がっているものが見えた。
それは血こそ止まっているが、今も痛々しい痕が残っている。
失った寂しさと、戦いへの恐怖が伝わってきた。
私はそれにこたえるように、思いを伝える。
彼が今でも、戦いが怖いのは私にもわかる。
ぎらぎらと光る切っ先が、冷たい目が、私を貫こうとするたびに、どうにもできない体がびくびくと震えた。
戦いは、怖い。
それでも、あなたは助けに来てくれた。
ありがとう。
彼ははっと顔を上げると、もう一度強く槍を握った。
その手はもう、震えていない。
男が叫びながら斬りかかる。
頭の上から振り下ろす、体重の乗った剣。
彼はそれを槍の先で受け止めると、くるりといなして懐に入った。
隙だらけの首筋に、槍の石突がめり込む。
男の体は宙に浮き、大きく飛んで倒れた。
男はもう、ピクリとも動かない。
「なあ、こっちから変な音がしなかったか? って、おい! 倒れてるやつに、血を流してるやつがいるじゃねえか! 医者だ、医者を連れてこい! あと、傭兵だ! 傭兵も一緒に連れてこい!」
路地の奥から何人かの足音が聞こえて、慌てて駆けてくるのが聞こえる。
私はポロクルさんとパルアさんの顔を見て、三人でもう一度抱き合った。
ふう、とポロクルさんが息を漏らして座り込む。
駆け寄る私を手で制して、だいじょうぶ、だいじょうぶと笑った。
「あきしは丈夫だけん、このくらいじゃへこたれないがよ。それよりも、お礼を言わなきゃがね」
パルアさんがあたしに任せて、とポロクルさんの傷口を抑える。
私は頷くと、蛇人の彼に駆け寄った。
「ありがとう! 助けてくれて。あなたは、私たちの命の恩人!」
彼は頬を掻くと、ゆっくりと首を横に振った。
そして、少し震える自分の手を見つめながら口を開く。
「ううん。僕は、戦いを前にしても、勇気が出せなかった。また、勇気がないせいで失うところだった。勇気が出せたのは、君のおかげ」
口の中でもごもごと、言い表せない言葉が詰まる。
でも助けてくれたのはあなただし、助けに来てくれた時だって、勇気を出してきてくれたんじゃないのかしら?
もやもやと悩むうちにわからなくなって、いったん全部を忘れることにした。
「私ファレファ。あなたのお名前は?」
彼は最初、目をそらして名前を言うのをためらっている様だった。
それでも私は、じっとその目を見つめ続ける。
観念したかのように、彼は口を開いた。
「僕は……ケフラ」
「ケフラ、ありがとう!」
名前を口にすると、もう一度感謝を伝えるために抱きしめた。
私よりも彼のほうが背が高く、頭の上でわ、あわ、という声が聞こえる。
顔を上げてみると、耳まで真っ赤に染まった顔があった。
慌てて私は体を離す。
彼はへなへなとその場に崩れ落ちた。