離れがたき「ここ」
宇宙は想像を絶するほどに広い。
想像できないほどに広いなら、人類の想像では及びもつかない、とんでもないあれやこれやがいくらでも存在するだろう。であるなら、想像できる程度のものならば、なんであれ実在しないとおかしい。
さて、高度な科学技術と高い倫理観を兼ね備え、宇宙のあらゆる事を調べ尽くそうとする宇宙人というのは、想像が容易な部類に含まれる。
そんな宇宙人は、地球人を調べるのに空飛ぶ円盤でさらったりはすまい。気付かれないよう原子配列をスキャンして手元にコピーを作るような、地球に迷惑をかけない方法を選ぶはずだ。
ごく平凡な地球人、太郎が常々疑問に思っているのは、なぜ自分は、そうやってコピーされた側にはなれないのか、ということだった。
平凡な地球人のサンプルとして自分ほど適当な人間を、宇宙人が見落とすはずがない。きっとコピーは作られている。宇宙人の研究施設で目覚めたコピーの心境も簡単に想像ができる。「起きたら変な所に居た」と。
だが、それは、自分ではなく、コピーの身に起こることだ。
全く同じ分子構造を持ち、全く同じ記憶を持ち、そこから全く同じ思考へ至るにも関わらず、それを体験するのは、自分ではなく、コピーの方なのだ。絶対に。
物理的には、どちらがどちらだろうと、入れ替わろうと何の違いもない。ならば、何かの拍子に、自分が宇宙人の研究施設で目覚め、コピーが地球で目覚めるようなことが起こっても良さそうなものではないか。
……にもかかわらず、絶対にそんなことは起こらないという確信があり、それが何故なのか、納得ができない。
というような栓もない悩みを抱いた太郎たち地球人の頭上に、ある日突然それは降ってきた。
始まりは何の変哲もないテレビ放送だった。
深夜の放送休止時間帯にさしかかったところで、その番組は、
「こんにちは地球の皆さん。私たちは猫耳メイド星人です」
という馬鹿馬鹿しい言葉どおりに猫耳メイド服な少女の挨拶から始まった。
偶然にそれを見た地球人達がSNSで反応を見せ、あっという間に話が拡散していった。
ビールを片手に、ぼーっとSNSを見ていた太郎も、テレビを点けた。話題になっている通り、どのチャンネルでも猫耳メイドが何か喋っている。
「……もっとたくさんお話ししたい方は、こちらの回路を作ってパソコンに繋いでください」
猫耳メイドがそう言い、画面が切り替わって簡単な回路図が表示される。キャプションは『超空間通信装置』。
あくびをかみ殺しつつ眺めていると、ブロックノイズが現れたと思った直後、画面が真っ暗になった。しばらく眺めてもそれ以上の変化はない。
一体何だったのか、ネット民たちの反響で確かめようと携帯を手に取ってみたが、なぜかインターネットに繋がらなかった。
しばらく考え、画面に目を戻した太郎は、はたと気付いた。自動録画されていたデータを巻き戻し、回路図のところで一時停止。大急ぎでその画面をプリントアウトする。
画面は真っ暗になっていたが、放送は終わっていなかったのだ。テレビには、電波が来ていない時には、電波が受信出来ないと表示される機能が付いている。完全な真っ黒にはならない。その機能の無かった大昔のテレビは、届いていない電波から無理に映像を再現しようとして、砂嵐と呼ばれる画面いっぱいのノイズを映したものだ。
電波の受信強度を表示させてみるに、これはそうではない。電波が来ていないのではなく、真っ黒の映像が放送されており、それが正しく受信できている。無数の家庭へ届けられるテレビの電波というのは相当に強力で、送信には莫大な電力、すなわち、お金がかかる。深夜、テレビ放送のない時間帯には無駄な電波は送出されていない。
「電波の飛んでいない夜中に猫耳放送に電波ジャックされ、それを遮るために、妨害電波として真っ黒の放送を始めた……?」
猫耳の放送が不正な電波利用であれば、本物のテレビ局より弱い電波しか出せないだろう。そこに強力な本家本元の電波が流されれば、不正な方は受信出来なくなる。太郎はその可能性に思い当たった。
インターネットの不通も含めて猫耳を隠そうとする隠謀であるなら尋常な話ではない。ここまで強権的で即時的な通信遮断は、よほど国内情勢が怪しい独裁国家などでしか行われない類のものだ。今、国の革命どころではない何かが起こっている。
そんなに巨大な隠謀であれば、うちのテレビを遠隔操作して録画データを削除するぐらいのことはされてしまうかもしれない。そこで、回路図を印刷しておけば、さすがにどんなハッカーでも遠くから消すことはできず安心だ。……代わりに、特殊部隊が突入してくることになるわけだが。
と、深夜のおかしなテンションで自意識過剰気味に考えた太郎は、通信環境が復活したところで、うっかり騙されちゃった、いっけねー、というネタをSNSに投稿してやろうと、そのノリのまま回路を作ってみることにした。幸い、ごく単純な回路で、手持ちの部品で事足りた。
ハンガーの針金を所定の形に捻じ曲げ、最後にLANケーブルをぶった切って取り付けろと書いてある。通信装置というなら、LANケーブルを差し込める口が付いている方が纏まりは良くなるはずだが、差し込み口なんてマニアックな部品を常備している家はほとんどないだろう。LANケーブルならパソコン環境に凝っている家には必ずある。この辺り、この自称宇宙人はこちらの状況によく合わせてくれてるなぁ、などと考えながら最後の半田付けを終えた。
番組中で説明されていたかもしれない装置の使い方は見逃してしまったが、そこまで分かっている宇宙人が作らせたものなら、問題は無かろう。
太郎は装置から生やしたLANケーブルをパソコンに繋いだ。
「えっ?」
接続のLEDが明滅してしまい、太郎は驚いた。ろくな回路どころか、電池も何も繋げていない装置を繋いでこの反応はありえない……。
コマンドを入力して確かめると、何かのネットワークに繋がっている。ブラウザを立ち上げて、パソコンに詳しい人ならとりあえず試す、こういう場合のお約束通りのアドレスにアクセスする。
表示されたのは、今風のおしゃれなホームページ、「猫耳メイド星公式サイト」。
今のパソコンは、インターネットへも繋いでいないはずで、これはおかしい。さらにおかしなことに、正しく暗号通信ができている証拠としてアドレスバーに鍵マークまで付いている。地球の認証業者に依頼して本物だと太鼓判を押して貰わない限りそうはならないはずで、手の込んだ悪戯に見せたいのかどうなのか、意図が読めない。
太郎が首をかしげていると、通知がポップアップした。
「猫耳メイド星公式インストラクター」さんからのビデオチャットの要請。いろいろと思うところはあるが、ここまできて「承諾」以外の選択肢は無い。
ビデオチャットのウィンドウに現れた猫耳メイドは、早速言った。
「こんにちは、初めまして、太郎さん。地球の皆さんとお友達になりたくて、メッセージを送りました」
太郎は、ここまで来たら徹底的に騙されてやろう、と決意を固めた。
「これってどういう原理なんですか?」
翌朝、ビデオチャットを繋いだまま、新たな装置の組み立て作業の間を持たせようと太郎が聞くと、ウィンドウ内の猫耳メイドが答えた。
「紙コップの下に磁石をくっつけたような物を考えてみてください」
そう言いながら、猫耳メイドは教育番組のようなノリで、ポケットから言葉通りの物を取り出した。
「この磁石を、電磁場を操作して振動させてやると……」
カメラが際限なく引いていくと、周囲はぐるりと山脈に囲まれていた。稜線上にずらっと並んだわざとらしいパラボラアンテナがぴかぴか光る。画面の右下に現れたサブ画面は猫耳メイドの手元に寄っていき、
「ほらこの通り。これだけのものを、携帯電話として動作させることもできるわけです」
と、紙コップが喋ったように見えた。
「こんな風に、基地局側を工夫していくと、携帯端末側はどこまでも簡素にできるんですね」
そんな説明を横目に、太郎は最後の配線をネジ止めした。
「では最後に、左側のボタンに『Shift』、右側のボタンに『伝送』と書いてください。テプラでもマジックでも結構です。左右だけ間違えないようご注意くださいね」
ビデオチャット開始の後、太郎が、思わず「耳は本物?」とベタな質問をしたところ、猫耳メイドは「来て確かめてみませんか」と乗ってきた。そして、『超空間物質伝送装置』を作ってみないかと勧めてきたのだった。
いくつか入手の難しい部品もあったが、いつか棄てようとガレージの隅に詰んであった古い電子レンジから採った部品で代用が利いた。その時の太郎には知るよしもなかったが、世間では、部品を入手すべく電子部品屋に詰めかけた人の家を警察が回って「くれぐれも作らないように」と念を押すような事態になっていたらしい。
「はい、お疲れ様でしたー。では、動作確認をする間に説明いたしますね。まず、こちらの『超空間物質伝送装置』ですが、最初にご説明した通り、一方通行です。ごめんなさい」
そう言って、ぺこりと頭を下げる。
「どうしても、受け取り側の装置は大がかりになってしまうんです。ウェブサイトに地球の皆さんでも建造可能な受け取り装置の設計例を置いてありますが、なにしろ、基本的な仕組みが『万能3D原子プリンタ』ですから」
「建造」というのは穏やかではない表現だが、それ以上に不穏な単語が聞こえた。
「え?」
怪訝な様子の太郎には取り合わず、猫耳メイドは続けた。
「ですが、ご安心ください。建造できそうな組織は地球上にいくつかはありますから、いつかは帰れます。そうですね……、200年ぐらいの内には完成すると思います。かかる費用を簡単に取り戻せるぐらいの利益は出ますので、みなさんこぞって作られることでしょう。自由に行き来ができ、こちらからも地球へ遊びに行けるようになる日が楽しみです」
にっこり笑顔で言う。
帰りたくなっても、200年もかかってちゃ途中で死ぬだろ、というツッコミが全く考慮されていない。向こうには、加齢を完全に止める技術ぐらいはあるということなのだろうが、いや、それは問題ではない。
「そうじゃなくて、……『3Dプリンタ』って?」
「はい、『超空間物質伝送装置』の仕組みですが、対象の分子構造を瞬時に解析してデータだけを送り、伝送先にコピーを作る一方でコピー元を分解消滅させる、擬似時空間移動になります」
「ちょっと待った……」
「分解消滅といっても、空気と同様の成分に変化させる無害なものですからご安心ください。原子核の組み替えで発生する放射線などは超空間に棄てますので、周囲への影響もありません。ただ、結構な量の空気が発生しますので、『伝送』ボタンを押す際には窓を開けておいてくださいね」
猫耳メイドは、ちょっとしたお願いという風に注意をした。
「いや、それはどうでもいいんですけど、つまりそれってコピーがそっちに作られて、僕は死ぬってことじゃないですか?」
太郎が真顔で聞く。
「そこは解釈次第です」
猫耳メイドは調子を変えずに答える。
「死ぬという考えの方も、死なないという考えの方もいらっしゃいます。私たちの知る限り、死なないという考えが多数派ですね。そちらの方が便利ですから」
ポケットから取り出した円グラフを示しつつ、事も無げに言う猫耳メイド。
「死なないって保証はないんですか?」
「残念ながらありません。それが死ではないという証拠も、死と考えざるを得ないという証拠も見つかっていません。実際にやってみても、周りで見ている人にも、伝送された本人にも違いが分かりませんし」
あっけらかんと言う猫耳メイドに、呆れた太郎が聞き返した。
「そりゃあそうでしょうけど、それって死人に口無しってだけのことでは……?」
「ですので、まあ、どちらを信じるかというのはその人の好み次第という事になります」
「そんな無茶な……」
「あと、それじゃ困るとおっしゃるのでしたら、『Shift』ボタンを押した状態で『伝送』ボタンを押してください。そうすると、カット&ペーストではなく、コピー&ペーストで伝送されて、オリジナルのあなたもそのまま残りますので」
しばらくの葛藤の後、太郎は、『伝送』ボタンを押してみた。もちろん『Shift』ボタンを念入りに押し込んだ状態で。
何も起こらない……。
「うわっ、ホントに動いた!?」
と思っていたら聞こえてきた声。ある意味聞き慣れた、普段は聞けない、誰かが撮った動画に登場する時の自分の声。
ビデオチャットの画面の向こうに現れたのは、もう一人の自分だった。
「おお、僕だ、僕」
そんなことを言いながらこっちを指さし、手を振っている。
それを見て確信する。
「やっぱり、コピーと自分は別人じゃないですか!」
こうしてみれば話は明らか、『Shift』抜きでボタンを押したらコピーを残して自分は死ぬのだ。
「いえいえ。誤解されやすいところなんですが、こちらの太郎さんとそちらの太郎さんはもちろん別の場所に別々に存在する別人です。ですが、どちらも、ボタンを押す瞬間の太郎さんとは同一人物ですよ」
「いやいや、僕が本物で、そっちのコピーは別人でしょう」
「同一とおっしゃっても、ボタンを押す瞬間の太郎さんは、今、この瞬間にはもう居ませんよね?ボタンを押してから、物理法則に従っていろいろと化学変化させられた結果が、今の太郎さんです。一方、こちらの太郎さんは、それにちょっとだけプラスして『物質伝送装置』の働きも影響しています。どちらもボタンを押す瞬間の太郎さんを元に、何らかの作用で生じたということに違いはありません。したがって、どちらもボタンを押した瞬間の太郎さんと同一人物です」
「待ってください。どちらも同一人物なら、僕とそっちの僕も同一人物って事になって、話が食い違ってくるじゃないですか」
太郎が反論する。
「いえ、今の地球の皆さんは意識されずに使っておられますが、同一人物というのは、同じの時間の二人の間の関係を示す概念ではないんですよ。何しろ、同じ人が同時に二人居るなんてことは、今の地球では起こらないんですから。同一人物であるというのは、ある人が、過去のどの人から続いているかと考える時に使う概念なんです」
「うーん……」
煙に巻かれた気分が拭えない太郎だったが、言い返す言葉を思いつけずにうめく。
「そうだとしても、自然現象と人為的なコピーでは話が違うんじゃないですか?」
「ではもし、一人が全く対等な二人に増える自然現象だったら、どうされます?一つの入り口と二つの出口のある超空間洞窟で、中を通ると時空のねじれの悪戯でいつの間にか二人に増えて出てらっしゃる、というような。出口でご自分と出会われて、どちらが本物か話し合って決められますか?」
太郎の反論に即、応じる猫耳メイド。もしかしたら、説得マニュアルか何かが用意されていて、今この瞬間、世界中で似たような会話が繰り広げられているのかも知れない、と、太郎は思った。
「いや、そんなのあり得ないでしょ?」
太郎が言うが、猫耳メイドは笑顔を崩さない。
「ある……んですか?」
「こちらにお越し頂ければ、体験していただけますよ」
にっこり笑って猫耳メイドは言った。
太郎がカット&ペーストしあぐねている間に数日が過ぎた。
その間、何度も何度も、コピー&ペーストを繰り返しているのだが、猫耳メイドらから、コピーの送り込みすぎについて咎められるような気配はなかった。
「そういえば何のためにこんなことをやってるんですか?」
彼女らの意図が分からなくなってきて、太郎は聞いた。
「言うなれば調査です」
猫耳メイドはにこにこと答える。
「実は、私たちはずっと昔に科学を極めちゃいまして、それから結構長いこと、引きこもってたんですよ。無為に量子サイコロを振っては、たまに出てくる面白い出目のパターンを鑑賞するというのを唯一の楽しみにしてまして。そんなある日、『ウチュウノスベテヲハアクセヨ』と解釈できる数列が出てきたので、悪ノリして、じゃあやっちゃうか、ってことになったんです」
その部分だけ、いかにもな宇宙人イントネーションで言う猫耳メイド。
高尚すぎて一周回ってろくでもないというのか、なんともリアクションに困る回答だった。
やけくそな思いに駆られた太郎が『伝送』ボタンを押す。
……が、何も変化は起こらない。
やっぱり、ぎりぎりの所で『Shift』ボタンに手が伸びてしまっていた。
「空間をねじ曲げて直接繋ぐような方法は無いんですか?」
疲れ果てた表情で聞く太郎。
「無いことはないんですが、お勧めできません」
やっぱりな答えが返ってくる。
「まず第一に、双方にそれなりの設備が必要で、今の地球の皆さんではご家庭では建造ができません。もし作ったとしても、ご近所の原子力発電所から電力を全て買い取るぐらいでないと稼働させられず、それでも、開けられる穴は直径5mm程度です」
ご家庭で作れて動かせる『超空間物質伝送装置』とは桁が違うようだ。
「ちなみに、頑張って5mmの穴を通ってこちらに来られた場合でも、きちんと元通りに戻せることは保証しますご安心ください」
肝心な所以外のアフターサービスは良い猫耳。
「あと、ねじ曲げて繋いだ部分の空間の在り方が果たして信じられるのかという議論の決着が付いていないんですよ。空間の接合部を通り抜けるというのと、ただのドアをくぐるのとを真に同じ物理現象と見做しても良いのかどうなのか」
自分の脇に表示させた図解を示しつつ、猫耳メイド。もちろん、図解は日本人なら誰しもが見慣れた例のピンク色のドアだった。
「今の太郎さんのような伝送嫌いな方々のための技術ですから、その辺りは徹底的に検証されたんです。この宇宙の物理法則で検証する範囲ではただの繋がった空間なんですが、より上位の物理学で考えると空間そのものが分解、消滅、再構築されてる可能性が否定出来ないんですよ。結局、より細かくカット&ペーストしてるだけじゃないか?という疑問は解消できません」
更に数日。太郎は別のアイデアを口にした。
「脳の細胞を1個ずつ機械に置き換えつつ、こちらに残した脳細胞と送った脳細胞の間を橋渡しして、少しずつそちらへ送るようなやり方で……」
「それは、自身でも気付かないうちに徐々に自分が消えていくのと区別が付きませんよ?」
太郎の提案に即答する猫耳メイド。
「実際、そういうやり方を経た方が安心できるという方も少なからずいらっしゃいます。一部の方々が好む、一種の宗教儀式と見なされているんですよ。ただ、その途中経過は、自分の半分が既に失われているけれども、機械に上手く補完されているので残る半分はそのことに気付けていない状態、とも見なせてしまいます。その間を自覚しながら過ごすのは大層居心地が悪いとして、いまいち人気がありません」
そして、申し訳なさそうに付け加える。
「いずれにせよ、そちらの設備では難しいです」
数時間後に『伝送』ボタンが押されるように仕掛けをしてからベッドに潜り込んで寝る。
朝、目が覚めた太郎は、昨晩と変わらない風景に落胆した。もちろん『Shift』ボタンは、ガムテープで厳重に押さえつけてあったのだが。
何日かそんなことを繰り返し、そのたび、変わらない朝にため息を付く。
「何で入れ替われないんだ……」
こちらも向こうのコピーも寝る前の自分と同一人物だというのなら、何度も繰り返せば、1回ぐらいは何かの間違いで自分の意識が向こう、コピーがこちらで目覚めることがあっても良さそうなものじゃないか。なぜ、毎回確実に、自分の方がこちらに取り残されてしまうのか。
「ううう……」
『Shift』ボタンを睨み付ける。
衝動に任せてガムテープを掴み、一気に剥がす。
奥歯をかみしめ、右手を振り上げる。
これから自分は死ぬんだ……。そう考えてしまい、腕がすくむ。
心臓が暴れている。
途中で心変わりしても急停止できないよう、目一杯の力を込めて右手を振り下ろす。
「うわあぁぁぁ!!」
叫び声は自然に出るに任せる。
がん、と握り拳がボタンに当たった。
一瞬で目の前が真っ白になる。
……死んだ。
まず、覚悟したのはそういうことだった。
「わあぁぁぁ!!」
次に、自分がまだ叫んでいることに気付いた。
肺から空気を絞りきり、叫び声が止まった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
目を見開いたまま、浅く呼吸を繰り返す。歯はがちがち鳴っていた。緊張のあまり、体がこわばっている。今の自分は指先一本、動かすことはできないという強迫観念に似た何か。
「あら、太郎さん。いらっしゃいませ」
そんな太郎の様子を気にする風もなく、いつもの調子の声が聞こえてきた。ビデオチャット越しではない、始めて聞く、生の声。
「これ、どうぞ」
汗と涙と鼻水とでぐちゃぐちゃになった太郎の様子に驚くでもなく、それを笑うでもなく、ごく自然に手渡されるタオル。
「あ……ありがと……」
切れ切れに言うと、太郎は受け取ったタオルに顔を埋めた。
「うわあぁぁぁ!!」
もう一度叫ぶ。
しばらくそうして、何か吹っ切れた気がする。
「……ふう」
顔をタオルから上げると、猫耳メイドの横、空中にはビデオチャットの窓が浮いていた。
「うわっ!!」
慌てて目を逸らして言う。
「そ、それ、とっ、閉じて……」
目には見えないだろうが、空気にまで分解された自分が漂っているはずの空間など見たくはない。
「はい」
猫耳メイドがそれに応じる。
「改めまして、猫耳メイド星へようこそ、太郎さん。私たち一同、歓迎いたします」
猫耳メイドは、言葉通り改まってぺこりとお辞儀をした。
それからの日々は素晴らしいものだった。
およそできないことは何一つ無い。
享楽を求めれば求めただけ提供されるし、知識を求めれば、例によって猫耳メイドらのノリで作られたと思しき『完成版Wikipedia』を紹介された。邪馬台国の場所どころか、全地球人の家系図まで見れてしまうので好きなだけ大発見ができる。面白がって自分の家系図をどこまで遡れるのか試したが、いつまで経っても遡れる。埒があかないので表示を縮小していくと、地球最初の生命という表示が見えたので怖くなって止めた。地球のWikipediaでは未解決問題に分類されていた数学の難問のページを見ていたら、「分かるようにしましょうか?」と猫耳メイドに聞かれた。説明を分かりやすくしてくれるのか、自分の方を分かるようにするのか、怖いので断った。
同じように猫耳メイド星へ来ていた地球人らと一緒に、壮大な天文ショーを見て回った。一度、カット&ペーストの伝送を経験してしまえば、二度目以降には抵抗はなかった。銀河の端から端へ、更には別の銀河まで楽しみ尽くした。
苦行が苦にならなくなる薬を使って、百年ほど格闘技の鍛錬に明け暮れてみたところ、馬鹿みたいに動けるようになった。
時空がねじ曲がった洞窟というのにも行ってみた。面白がって通り抜けると本当に二人に増えた。しばらくは二人で過ごしてみようとしてみたが、居心地の悪さに耐えきれず、程なくコンビを解消した。
楽しい日々の中でふと思い、もしかしてと聞いてみた。
「いえ。過去に私たちや他の宇宙人の方々が地球の皆さんとコンタクトを取ったことはありません。浦島太郎は完全な創作でしょう」
そんなある日、太郎は地球からビデオチャットの通話要請を受け取った。
そういえば、家族や友人のことはほったらかしていた。世界中が大騒ぎをしているこの事態だから、なにが起こったかをわざわざ伝えなくても大丈夫だろうと考えていたという面もある。
相手が誰だろうと「こっちに来い」と強く勧誘するだけのこと、と思ったところで、思いもよらない通話相手に驚くことになった。
通話要請の主は、太郎だった。
「え?」
以前にコピー&ペーストで大勢送り込んだうちの誰かか、洞窟で別れた自分かが、地球へ戻ったのだろうか。
首をかしげながら地球の日時を調べてみたが、こちらに来てから二時間ほどしか経っていない。実は、こちらではずっと、猫耳メイド星人お勧めの時間加速フィールドを張って過ごしていた。遊び倒している間に200年が経過して向こうに帰れるようになったわけでもなさそうだ。
「あの時、太郎さんは、最後の最後に、左手で『Shift』ボタンを押されてたんですよ」
そう種明かしをしながら、猫耳メイドが現れた。
「ああ……」
そうとも知らず、自分が本物だと思い込んで、伝送後、脇目も振らずにはしゃぎ倒した太郎としては、少々、ばつが悪かった。
「なんで俺はそっちへ行けないんだっ!?」
自分を見るなり、言葉を荒げる、地球の太郎。
「うーん……こっちで過ごして分かったんだが……」
猫耳メイド星の太郎が答えた。
「例えば、地球のお前を眠らせ、冷凍睡眠させてこっちに連れて来たとする。その代わりに、お前のコピーを作って地球に持って行く。そして、両方をいっぺんに目覚めさせると、地球に送り込まれたコピーの方は、『どうして本物の俺は地球から離れられないんだ、コピーは易々とそっちに行っているのに』と嘆くことになる」
自分なりの答えを述べる。
「『コピーか本物か』という区別には意味がないんだ。どっちであれ、地球に『自分』を残すなら、そっちの『自分』が割を食い、『地球を離れられない自分』のポジションに落ち着くだけだ。言わばその悩みは、『どうして自分の居る場所は常に“ここ”なんだ!?』と無意味なことを言ってるのと同じなんだ」
その後もコピーの太郎は言葉を尽くして説得を試みたが、結局、地球の太郎を納得させることはできなかった。
これからもまだまだ、『自分』は『Shift』ボタンを前に葛藤を続けることになるのだろう。
説得を諦めてビデオチャットを切った後、猫耳メイドは太郎に向き直って言ってきた。いつも以上に悪戯っぽく笑っているように見える。
「実はですねぇ、『超空間通信装置』というのは嘘でして……」
そう言ってポケットから何かを取り出した。
「ジャーン!!」
「ん?」
猫耳メイドの手のひらの上には、実物を見たことはなかったが見慣れた青い玉。地球だった。
「今、お話ししていた太郎さんが住む地球です」
「地球……の映像?」
「いえ、実物です」
太郎があっけにとられていると、猫耳メイドが続けた。
「本物の地球の方々に接触して悪影響を与えるのも行儀が悪いじゃないですか。ですから、こんな風に、地球丸ごとコピーして、それを調査してたんですよ」
相変わらず事も無げに言う。
「うーん……まあ……」
リアクションに困って考え込む太郎。
「……良いんじゃないですか?」
いろいろと考えてみたが、特段、問題は思いつかない。既にカット&ペーストまで何度も体験済みの今の自分としては、どこがどうコピーされたとしても、どうという気にもなれない。
唯一、思うところがあるとすれば……。
「このことを、あっち……いや」
宇宙の果てを指差そうとして、やっぱり猫耳メイドが持つ青い玉を指さして言い直す。
「えっと……そこ?」
こくこく頷く猫耳メイド。
「……の俺に、このことを伝えても?」
自分が既にコピーされた存在だと知れれば、あの可哀想な自分も、カット&ペーストをずいぶん受け入れ安くもなかもしれない。だが、そんな、ドッキリの種明かしのような無粋な真似を働いても良いのだろうか?
「はい。結構ですよ」
猫耳メイドはにっこり笑って言った。
「まだまだ予備はいくらでもありますから」
そう言って反対のポケットからじゃらっと取り出したのは、いくつかの青い玉だった。
冒頭の主人公の悩みは、著者がある日ふと気付いて絶望した考察そのものです。
もしかしたらある日、異星人か異世界人が召喚する対象として自分を選んでくれる幸運に恵まれるかも知れない。でも、その場合でも、召喚方法としてコピーが使われたとすると、向こうへ行けるのはコピーの方で自分ではない。ただでさえ機会が少ないと思われる異星・異世界召還なのに、召喚主が選んだ方法によっては、自分が対象に選ばれてなお自分が行けないことが最初から確定してしまう。なんと不条理な、と。
もしチャンスに恵まれた際に、何とかしてコピーの代わりに自分が行く方法は無いかと悩みに悩んで得た考察結果を、上記の通り纏めてみました。