死んだら、放っておいて欲しい人がいるということ
自分勝手かもしれない。でも、何もされたくない。今もそうだから。誰にも干渉されたくないタイプ。そういう人もいるということだ。
みんながみんな、送って欲しいわけではない。死んだら、なおさら、誰かの手間を掛けたくない。時間をとらせたくない。いない場所で、何かされるのも嫌だ。
送り出して欲しい、と思うことが普通なのは分かる。でも、人の愛を苦手とする人もいる。人を強く愛せない人もいる。だから、こういうしきたりは、好きではない。
もちろん、逆の人がほとんどだ。だから、あっていい。お祝いなどの式も、契約を交わすことも苦手だ。かしこまっているものが、苦手なのだ。だから、葬式をしない選択肢も欲しい。
やらなければいけないとなったら、本当に、本当に最小限でいい。誰かのお葬式と、自分の葬式は全く違う。自分のときに限っては、苦手というだけだ。
誰かの目線が好きではない。誰かの心の目線も好きではない。大勢側と、ひとり側では注目度が違う。
大勢側では、気持ちを巡らせられる。でも、ひとり側のプレッシャ一は強い。ひとりに何人もなんて柄じゃないし。
先すぎる予定などが、いつも心臓を締め付けてくる。友達に一ヶ月前に遊びの予約をされたら、バクバクが一ヶ月続く。
病院の予約も、前々から決まっていると、ずっと息が薄くなってしまう。だから、葬式もそうだ。
葬式されると思って生きていたら、今でもずっと不安が溢れてくる。死んだ後に、葬式があるのは予定で決まっている。必ず来てしまう。必ず来てしまうものは、恐怖しかない。
誕生日でさえ、やや怖い。本当に、常識を変えてほしい。葬式をしないことを、了承してくれる世界にして欲しい。少ないと思うが、幾人も死後にそっとしておいて欲しい人はいる。
相撲の土俵は危ないが、改善されない。あんなに高い土俵では、ケガのリスクがある。
高いがゆえに、落ちて負傷し、選手生命が絶たれた力士もいる。伝統だからといって、改良されないものは、他にもたくさんある。
伝統か、安全か、それはもう安全の方をとりたい。見栄えというのもあるだろうが、それも安全には勝てない。
葬式を自由選択にするのは、伝統があるので難しい。百年以上続いた、しきたりなどの改定が行われない限り、葬式をしないのは無理だ。
今から死ぬまで、プレッシャ一が掛かり続ける。言い方はよくないが、死んだら晒される訳だから。ずっとモワモワだ。
死にたくない理由が、死後に深く関わってくれる人の反応とか、少し注目されることに対する不安、とかになる。
心配性にそれが、ずっと、のたれかかってきて、気持ちよく死ねない。死んだら放っておいて欲しい人がいるということ。それを、みんなに少し分かっておいて欲しい。