ミクレアの事情
◇
しばらく時が経ち、ジルユードがアルマリスを引き連れて小屋に入ってきた。マカンはいないな。他人に見せられない連中の隔離に動いているのだと思っておこう。
「久しいね、ミクレア殿」
「お久しぶりでございます、ジルユード様。最後にお会いしてから4年程になりましょうか?」
「それほどになるか。なるほど、記憶にある君の姿よりずいぶんと大人びている筈だね」
「それはジルユード様の方でございましょう。とてもお美しくて、凛々しくて、眩しいぐらいですわ」
2人は顔を合わせるなりにこやかに軽く挨拶をかわした。ただそれほど親しみを感じるやりとりではなかった。社交辞令にしか聞こえない。後ろに控えるアルマリスが若干警戒心を持っていることもそう感じる一因だ。
王都に長年滞在していた貴族の令嬢同士、顔見知りであるのは当然なんだろうが、だからといって親しいかどうかは別問題ということか。ミクレアはともかくジルユードは変わっている方だしな。
それに4年ぶりの再会というのも年齢からするとかなり長い間疎遠だったことになる。……ああ、ジルユードが自宅で軟禁されてからは会ってないとすればそんなものになるのか。
考えてみれば貴族でなくなった落ちぶれた女と、今も貴族の上位に位置する女との対面でもある。勇者がいた頃はミクレアの方が勢いがあったかもしれない。色々と思うところもあるだろう。
挨拶をかわしてからジルユードは慣れた様子でミクレアの正面の地べたにドサッと腰を下ろした。ミクレアの後ろには彼女の同行者たちが思い思いに座り、沙汰を待つような神妙な顔つきで2人の言葉に注目していた。
ミクレアの関係者ではなくあくまでオージの部下であるボイだけは少し距離をとって座っていた。部外者だから話に加える必要もなく、外に出すことも考えたが、それで村の中を動き回られても困るのでとりあえず邪魔にならないようにしてもらっている。
「それで、早速だがこんな所までやってこられた用向きだが」
「はい。それに関しましてはまずはこちらをご覧ください。私がここ3年ほど世話になっておりましたダンクルマン老子からお渡しするように預かった書簡でございます」
「ダンクルマンか。君が世話になっていたとは知らなかったな。拝見しよう」
ダン爺さんが世話をしていた? 俺も知らなかったぞ。別に言う必要が無いと判断したんだろうが……。
ジルユードは丸めた書簡を受け取り開封し、さっそく目を通しだした。
読み進める度に段々とジルユードの目つきが険しくなっていく。そしてチラリチラリと視線が向くのがミクレアの傍らの幼児だった。やはりあの子が話の鍵を握っているようだ。
「……ビィ。貴様はこの内容は?」
「知らん。来訪目的もまだ聞いていない。ただなんとなく察するところが無いとは言わん」
「読むが良い」
苦虫を噛み潰したような表情のジルユードから書簡を受け取った。あまり読みたくないんだがな。貴族の嗜みとして交渉術を叩き込まれているジルユードがこうもあからさまに顔色を変えている内容だ。良い話の筈がないのだから。
「ミクレア殿。だいたいのところは理解したが、やはり当事者である君の口からも直接何を考え何を望んでここに来たのかを聞いておきたい。いくつか質問もあるので答えてくれ」
「それはもちろんでございます」
恭しく頭を下げてから語りだすミクレアの言葉を耳にいれつつ俺は書簡に目をやった。
「…………なるほど」
そして読み終わった時には俺も苦々しい表情をしていたに違いない。ある意味予想通りであり、ある意味予想よりもっと悪い。
ダン爺さんは勇者の変事の後、行き場を無くしたミクレアを自分の故郷の村に匿い世話を焼いていたらしい。
彼は貴族ではないが王国一の大魔術士で地元じゃ名士だ。貴族の権威が失墜しつつある現在においては下手な貴族よりよっぽど力を持った個人でもある。女子供を一人二人匿うぐらい大した負担ではないだろう。
いや、はっきり言えば勇者絡みの被害者とも言えるミクレア嬢を見捨てられなかったに違いない。例え彼女が勇者の子供を妊娠していたとしてもだ。
「この子は私と勇者様――ユーキ様との間に授かった息子で、名前はリードと申します。ほらリード、ジルユード様にご挨拶なさい」
「……あ、あにょ、ぼく……りぃど」
そう、やはりあの黒髪の幼児は勇者とミクレアとの間に産まれた子供だったのだ。そう思うと可愛らしさよりも奇妙な悪感情が先にくる気がする。
それはリード本人の責任ではないので良くないことだとは思うが……とんでもない騒動の種が転がりこんできたと感じているのが本音だった。
勇者の変事によって王国が混乱している時ならまだしも、少し落ち着いてきた今だからこそその厄介さが際立ちつつある。なんと言ってもダンクルマンともあろうものが匿いきれないと判断したぐらいだ。
勇者の遺児。
父親である男は救国の英雄であると同時に比類なき大罪人。
ミクレアがダン爺さんに匿われたのがまだ出産前だったので彼女が子供を産んだことを知っている者がどれほどいるのかは不明だが、恐らく今はまだそう多くはないのだろう。広まっていたならそれこそ大きな騒動になっていた筈だ。
まだ幼児であるリードにとっては可哀想な話ではあるが、勇者の血を引く子供などそれを知った連中が放っておく訳がないからな。
純粋に勇者を尊ぶ気持ちから大事に思う者もいるだろうが、問題なのは政治的に大きな影響力を持っている点である。
そんな勇者の子供に向けられる動きは大きく分けて二つ。
将来の禍根を断つためにも殺してしまえという連中と、反王家の象徴として担ごうという連中がいる。
殺してしまえというのは過激に思えるが、勇者の起こした事態を考えればその親族は女子供に至るまで皆殺しにされていてもおかしくなかった。つまりバランスト家への処遇は甘かったとも言える。
もっとも、ほとんどとばっちりのようなものだったし、国内が混乱しててまともな施政そのものが難しい時だったからこれですまされた。そしてすませた以上は今更罪には問えない。だから大っぴらに殺すことはできないだろう。
だが殺してしまえと主張する者はいて当然。なぜなら勇者の子供は反王家の神輿になりうるからだ。
「この子が辛い立場であることは重々承知しております。しかしダンクルマン老子の膝元ならば易々とは手を出されることはない、そう思ってユーキ様の遺してくださったリードを育ててまいりました」
勇者――本名は確か……そうだ、マツヤマ・ユーキだ。
マツヤマが姓でユーキが名だというから王国の名前とは逆だな。河童のセイジロウの生国も姓が前に来る風習のようだから異世界ではそれが普通なのかもしれない。
ただまあ勇者に関して言えばこの名前にはそれほど価値はない。俺も勇者を名前では呼ばないし、たいていの人々もただたんに『勇者様』と呼ぶんだ。名前なんてどうでも良いとばかりに。というか名前を聞いたことがない人たちも多いんじゃないかな?
もちろん誰もが名前を呼ばなかった訳ではないが、マツヤマ様とかユーキ様とか呼ぶ奴はごく少数だったのは間違いない。勇者自身も勇者様とか勇者殿と呼ばれて喜んでいたし気にしていなかったように思える。
王国が期待していたのは勇者としての力だけであり、そいつの本来の能力だとか人格だとかにはほとんど興味や敬意など持っていないということの現れだったということを理解できなかったんだろう。
だがそれだけに勇者という呼び名の方にはとてつもない価値があった。勇者が大罪を犯したと触れ回られても人々に実感が伴わないぐらいには。
勇者の凶行の理由として有力だと信じられている説が、魔王の呪いだとか魔族に操られていただとかいう事になっているのもそのために違いない。勇者が悪いのではない、魔族が悪いのだという風に捉えたがっている人々が多いということだ。だから未だにユーキのことを勇者様と呼んでる奴も珍しくない。
勇者というのは偶像なのだということが良くわかる。
御伽噺などに出てくる神の使いとも言われる架空の英雄。実際に勇者を目にした者も、そのありえない力の前には逆に現実味を感じなかっただろう。同じ人間であるなんて信じられなかったかもしれない。
だから大罪人となっても王宮が思っていた以上に勇者の名に傷はつかなかった。むしろ勇者の変事によって起こった大混乱は王家の名をこそ貶めた。今にして思えば勇者を罪人としたのは悪手だったんだろう。
「ところが……ウランダ公爵の手の者が私とこの子を探しているとダンクルマン老子から告げられ、このままでは匿いきれないと」
そして今一番問題なのが、実際に勇者の子供を神輿に担いで王家を打倒しようとする連中が現れたことにある。
「ウランダ公、か……」
「ジルユード。公爵といえば最上位の大貴族だよな? だというのに聞いた覚えが無い名だが。何者だ?」
「うむ……。僕も公爵本人についてはそれほど詳しく知っている訳ではないがね。ウランダ公は最北端にあるウランダ領を治めておられる御方だよ。現当主はディングラン・リンド・ウランダ。3代前、ああいや4代前の王弟殿下が祖になる」
「その公爵様は例の変事で代替わりしたのか?」
「いや、ウランダ公はそれには巻き込まれていない。戦時中はずっと自領に閉じこもっておられたのだ。10年以上もの間連絡をとりあうこともできず、王都ではすでに魔物に蹂躙されウランダ領は滅んだものと考えていた。戦後1年ほどたってようやく無事であることが確認されたのだよ」
「なるほど」
魔物の大群を引き連れてきた魔族によって王国は王都のある半島以外はほぼ壊滅状態に陥ったが、カモル男爵領のように難を逃れた地域も少なからずあったのは知っている。ウランダ領もその一つということだな。
それからジルユードが知る限りの話を聞きだした。
ウランダ領は大陸最北に位置する極寒の地。その北は波風荒く凍ることすらある海で、南は高い雪山越えを要求される辿り着くのも困難な土地らしい。
なんでも犯罪者を送る流刑地として使われてきた土地であり、政治的な理由によって死刑を免れた罪人も多く、囚人によって強引な開拓もかつては行われたようだ。その甲斐あってか、かろうじて人が生活できるようにはなったらしいが、この土地での生活は過酷なものであることは想像に難くない。
「その公爵様が勇者の遺児を担ごうとしている、ということだよな?」
「そのようだね」
「……王族に連なる者だろう? なぜわざわざこの時期に混乱を深めるようなことをする?」
「ウランダ公の祖は、王位を巡った争いに敗れて王都から遠く離れた僻地の領主に任じられたのだよ。それでも腐っても公爵領、ある程度の自治が認められていたというか見放されていたというべきか、とにかく王国の一部でありながらかなり異質な存在となった。わかるか? 成り立ちから当然とはいえ、公爵家という大貴族でありながら冷遇され続けていたのだ」
「つまり恨みか?」
「どうだろうね。勇者の遺児を神輿に据えるというのなら、現王家を否定して乗っ取りをかけてくると思うが」
「…………」
そう言えばジルユードがこの村に来た時に言っていたな。王家の転覆を計画している組織があるのに手が出せない的なことを。ウランダ公がそれか。
確かあの時は大戦の英雄扱いになっている俺を担ごうとしている連中の話だったと思うが、その目が勇者の遺児にも向けられたんだな。
「乗っ取りなんて、できるのか?」
「……残念ながら、不可能とは言えないね。なにせベークルッサ陛下はお立場が弱い。もちろん正当に王位を継承してはいるのだが、4男でしかも側室の子だからね」
国王ともなると王妃となる相手も相応の家系の出でなければならないが、側室となるとその家格も下がるものだ。正室である王妃よりも良い出の女性が側室になると揉める原因になる。なにせ実家の力が強いと欲が出て側室が自分の息子を次期王にしようと画策し騒動を起こしかねないからな。
ベークルッサ陛下の母親はどこかの伯爵家の出だったと聞く。俺からすると他の貴族たちと違いなど実感できないんだが、伯爵同士でも上下はあるし、上には公爵や侯爵といった高位の貴族もいる訳で、そういった家格の者からすると伯爵家から嫁いだ女が国王の実母として振る舞うことにも憤りを感じるらしい。同時に陛下への忠誠も薄れるというものだ。
国が乱れているんだから一致団結しろよと言いたいが、高位貴族のほとんどが急遽代替わりし、新たな当主となった奴らは必至になって代々続く由緒正しき貴族たらんと自分たちの家格に相応しい立場を求めるらしい。
それでこんな状況になってもお互いに牽制し見栄を張り足を引っ張り合ったりしていると。
……やっぱり好きになれんな貴族という奴らは。
「それに加えて今の国の情勢によって現王家の土台そのものが揺らいでいる。そこに数代前に枝分かれした王族の分家が現王家の責任を追及し、さらに自身の家系こそがかつて不当に追いやられた正当な王家の末裔であると名乗るのだ。勝ち馬と見えればついてくる者たちは出てくるだろうよ」
「妄想の類ではなく現実味があるということか……」
ああ、やはりとんでもなく厄介な話になってきやがった。
俺はなあ、落ち着いてマカンを魔王に擁立することに集中したいんだよ!
……恨むぞダン爺さん。




