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魔王ちゃれんじ  作者: 大谷融
第一章 ビィとマカン
9/108

マカンの試練

◇◇◇◇◇◇



  ◇


 戦いはいつも唐突に始まる。


 決して油断していた訳ではない。

 いつ襲われても対応できるように常に周囲に気を配り、今襲われたらどう動くべきかの脳内シミュレーションも怠っていない。

 しかしいつまでも集中力を切らさないで完全な警戒態勢でいるのも不可能だった。

 本人が意識できない無意識の隙間を奴らはついてくる。


 勝敗はいつも無情だ。

 敗者に残されるものなどはなく、勝った側が全てを奪い去っていく。


 マカンは今日も蜂蜜を黒ウサギに舐め尽くされた。




「……なんでえ?」


 ぼうぼうと伸びる雑草の中に仰向けに倒れ、マカンはさめざめと泣いていた。

 今日も勝てなかった。

 オヤツに持たせてもらった蜂蜜入りの革袋は奪われ、取り戻した時には中身は空になっていた。

 奴らは今も勝ち誇ってマカンの周囲を飛び回っている。


 油断していたつもりはなかった。

 しかしいつも黒ウサギはマカンの意表をついてくる。

 マカンがビィから聞いた黒ウサギの生態だと、奴らはすぐ死ぬクセに繁殖力が弱いためあまり多きな群れにはならないと言っていた。

 なのに今日マカンは10匹近い黒ウサギに襲われた。最初は5匹しか視界にいなかったのだ。それでも多いぐらいだと思ったから、他にもいるとは思わなかった。


 マカンは獣の襲来には敏感だ。

 敵意や殺意といった気配を察知し、事前に警戒態勢をとることはなんてことのない当たり前のことの筈だった。

 しかし奴らにはそれが通じない。

 まるで気配なく近づいてくるのである。

 いつの間にやらマカンの側で機を伺い、ちょっとした動作の中で生まれた隙にピンポイントで攻撃を繰り出してくる。例えばマカンが歩いている時、その軸足の膝裏に飛び蹴りをかましてくるのである。

 これによってマカンは今日も仰向けでお休みなさい。

 顔や腹の上に乗ってくる黒ウサギを払っているうちに気がつけば革袋を結んでいた紐が食いちぎられて持ち逃げされてしまった。


「……なんでえ?」


 悔しかった。

 なぜこう何度もしてやられるのかがわからなかった。


 マカンという魔族の少女は将来魔王になれる器である。

 幼くはあっても凡才とはほど遠く、身に宿した魔力は強大で、すでに命のやり取りすら乗り越えて戦いにおける気構えも身に着けている。

 まだそれほど長い付き合いではないが、ビィという指導者を得て戦う術にも磨きをかけていた。凶暴な獣や魔物相手でも戦って勝利できるだけの下地ができていた。


 なのに黒ウサギに勝てない。いつも集団で襲われているとはいえたかがウサギだ。なのに勝てない。


「……げせぬ」


 泣いてばかりではいられない。

 どれだけ大泣きしたって盗られた蜂蜜は帰ってこないのだ。

 昨日もビィに経緯を話し、蜂蜜をもう少しくださいとお願いしたところ返ってきたのは「ウサギに勝ってから言いなさい」との無情な一言だった。


 ならば翌日は蜂蜜をもらった直後に味わいつくせばいいのではないだろうか。

 そうも思ったが、それではなんだかウサギに負けた気がする。負け続けている訳だが。

 ビィに言われたからではないが、マカンも黒ウサギに勝ちたかった。勝って蜂蜜を味わいたかった。


 そして今日も敗れたのだ。


「……うさぎ、つぎのまおうにおなり」


 などと馬鹿な事を呟きながらトボトボと小屋へと戻っていくマカンを黒ウサギたちがつぶらな瞳で見送っている。マカンは明日も期待しているぜ、と誰かが言っているような気がした。



  ◇


 マカンはついにその晩、師であるビィにどうして黒ウサギに自分が勝てないのかを尋ねた。

 そんな筈はないのだ。仮にも次期魔王を目指す自分がこの程度の敵に勝てない筈がないのだ。いや、あってはならないのである。

 しかし結果はこの通り。どうにもそれが納得できなかった。


「簡単に言うと、マカン、おまえがいい子だからだ」


「……わかんね」


「そうか。でも俺はおまえがウサギに勝てなくても面白いからかまわないぞ。可愛いし」


「うううううっ」


 ビィは頼りにならなかった。

 しかし見放された訳ではなかった。ビィは明らかにマカンの反応を楽しんでいる。ウサギに負け続けていることにも落胆させていないと知って、それだけは少しほっとした。なんの解決にもならなかったけれど。


「ビィせんせは、おそわれね?」


「黒ウサギは基本的には人を襲うようなことはないぞ。俺が知ってる例外はおまえだけだ」


「なんでえ……?」


「いや泣くなよ。なんでかっていうと、おまえ、ウサギに完全になめられてるからかな」


 マカンがウサギに勝てない理由。

 これをビィは観察を続けて正確に見抜いていた。

 最初に言った通り、マカンがいい子だからというのがそれだ。


 マカンは肉を食べるのが好きだ。

 だから狩りをすることにも否定的な考えなど持ってはいないし、自分から率先して動物を狩りたいと言い出すこともある。黒ウサギだって最初は殺して食べるつもりだった。

 しかしそれとは別に無益な殺生を好むタチではなかった。


 食べるために殺す。自分の命を脅かそうという相手を返り討ちにする。どうしても共存できそうもない相手を殺す。こういった事はやむを得ない。しかしそうでない相手を殺したいとは思わない。

 黒ウサギはマカンの敵だった。しかしウサギたちにはマカンを害す力などはない。ちなみにいうと害を及ぼそうという考えすらない。だから敵意や殺気に敏感なマカンも警戒心を維持できないし、ウサギの行動に対応できないのだ。

 ビィからは黒ウサギは益獣であると聞かされた。住処の近くにいついてくれているのは良いことなのだと。

 そして黒ウサギはか弱く死にやすい動物であるとも聞いた。

 それらが合わさって、マカンは無意識のうちに黒ウサギを傷つけないように気をつけていた。


 極端な話、仮にマカンが自分の近くにいる黒ウサギを全て殺そうと思ったなら、それは至極簡単に実現する。怪我をさせてもかまわない、死んでしまってもかまわないという心構えでいたならば、群がるウサギたちを薙ぎ払うことはいつでも可能だったのだ。

 しかしそれができないのがマカンであったし、それを好意的にとらえているのがビィだった。


「マカン。黒ウサギたちと仲良くおなり」


 ただ現状は害がないから笑ってみていられるが、魔王となるべき存在が弱者になめられるなんてことは本来あってはならないことだ。

 ビィとしてはこの黒ウサギとの戦いでマカンに圧倒的弱者との付き合い方を学ばせようと画策していた。



  ◇


 それから数日。

 マカンの連敗記録は更新され続けた。


「……なんでえ?」


 仰向けに寝転びながら両手足をばたつかせて泣きじゃくった。

 鬼気迫るものがあった。いつもはマカンの周りで勝ち誇っているウサギたちも離れていってしまった。

 もう何日も蜂蜜のあの甘さを味わっていない。

 そして今朝ビィに言われたのだ。もうそろそろ蜂蜜が無くなりそうだと。初日以外ほとんど口にしないまま蜂蜜の供給が止まってしまう。ほとんど全てウサギに奪われてしまったのだ。

 実のところ消費量を絞っていたのでまだ蜂蜜はとうぶん尽きることはないのだが、ビィなりにマカンに発破をかけたつもりであった。

 それがマカンに意識の変革をもたらすことになった。


 ウサギに勝ちたかった。なぜ負けるのか考え、それを覆したかった。

 しかし今優先すべきはそんなことではないような気がしてきた。

 なぜ自分がこれほどまに悔しい思いをしなければならないのか。なぜ自分がオヤツを全て奪われなければならないのか。

 全て黒ウサギたちのせいだ。

 奴らは本当に益獣なのだろうか?

 だんだんとマカンの中で憎しみが育っていった。


「あすはぜったい……」


 マカンの中で明確な意識の変革が起ころうとしていた。




 翌日。

 マカンは覚悟を固めていた。

 今日こそは絶対に蜂蜜を奴らには与えないと。

 黒ウサギが近付くことすら許さないと。

 全方位に気を配るだけでなく、全身に魔力をみなぎらせて臨戦態勢を貫く。視界に黒ウサギが入ってきただけでも親の仇を見つけたかの如く睨みつけた。


 後ろからいつもは気付かないような微かな気配を感じ振り返る。

 ビクッとして接近を止めた一匹の黒ウサギがマカンを見上げていた。今まではマカンの視線など全く気にした様子もなかった恐れ知らずのウサギたちも、今日のマカンの気迫には何かを感じ取って近寄ることができなくなった。


 マカンにしてもこれ以上ウサギが寄ってくるようなら躊躇なく攻撃するつもりだった。

 次期魔王たる自分を散々コケにしてきた報いを受けさせなければならない。などと考えていた訳ではなかったが、かなりのイライラが溜まってしまっていたためにウサギに対する気遣いなど不必要なものだと考えるようになっていた。


「くるならこい」


 絶対に容赦しないという断固たる意思を固め周囲を見回す。

 そして近寄ってこようとする黒ウサギがいないことを確認すると、地面に座って腰の革袋に手を伸ばした。この瞬間が一番危険だ。蜂蜜の甘い匂いが解放され拡散される。奴らはこの匂いで理性をかなぐりすててマカンを狙う獰猛な獣へと成り変わるのだ。


 案の定だ。雑草の茂みの中にピョコンと一匹のウサギが顔を出した。マカンの鋭敏な感覚は他にも複数の獣が近付こうとしていることを察した。


 ギュッと拳を握りしめた。

 マカンの強大な魔力は周辺に薄く拡がりウサギたちの挙動すらも正確に伝えてくる。ウサギたちはマカンの魔力を感じ取って近づくのを完全に断念していた。まるでこの魔力に触れているだけで首を締められているような錯覚を感じたのだ。

 肉食獣から積極的に襲われることがほとんどなく、殺される恐怖を知らない黒ウサギたちが明確に危険を感じ取ったのである。


 一匹、また一匹と黒ウサギたちはマカンから離れていった。


「…………」


 それを知ってなおマカンは警戒をとかなかった。

 左手で革袋の中に指を突っ込み、蜂蜜をすくって舐める時にも黒ウサギの襲来を予想し身構え続けた。

 久しぶりの蜂蜜の味が口の中に拡がってきた。

 甘い。美味しい!

 頬が緩みたまらず舐めることに集中したくなったが、ぐっとこらえた。この油断がダメなのだと。


 その日、マカンは初めて黒ウサギの妨害にあうことなく蜂蜜を独り占めした。




 それから3日たった頃にはマカンの周りに黒ウサギは近寄ってこないようになっていた。

 マカンと目が合うと慌てて離れていくようになったのだ。


「…………」


 だから今日も蜂蜜はマカンのものだ。

 奴らにはこれを奪うだけの気概はない。

 マカンが鋭く睨みつける必要もない。魔力をみなぎらせる必要もない。なんの警戒も必要ないのだ。なにせ奴らは近寄ってこないのだから。


「…………」


 試しにマカンは革袋の口を開いた状態で地面にゴロンと寝転がり、両手足を広げて目を閉じてみた。以前ならこれだけの隙をさらせば奴らはマカンに殺到してきていたことだろう。

 しかしもうそんなことは起こらなかった。

 もはや奴らは脅威たりえない。

 マカンは勝ったのだ。黒ウサギたちに勝ったのである。


「…………」


 しかし蜂蜜を1人で味わいながらもマカンの胸中に勝利の喜びはなかった。


 マカンは小さな木皿を取り出すと、革袋に残った蜂蜜を絞り出して木皿に垂らした。

 その木皿を目立つところに置いてからその場を離れる。

 十分に距離をとったところで木皿の監視だ。

 すぐには変化は訪れなかった。小一時間ほど経過してようやく黒ウサギたちが木皿の周囲に集まりだしてきた。ウサギたちは誰かが蜂蜜を独占するでなく、ひと舐めしては交代しみんなで蜂蜜を分け合っていた。


「…………」


 マカンはそれをじぃっと眺めていた。



  ◇


「何匹か殺してしまうかと思ったんだがな」


 この村に拠点を構えて1ヶ月ほどが経過した。

 ビィはそのうちマカンが黒ウサギの襲来にストレスを爆発させて大暴れし、ひ弱なウサギを何匹か殺してしまう展開を予想していた。それから改めて自分とウサギたちの力の差を認識し、どのように付き合っていくべきかに悩むのではないかと思っていた。


 しかしそうはならなかった。マカンはウサギたちに対して一度は断固たる対応を決断したが、けっきょく一度も暴力を振るわなかった。


 だからだろう。

 一旦は止まった連敗記録も、近いうちにまた塗り替えられそうな様子だ。


「ま、いいか」


 ビィの視線の先でマカンは仰向けに倒れてウサギに革袋を奪われていたが、逃げ遅れた1匹はマカンに捕まって抱きしめられている。


「つかまるとはおろか」


 マカンは楽しそうに笑っていた。

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