第○○回、お泊りの日
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「おとまり、おとまり~」
今日マカンはお泊りの日だった。
ジルユードがリールをビィの元へと行かせ、代わりにマカンを引き受け一夜を過ごす日のことである。
マカンはなぜ時折りこういう日があるのかは理解していないが、たまのイベントとして楽しんでいるので気にもしていなかった。
それにジルユードはビィよりもずっと身なりの清潔に気を付けているため臭いが気にならないのが良い。
「ねえちゃ、およばれした」
「やあよく来たねマカン。いらっしゃい」
ジルユードもマカンと一緒に寝るのは決して嫌ではなかった。
抱き着き癖があり甘えてくるマカンは年の離れた妹ができたような気がしてかまってやりたくなる。
侯爵家の令嬢である彼女はこうして小さな子供と接する機会がほとんどなかった。周りにいる者はたいてい彼女に傅く立場であるため気安く接することもない。だからこうして身分というものを気にするつもりが全くないマカンとの触れ合いは新鮮で刺激的でもあったのだ。
「アルマリス、何か飲み物を」
「畏まりました」
ジルユードの私室は女性用に建てられた家の中にある。その部屋は11人が住んでいる家の面積の3分の1以上を占めており、アルマリスと2人で使っているとはいえずいぶんと贅沢なものであった。
もっとも他の住人たちはシスティを除けば奴隷ばかりで雇い主であるジルユードとは立場が違いすぎる。それにその立場ゆえに他者に触らせたくない私物も多いので仕方ない一面もある。
そのジルユードの部屋には中央部と壁際にベッドが二つ。壁際の小さなベッドは窓からの侵入などを警戒してアルマリスが普段使用している。護衛も兼ねている侍女のアルマリスとしては扉の側も警戒したいところではあるが、そちらから入ってくるには他の女性たちが生活している空間を通らないといけないうえに閂もかけられるため、より危険なのは窓際だという判断だった。夏の暑さを考えれば窓をつけないという選択肢もなかったのだ。
「マカン、まずは寝間着に着替えるがいい。その汚れた服でベッドに上がられるのは困るからね」
立場ある者というのは周囲からどう見られているのかを常に意識しなければならない。たんなる見栄を張るという話ではなく、人を従え仕えるに値する人物像を保つのは人を率いていくには必要なことだからだ。上に立つ者が見すぼらしくては下につく者たちをも貶めることになりかねない。
だからジルユードもこんな僻地にやってきた今もそれなりの数の衣類を所持していた。部屋の一画は衣装棚となっており、そこからジルユード用にしては小さな服をとりだしマカンに渡した。
「おきがえー。おけ」
マカンはいそいそと着ていた普段着を脱いで受け取った服に着替えた。
その服はジルユードの古着をマカンの寝間着用にと手直しした服だ。薄手の布地の上下のセットで、シンプルな長袖と長ズボンタイプである。手直ししたといってもまだずいぶん丈が余っているが、寝間着であるのでゆったり感があるのも悪くない。色気や可愛げはないが、上等な布が使われていて着心地は良かった。
可愛げがないと言えばジルユードの着ている服も大差ないものである。
普段男装していることの多いジルユードであるが別に女であることを捨てている訳ではない。実家ではそれなりにおめかしすることもあるし、可愛い物や色気を振りまくような寝間着も好んで着用していた。
ただこの村では万が一に備えて人目に晒せないような恰好はする気がなかった。刺客として村にやってきたランバーの件もあるが、単純に村に住む男に襲われる心配もしているのだ。
その警戒対象の筆頭に来るのが現婚約者であるというのはジルユードからすれば当然で、ビィからすればありえないと苦情を言いたくなる話であった。
「ジル様、マカンさん、どうぞ」
アルマリスが冷めた茶の入ったカップを運んできてベッドに並んで座る2人に渡した。茶は香りの良いハーブティだ。カフェインのような覚醒成分は入っておらず、気分が落ち着き良く眠れるようになる。
「ありがとうアルマリス」
「アルねえちゃ、ありがと」
アルマリスは一礼すると一歩離れた。
「さあマカン。寝る前に今日も少しお話をしようか」
「おけ」
マカンは頷きながらちらちらとジルユードと手にもったカップに視線を行き来させた。何かを期待するかのように。
「ふふ。これかい?」
期待しているのはオヤツだろうとジルユードにも見当がついていた。壺の中から飴をつまんでマカンに見せた。
菓子の類は高価な物であり、ここでは街に買い出しに行くこともできないのですでに手持ちは少ない。そのためあまりほいほい与えることはできないが、こういう餌があればマカンは実に扱いやすいので、笑みを浮かべているマカンの口に飴を運んであげた。
「あまーっ」
「噛まずにゆっくり舐めるのだよ」
ちなみに話が終わったらあげようといった報酬のようにしてしまうと、マカンは早々に話を切り上げることに必死になるので先にあげることにしている。
「マカン。最近は鍛錬の方はどうだい?」
「もーまんたい」
「……確か、問題ない、という意味だったかな? 君は時々変な言葉を使うね。それは魔族の言葉かい?」
「? ビィせんせは、ほうげんみたいなもんっていってた」
「方言、か」
リーン王国の国土は広く、地方ごとには当然のように方言というものがある。中にはひどい訛りで何を言っているのか理解しがたい方言を使う地方もあるという。
だが魔族であるマカンが全く異なる言語を話すのならともかく、王国民と同じ言語を話しているということには前々から疑問があった。口足らずなところもあるので習っている最中かとも思ったが、その場合は教えている筈のビィと違う方言を話すのもおかしいのだ。
「マカンは誰から王国の言葉を習ったんだい?」
「……おうこくのことば?」
「こうして僕とお喋りしているだろう? その言葉は誰から教えてもらったのか教えてもらえないかな」
「んー……じいちゃ? それと、さとのみんな」
「マカンの故郷で習ったということかい?」
「おけ」
「里の者は皆王国の言葉を習うのかい? それとも限られた者だけが習ったりするのか?」
「? みんながはなしてる」
「…………そう、か」
どうやらマカンの故郷の里では訛りはあれどリーン王国の言語が普通に使われているらしい。奇妙な話に思えるが、ジルユードはマカンの故郷は王国領と魔族領を隔てる境界山脈の中にあると聞いたことを思い出した。見た目が人間と見分けがつかないこともあり、そこでマカンたちが以前から人間と交流を持っていた可能性に思い至った。
「ああ、ところで前から聞いてみたかったことがあるのだよ」
疑問が解消された訳ではないが、あまり突っ込んだ話をしてもマカン相手だと無意味だということは悟っていた。だから話題を変える。
「マカンは次の魔王になろうとしている訳だが」
「そうな」
「魔王というのはどうやってなるんだい? 候補同士で対決でもするのか?」
「しらぬ」
「……知らないのかい?」
「しらぬ」
「…………」
マカンの表情からしても隠している訳ではなさそうだった。
「たぶん、ビィせんせがしってる」
「…………」
それはそうなのだろう。そうでなければおかしい。魔王になる方法がわからないのに次期魔王の擁立など考える訳がないからだ。
しかしマカンが知らないでビィが知っているということもおかしい。
「……ビィはどうやってそれを知ったのか、マカンは知っているかい?」
「しらぬ」
「それでどうしてビィを信じてついていこうと思ったのかな?」
「じいちゃがいけっていうから」
「お爺さんがビィに説得されたということかい?」
「おけ。マカンたちのさと、まぞくのなかでこりつしててやべえ。つぎのまおうしだいでみんなしぬ。だからマカンがまおうにならないといかぬ」
「そうか……」
全容は理解できないが、マカンなりに魔王にならなければならない理由はきちんとあるようだった。
魔族というのは良かれ悪かれ魔王の意向が全てに優先されるところがある。王国でも国王がそうだと言えなくもないが、リーン王国の国王は有力貴族の意向や顔色を完全に無視できないのが実情であるため、それより遥かに強い権限を握っていると言って良いだろう。マカンは故郷の里を守るために魔王になろうとしているのだ。
「しかしどうしたら魔王になれるのか知らないでは不安にはならないかい? 今していることが無駄になるんじゃないかと思わないのか?」
「ビィせんせはものしりだから。きっとだいじょぶ」
「…………僕としては、それが不思議でならないのだけれどね」
マカンがなぜそこまでビィを信頼できるのかも不思議ではあるが、それよりも気になるのがビィの知識の出どころだ。
この件に限ったことではない。ビィは妙な知識をいくつも有しているのが以前から気になっていた。
ジルユードはビィとの諍いから憎悪を滾らせ彼の経歴についても詳しく調べている。今彼女らがいるこのロンデ村が滅んだ際に脱出して1年ほどはあっちこっちに避難したりしていたようだが、軍に少年兵として入隊してからはずっと軍人として働いていた。12、3歳ぐらいの時にはもう戦場で戦闘に参加していた筈である。
実に勤勉な人間で、時間を見つけては訓練したり勉強したりといった自己研鑽に励んでいたようだが、それでも戦場にいる時間が長いことを考えれば勉学にあてられる時間は限られていただろう。だというのに知識の幅が広すぎるとジルユードは感じていた。
それが普通に教わることのできる知識だけであるのならまだ物覚えがとても良い男ですむのだが、時にビィは知っていてはおかしいような物事まで知っているようなのだ。
魔王や魔族についてかなり詳しく知っている者などビィ以外にいるだろうか?
「奴はいったい何者なんだ……?」
改めて得体の知れない男だと思った。
ビィが非常に優秀な人間であることは疑っていないし端的に言って頼らなければならない男であるが、こんなだからジルユードはビィへの警戒心が解けないのだ。
特にマカンとのやりとりで出てきた情報。
魔族には人間と見た目が変わらない種族が境界山脈に住んでおり、さらに人間と同じくリーン王国の言語を使う。ならばここにいるマカンのように以前から人間の中に魔族が紛れ込んでいた可能性があるのではないか。ひょっとするとビィは魔族なのでは……? などということまで考えてしまう。
ビィの生い立ちや王国の兵士として魔族と戦い多くの戦功をあげていることを考えればありえない想像だとは思いつつも、両親がなぜかスケルトンだったり河童と親しかったり魔族について詳しい点などを踏まえると笑えないのだ。
「ねえちゃ」
「なんだい?」
「べんじょはがまんせぬほうがいい」
「別にもよおしてきている訳ではないのだけどね?」
マカンはどうもジルユードが難しい顔をしていたところに妙な勘違いをしたらしい。
「おねしょしたらビィせんせにからかわれる。ねえちゃはきっとつらい」
「心配してくれてありがとう。その気持ちはありがたく受け取っておくよ。ふふ。マカンはビィと一緒に寝ていておねしょをしたことがあるのかな?」
「……ねえちゃはきっとつらい……マカンはへいき……」
「そうだね。それは辛そうだ」
少々暗鬱としたトーンになったマカンの表情から察するジルユードだった。そしてそんなマカンに就寝前に茶を飲ませていることに気が付いた。
「ではおねしょをしないよう、寝る前に用をたしにいくとしようか。一緒に行かないかい?」
「いくっ」
なんだかんだでこうしてマカンの世話を焼くのがジルユードは嫌いではなかった。
ビィのことを魔族なのではないかと疑いながら、魔族であることがわかっているマカンと仲良く一緒に寝ようというのだ。矛盾している訳ではないが少々奇妙な気分にもなるジルユードだった。




