蜂蜜ちゃれんじ
◇
「ミッションの説明を行う」
「おー」
「作戦目標は蜂の巣の獲得である。妨害に出てくるであろう対象の脅威度は不明。しかしそうとうな危険が待ち受けているのは確実と考える。そこで作戦は2段階にわけて行うものとする」
「おー」
「1段階目は防衛戦力への挑発による誘引である。まずマカンが巣の近くに石を投げて敵に危機意識をもたせ、防衛戦力を巣の外におびき出す。そしてやつらの注意を引きなるべく巣の遠くにまで誘導する」
「お……おう?」
「この際もし敵防衛戦力が予想以上に強大だった場合はミッションは即時中止するものとする。判断は俺がするが、ダメそうな場合は全力で攻撃しろ」
「……はちみつは?」
「その場合は跡形もなく燃え尽きるものと思われる」
「…………」
マカンにはいざとなれば魔法がある。それも範囲と殺傷力がかなり高い火炎魔法だ。蜂の巣を諦めさえすれば蜂の殲滅ぐらいは問題なく行えるだろう。
「敵防衛戦力の誘引がうまくいけば作戦は2段階目に入る。俺が蜂の巣をとって逃げる。敵残存戦力および引き剥がした防衛戦力による追撃を受ける可能性が濃厚だ。正直やめたい」
「がんば」
「最初から焼き尽くす案でもいいんじゃないだろうかと提案したい」
「きゃっか」
「却下されたので当初の予定で作戦に移りたいと思う」
言ってみただけだ。怖い目で見るな。
「敵防衛戦力から逃れる際、敵のサイズなどによっては俺の脚力をもってしても逃げ切るのは困難かもしれない。その場合の非常手段として特別な逃走経路を用意した。これを見てくれ」
と言いながら地面に棒で線を引き簡単な地図を描いた。
「ここいらに川がある。水深は俺の腰より上ぐらいだが流れはゆるいからそれほど危険はない。もしもの場合はここに飛び込んで潜って距離をとる」
まあ万が一記憶違いがあってはいけないので、事前に逃走経路と俺の記憶通りに川があるのかだけ確認は先にしておこう。
「はちみつは?」
「当然蜂の巣ごと水に浸かる必要があるから、若干は流れるかもしれん」
「…………」
おい、ここで悩まんでほしい。
蜂蜜は魅力的だが身の危険を冒してまで獲るようなものでもないと思うぞ。というか俺の方が危険を冒すんだからそれは考慮してくれ。
「――ビィせんせ、がんばあっ!」
「お、おう」
これはがんばって獲ろうと言ってるのか、それとも水に浸けるのは許さないぞと言ってるのかどっちなのか。
とにかくミッション・スタートだ。
◇
俺はマカンの保護者を気取っているが、より正確に言うならば指導者である。
そして指導においてはマカンを傷つけないように大事に大事に守り育てるのではなく、時に試練を与えて様々な経験を積ませる方針をたてている。
だからことさらに危険から遠ざけるつもりもないし、時には心を鬼にしなければならないのだと心に決めていた。
「…………」
しかしそれは心臓に悪いのも確かだった。
蜂の巣に向けてソロリソロリと近寄っていくマカンを見ているとハラハラしてくる。
マカンの任務は俺より危険度が低いのは確かだが、こいつがどれだけの蜂を自分におびき寄せられるかというのが直接俺の危険度と作戦成功率に直結してくるのでリスクを下げすぎてはいけない。
石を投げての挑発行為は遠すぎては意味が薄くなるし、近すぎればマカンが逃げ切れなくなる。そのことをマカンも理解していた。
俺の安全のため……というよりも俺が蜂の巣ごと川にダイブするのを防ぐためにあえてリスクを冒そうというのだ。涙ぐましい食い気だという他ない。
……実のところマカンは魔力量が尋常じゃなく多いので俺よりはるかに頑丈だ。この子だったら蜂に刺されても平気なんじゃないかと思っているが、今は言うまい。下手に警戒心なくされてもいけないからな。
マカンと俺は万が一の時に備えて首と口もとには布を巻き付け帽子を目深にかぶり、なるべく肌の露出が少なくなるような格好になっていた。そんな姿で恐る恐る廃屋に忍び寄ろうとする者と離れたところで見守る者という構図なのだから、第三者から見たらまんま不審者だろう。うちの両親がいなくて良かった。
「……もう近づきすぎじゃないか?」
マカンはだいぶ蜂の巣にまで近づいているのにまだ寄ろうとしている。
すでに蜂の巣まで5メートルぐらいしか離れていないぞ。石を投げなくても蜂に気づかれてしまうかもしれない距離だ。
そして蜂の索敵範囲の広さはそのまま脅威度でもある。気づくのが早い蜂ほど恐ろしい。
それでもまだマカンは近づいた。じわりじわりと、石にでもなったように動きを最小限にして、ゆっくりゆっくり距離を詰める。見てるこっちもハラハラする。
やがて4メートルを切ったぐらいだろう。
マカンはおもむろに腕を振り上げ石を放り投げた。
狙いは巣の張り付いている廃屋の壁だ。巣に直撃させれば巣が破損して蜂蜜も飛散してしまうので近くに当てる訳だ。
「なんだと!?」
俺は思わず目を疑った。
予想外のことが起きた。こんなことが起こっていいのであろうか。
マカンの投擲した石はすごい勢いで蜂の巣から数メートル離れた虚空を突き進んで彼方に落ちた。
「…………」
まさかのノーコンだった。
マカンががんばって近づいたのは多分当てる自信がなかったからなのだろう。
色んな武器の扱いは教えていたが石の投げ方は教えたことがなかった。教育順を間違ったのだ。
「…………」
どうしよう、みたいにマカンがこちらを見てくる。
「…………」
俺は足元の石を拾いあげて適当に狙いをつけて投擲した。
狙い通りに巣の近くに当たった石が甲高い音をたてた。
石を投げるのは原始的だが戦場ではバカにならない戦法だ。命中率が生死を分けることもあるので俺は必死にコントロールを身に着けたものである。
どうだ? とばかりにマカンに向けてドヤ顔を向けたが、それを見ることなくマカンは走り出していた。
予想通りに蜂の集団が巣から飛び立ってきたからだった。
遠目でみる限り蜂のサイズはそこまで巨大という程ではなさそうだ。
が、最もよくみかける小粒な蜂よりは大きく思える。決して刺されたくはない。小さな蜂はよっぽどのことがない限りは人を刺さないと聞いたことがあるが、大きな蜂は平気で人を襲う殺戮者どもだ。
……蜂の巣奪おうとしてる側のセリフではないな。
「せっかくマカンに体をはらせたんだ。失敗はできん」
俺も遅まきながら覚悟を決めた。
今が好機だ。行くぞ!
俺は走り出した。
直に蜂の巣に触らなければならない俺の装備はマカンよりも重厚だ。
厚手の手袋を着用し、服の上からはさらに魔物の毛皮をかぶって体にしばりつけていた。いざとなったら目元もすべて覆い尽くせる備えである。
その格好ではいくぶん視界も悪く動きにくいが、すべき作業は単純だ。
頭上よりも高い位置にある蜂の巣に手を届かせるため、台となる空の木箱を拾ってきていた。それを素早く巣の下に設置して上に登る。
手が届くのを確認すると短剣で壁と屋根に密着している部分に差し入れ切り裂いた。一瞬でとはいかなかったが、蜂の巣にはたいした強度はない。そう時間もかからず切り離すのに成功した。
落ちそうになるのをとっさに両手でつかんだ。ちょっとした樽ぐらいのサイズの巣だが中身は空洞だらけなので重量はたいしたことがない。これぐらいで落としたりはしない。
しかしそうこうしているうちに巣からは新たな複数の飛行物体が発進していた。
そしてそれよりも早く、マカンを追いかけていた蜂どもがこちらに向けて戻ってきているのが見えた。
あまり遠くまで不審人物を追い回そうという気はなかったようだ。
――逃げろ!!
複数の虫の羽音というのは否応なしに不安と不快感をかきたてる。
それが現実的な脅威となって襲いかかってくるのが確実ならなおさらだ。
予めこうなることを予想していたからこそ俺の行動は素早かったが、そうでなければあっという間にとりかこまれて為す術なく攻撃の的になっていただろう。
俺は逃げた。
全力で走って逃げた。
遠間で見るのではなく触れられる距離にいる蜂の集団は本気で怖かった。その尻についている針はちょっとした衣類なら簡単に貫通してしまいそうだ。というより、全身を覆う備えをしているといっても服の中に侵入されてしまうかもしれないし、そうなったら目も当てられない被害を負いそうだった。
走る走る。
木々の隙間を抜けて走る。これが良くなかった。
長年人が通っていない森の中。当然ながら走りやすい環境などではない。
一般的な成人男性よりかは厳しく鍛えている俺の体は大柄だ。そして今は魔物の毛皮なんていうものをかぶっているので途中途中でどこかにひっかけてはつんのめりそうになっていた。
平野で全力疾走できていれば違ったのかもしれないが、今の俺の逃走速度は蜂の追撃を振り切れるものではなかった。
一匹二匹と俺の周りに飛び交いアタックをかけてくる蜂の数が増えだした。
怖い。
痛くはないが怖い。
唯一むき出しの目を狙ってきてる個体がいて怖い。
どんどん羽音の数が増して音量が大きくなっていっているのが恐怖をどんどん倍加させる。
兵士として死線をくぐり抜けてきた俺はパニックになるようなことはなかったが、冷静だからこそ逃げ切れそうにないことを察してしまった。
だから俺は、
「マカン、すまん!」
邪魔になった毛皮を放りなげた。いくらかの蜂を巻き込めればラッキーだと思ったがその結果を見ることもなく口周りの布を首まで強引に下げながら川に身を投じた。
水深は浅い。俺の腰ぐらいしかない。
浮かび上がろうとする体と巣を懸命に水の中に沈める。そのまま水底を下流に向かって進んだ。ゆるいとはいえ流れに逆らうよりかはずっと楽に移動できる。
20メートルかそこらは進んだか。さすがに息が苦しくなって顔を上げた。
頭にコツンコツンと小さな何かがあたった。
不吉な無数の羽音が間近から聞こえる。
――おいこら、まだいるだと!?
不味い! 追尾を振り切れていなかった。
水中に没した俺をしっかり追いかけてきていたのだ。
慌ててもう一度水中に潜る。
マズイマズイマズイ。
これで逃げ切れないのならどうしたらいいんだ。
俺の予想以上に敵は執拗だった。
そういえば養蜂家とやらは蜂の巣を全てはとらずに半分程は残すとかなんとか誰かが言っていたようなあいまいな知識が頭をよぎった。俺もそうするべきだったのかもしれない。
息が再び苦しくなってきた。
顔をあげ、羽音にびびって一呼吸だけして再度潜る。
全力で走った後の水泳だ。元々体が空気を求めているところに無理やり水に入っているのだから最初からそれほど長続きする筈がない。根比べは分が悪そうだ。
これはもう巣を手放すしかないか?
巣なんて物がない方が逃げ切れる可能性はあがる。そんなことを考え始めた時、俺の背中を熱波が襲った。
水中にいる筈なのに焼けるような熱を背中が感じたのだ。服の一部が燃えていてもおかしくない。
慌てて少しでも底に体を鎮めようともがいた。
それも一瞬のことだ。すぐに息が続かなくなって水面に顔を出さなければならなくなった。
危険だとはわかっていたが四の五の言ってはいられない。俺は水面に顔を出した。
空気が熱い。だが耐えられないほどではない。そして羽音が聞こえてこなかった。
ゼイゼイと荒く呼吸しながら周囲を見回すと小さな黒い物体がいくつも川面に浮かび下流に流されていっているのが見えた。黒焦げになった蜂の死骸だ。
何が起きたかは明白だった。
周囲を見回すとドヤ顔しているマカンが川辺に仁王立ちしていてムカついた。
水中に潜っても俺が逃げ切れないのを悟ったマカンが、炎の魔法で蜂を一掃したのだろう。
……あいつ、なんて危ないマネを。タイミングがズレていたら俺まで黒焦げになっていた筈だ。しかしうまく乗り切った以上は責めるべきなのか悩む。
俺はマカンのいる方へ移動し水から上がった。マカンは満面の笑みだ。視線は蜂の巣に注がれているが。
まあとりあえずは、
「マカン。ミッション・コンプリートだ」
巣を足元に置き、胸ぐらいの高さで手の平をマカンに向けた。
「ぃえーいっ!」
そしてマカンとハイタッチ――まあ俺の手は顔の高さだったが――を決めたのだった。
服を脱いでよく見てみると、背中の部分が黒く焦げていたのでマカンにはやっぱり説教もした。なんでこんなことに命がけで挑んでいるのだ俺は。