魔の手③
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◇
「……いったいなんのことですか?」
「おまえがオーレム様たちを殺したことについてはしらばっくれても無駄だ。別に確認をとりたいわけじゃあない、理由が知りたいだけなんだよ。あれはとても突発的な殺人とは思えなかった。計画的なものだった。誰かに雇われたのか? 私怨か? それとも欲しい物でもあったのか?」
俺は言いながら手を腰に挿した剣に伸ばす。わずかに身をかがめて体に力を貯める。いつでも抜ける。いつでも斬れる。そういう意思を行動で示してみせた。
「きさま……っ! 何を知っている!?」
イギールは半歩俺から遠ざかりながら荷袋を投げ降ろし、自身の長剣を抜いて身構えた。この反応は当然だ。近くにいる俺が攻撃の意思を見せたのだから、イギールに非があろうがなかろうがそれに対峙するのは当たり前だ。もしこれが俺の勘違いや何かであれば悪者になるのは俺の方だろう。
強引な手段をとったという自覚はある。もしこの時イギールが何かの間違いだ信じてくれと必死に抗弁を続けたならば俺はたぶんそれを信じてしまった。
だが幸いというべきかあるいは不幸なできごとだったのか。
イギールが身構えた途端、俺の体はまるで倍の重さになったかのような、まるで空気が薄くなったかのような、そんな不可思議な感覚に襲われた。
魔力がかき乱されている!
体の内外の魔力がまとまりを失い半暴走状態になったのだ。
いきなりのことに吐き気を催し頭痛を覚え目眩がした。
そんな俺に――イギールが殺意を持って斬りかかってきた!
「うぉっ!?」
感覚がおかしい、やりずらい! くそっ! 体が重い、が……かわせる!!
――危ねえ、自分からこうなるように仕向けておいてそれで殺されましたじゃシャレにならん。しっかり前を向け俺!
自分に叱咤をいれながらイギールが間髪入れず立て続けに振るう剣をかわし、受け流し、ギリギリのところでしのぎ続けた。
魔力がうまく働かず、身体能力の強化が半分以下になっていた。突然こんな状態になってしまったことで大きな戸惑いを感じるが、こういう事態になることは予想できていた。だからこの程度の剣筋ならなんとか持ちこたえられる。
俺は過去には魔力を消耗して魔力枯渇に近い状態で長時間戦闘し続けた経験もあるのだ。まったく同じではないが、ある程度の慣れはある。だからこそ僅かな時間で今の状態で最適な体の動かし方に持ち直せた。
立て続けの剣撃をかわしながら意識して頭を働かせる。
これで俺の勘違いである可能性はなくなった。この『撹乱』というギフトを使うことができることこそが、こいつがイギールではなくオーレム・クロインセを殺した男ランバーである証拠だ。
――ではここからどうすべきか。
今はそれを第一に考えるべきなのだが、俺の胸中に渦巻くのはイギールが本当にランバーであり、俺と敵対してしまったことに対する深い悲しみと、何かの間違いではないかという真実から目を背けたくなるような葛藤だった。
……いや、わかっている。この感情は偽物だ。だからこそねじ伏せなければならない。
これは恐らく『魅了』の能力だ。ランバーがこのギフトを所持している可能性は考えていた。そして先日セイジロウに不意をうたれたばかりのここしばらくは警戒心を持ち続けていた。
にも関わらず全く違和感なく魅了されちまうなんて! ……こうもあっさりしてやられるのか。
魔術でもないのに強力すぎる気がするが……。これはグラムスさんを離しておいて正解だった。下手すればこの場であの人まで敵に回していたかもしれなかった。
最低限の手は打てていたと言える……が、それ以上に…………あっっぶねえっ!! 何やってんだ俺は!?
かなり強引にだがランバーと明確に敵対関係をはっきりさせたせいか、少しは頭が回るようになってきた。『魅了』が完全に解除された訳ではなさそうで未だにランバーに対して親しみのようなものを感じているが、今なら感情を理性で抑えて躊躇なく斬ることができそうだ。
しかし現状斬るどころかランバーの攻撃をなんとかしのぐのだけでも手一杯だった。
単純な技量は俺の方が上だが、この不快なまでの魔力に対する悪質な影響のせいでどうしても思い通りに体が動かせない。本来ならもっと余裕をもって対応できるに違いないが、今は僅かなミスが命取りになりかねん。
……今になって最初に不意をうって斬り殺さなかったことが悔やまれる。
こいつが敵であることはわかっていた。いつもの俺なら問答無用で首を落としたものを、『魅了』の影響でどうしてもなにかの間違いを懸念して無駄に本人に問いただしてしまったのだ。
「はっ! なかなか粘るじゃないかっ!」
「……っ、厄介な真似をしやがって!」
この魔力をかき乱す能力『撹乱』のギフト。使われることは分かっていたが、俺が想定していた以上に影響が強い。なぜだ? ギフトはスキルと違って能力の向上はありえない。所詮は貰い物、微調整なんてことできない筈だ。もしやギフトではないのか? いや、それも考え辛い。
もう一つ効果を及ぼしている『魅了』の方も魔術にしては効果が長すぎる。無詠唱なら強力すぎる。恐らくダン爺さんでも無理なレベルだ。そんなことはありえない。
魔法の可能性もあるが、こいつもギフトであると言われた方がまだ納得できる。
「ほら隙ありだっ!」
「ちぃっ!」
――っと、危なっ! あれこれ考えながらだと厳しいかっ!?
ランバーの剣術は本来受けが主体だ。相手の攻撃を待ち構え、隙をついて致命的な一撃を決める。自分から攻めることを得意とはしていない。だからこそ守りに徹している俺を攻めきれないでいるが、俺もうかつに反撃に転じることができなかった。
そして攻め手に欠けるからこそ雑念が生まれる。それは危険を高める行いだ。
しかし俺はあえて思考の渦を止めなかった。考えを止めると『魅了』などによる思考の誘導に気づきにくくなってしまうからだった。それだけは避けなければならない。
それに危険だろうが、動きながら物を考えるのにはなんだかんだ言って慣れている。そして思考を重ねることで段々と頭が冴えわたってきていた。
「うはははははっ! さあいつまで持ちこたえられるかな、ビィィィッ!」
「そういうセリフは後で泣きを見るぞランバー!」
ランバーの使っている『魅了』も『撹乱』も対象を絞って使う能力ではなくある程度の範囲に無差別に働く能力だ。その能力を長時間維持するにはそうとうな魔力を消費する筈。ならば長期戦にもっていくのは俺にとって有利に働くのか? いや、不安要素が多い。ランバーはかなりの時間『魅了』を維持している筈なのに疲労が見えない。魔力の消耗によって力が減退していっている様子もない。さらにいえばこの場に誰かが騒ぎを聞きつけてやってきてしまうのも問題があった。
もしジルユードとアルマリスでもやってきたならば。
この二人がランバーの『魅了』に抵抗できればいいが、それでなければ俺は窮地に立たされることになる。
ジルユードは抗魔力を上げる魔導具を所持しているかもしれない。しかしランバーの『撹乱』は確か魔導具にも支障をきたす筈。この二つが噛み合うとやはり危険だ。
そもそもジルユードには俺に敵対するだけの理由がある。思考誘導を受けやすい素養があるのだ。
やはりあまり時間をかけすぎるのも良くないか……。
いや思考を止めるな考えろ!
……そうだ、だんだん思い出してきたぞ。
ランバーの能力については以前考察したことがあった筈だ。こいつは複数のギフトを持っている可能性が高い。『魅了』『撹乱』以外にも『第六感』や『魔力増強』などを持っているかもしれないと推測していたんだった。
勇者でもないのに複数のギフトを持っているなどというのはほぼ前例がないらしいが、それを可能とするギフトのことをダン爺さんから聞き出していた。
「ほらほら足がもつれてきたんじゃないのかねい、魔力がうまく働かない戦闘は堪えるだろう!? 知っているかなビィ、この状態はいつもの何倍も疲れるってことにねえ!」
「そうでもねえよランバー、おまえの『撹乱』も存外たいしたことがないな!」
「……っ!? 貴様、おまえ、なぜそれを知っている!?」
ふん、ランバーの奴焦れてきたな。
こちらが奴の情報をある程度握っているのは隠しておいた方が有利に働くかもしれないが、その知識の中身は間違いなくスカスカだ。ならば秘密を知っていることを匂わせ相手の動揺を誘う。こちらがどれだけ知っているのか悩めばそれだけ行動の幅を狭められる。
ランバーは異様に生死を分ける場面での勘が鋭く受けが強い。俺がこいつが『第六感』を持っているかもしれないと思っているのはそのためだ。そしてその受けの強さを活かした待ちの戦法こそがこいつがもっとも得意とする戦い方だ。
しかし今ランバーは攻めに集中している。『撹乱』によって弱体化している俺が守りに徹しているからでもあるが、ランバーが手を止めると俺が『撹乱』への対処を始めてしまうからだ。
間違いなく奴も焦っている。身体強化がほとんど働いていない俺に手間取るのなら、俺が万全に近い状態に復調したら勝ち目が薄くなることを理解しているだろうからな。
これで奴の体力と魔力が陰り出してきようものなら俺の粘り勝ちとなるのだが、あいにくというべきか不思議なほどにランバーの力が鈍る気配がない。もしやこれもギフト絡みか? もはや何でもありに思えてきてしまうな。
お互いが攻め手に欠ける膠着状態。時間はどちらに味方するか不鮮明。
だが焦れているのはランバーだけだ。魅了されたのは業腹だが、俺は奴に勝つための最低限やるべきことはすでにやっている。この場で戦いを挑んだのだってその方が俺に有利になるからなんだよ。
さあて、そろそろ仕掛けるぞ!
◇
ランバーの剣をいなし続けるためには立ち止まるのは厳禁だ。俺は足元の見えにくい草むらの中を動き回り、ランバーはそれについてくる。俺と距離をとることで俺の打てる手が増えることに気付いているからだ。
奴が俺を自由にさせてくれるなら『撹乱』の影響範囲外まで出てしまうのも手であるが、その範囲がどこまであるのかが現状ではわからないしさすがにそこまで甘くはない。
だから、
「しっ!」
ある時鋭い息を吐いて俺は攻めに転じた。俺の幅広肉厚のブロードソードでは向いていない突きを見舞う。
ランバーが笑みをこぼしたような気がした。俺が悪手を打ったと思ったのだろう。半歩身をひきながらかわして俺に生まれた隙に乗じた一撃を入れる。奴の脳裏にはそんな動きがよぎった筈だ。
しかしできなかった。
奴は突如顔を歪に歪めながらも大きく右手に飛んで転がった。そしてすぐに起き上がるも、ランバーの顔は苦渋に歪められたままだ。
――やはりあれに気付けるか! しかしかかった!
ランバーが突然動きを変えたのは、半歩退く筈だった場所に俺のしかけた罠があることに気付いたからだ。何がとはわからなくとも何かあることに気付いた。完全に視界の外であり、俺たちのように殺気や敵意を向けてくるわけでもない無機物の罠に気づくか。経験則や俺の動きに誘導の気配を感じた可能性もあるが、それにしたって異常に勘が良すぎる。こいつやはり『第六感』を持っているとみて間違いなさそうだ。
「ランバー、『第六感』を持っているなら今の自分がおかれている状況がわかるだろう?」
「き、さ、まぁ……っ!」
今おまえが立っている場所、そこは周囲にいくつもの罠が仕掛けられているキルゾーンだっていうことにな。




