魔の手②
◇
グラムスとイギールの二人が村の中を進んでいく。
先導されながらイギールは村の中をつぶさに観察していた。
今や国中に珍しくもない廃村の風景だが、ところどころ人の手が加えられ再生されている。粗末ではあるが人が住める場所になっているのがわかる。
王国では特に復興に注力されている地域もあるが、なぜこんな国の端、それも魔族との国境近くにある村を復活させようとしているのかに関しては疑問と言わざるをえなかった。
「なあグラムスさん。なんでジルユード様はこんな村に滞在しているんだ?」
「ここはビィビィの奴の故郷なんだとよ。ジルユード様はビィビィに嫁ぎにこんな辺鄙なとこまでやってこられたのさ。まったく、王都で暮しゃあいいのになあ」
「へえ、なるほど」
イギールもそれに関しては同感だった。ジルユードが王都にいたままならばどんなに楽だったことか。
もっとも王都にいた方が警戒が厳重で近づく機会を得るのに苦労しただろう。
「おういたぞ。おおいビィビィ!」
そんな中目的の人物をグラムスが見つけたようで大きな声を上げて呼びかけた。
「……んん? なんだあれ?」
イギールが見咎めのはグラムスが呼びかけただろう精悍そうな青年、ではなく、その隣にいる緑の――つまりはタガッパ・セイジロウであった。
「グラムスさん、あの緑のは魔族なんじゃ……?」
「お、さすがに気になるか。そうだわな。でもよ、あれ一応魔族じゃなくて河童とかいう魔物らしんだよな」
「え? いや魔族なんじゃ……」
「魔物なんだよ魔物。俺も納得できねえが、ビィビィの奴がそうだって言ってるからそうなんだよ」
「…………」
本当は外部の者をうかつにセイジロウやビィの両親に合わせない方が良いのだが、この時グラムスにはそういった配慮をしなければならないという思考がまったく働かなかった。
おかげでイギールはビィに促されてセイジロウが立ち去っていくのを観察する余地ができた。
――あの魔物、ちっとも強さは感じないが……ギフトを持ってんじゃないか。いいね、いいボーナスになるかもな。ジルユードを仕留めた後にその責任かぶせて殺しちまうのが楽ちんだろうねえ。
僅かな間にそんな不届きなことを考える。
そうするならばその時に村の有力者であるビィに味方してもらえるに越したことはない訳だ。せいぜい信頼できる人物として印象づけておくかとイギールは近づいてくるビィに笑顔を振りまいた。
「グラムスさん、誰だそいつは?」
ビィの語調はグラムスを責めたてるものであった。一人でうろつかせていないのだけはマシだったが、外部の者にはできるだけ見せたくないものもある。村の中を見せる前に自分に連絡を入れてほしかったのだ。自然といつでも剣を抜けるように手の位置が腰に伸びるが、あくまで最低限の警戒でありイギールに不安を抱かせるものではなかった。
「ああー……すまんすまん、こいつはあーイギールって言って、なんでもジルユード様に用があるんだと。おまえから紹介してやってくれねえか?」
軽く謝罪したもののグラムスには罪悪感はない。間違ったことをしているつもりがないのだ。
「ジルユード様に?」
「初めましてビィさん。俺はイギール。ジルユード様の兄君であるオーレム様の部下だった者だ。生前オーレム様が自分に何かあった時にジルユード様に伝えて欲しいと言っていたいわば遺言を預かっている。ぜひジルユード様にお引き合わせ願いたい」
「それは……まあいいか。悪い奴じゃなさそうだしな」
その一言が簡単にでてきたことにイギールは内心で笑みを浮かべていた。
グラムスに対するよりかは若干丁寧に応対したものの、こうもあっさり自分を信頼してくれるとは。大戦の英雄とまで言われた男なら強い抗魔力を持っている可能性が高いと用心していたが、杞憂だったようだった。
ギフトも持っていないし、腕が立つのは間違いないがもうそれほど警戒する必要はないだろう。
――俺の『魅了』に抵抗できるやつなんてそうそういないからねえ。
これで失敗の可能性はほぼなくなった。
村の有力者であり、かつ腕利きであるビィとグラムスの二人に『魅了』が通った以上、仮にジルユードとお付きのアルマリスに抵抗されても力づくでどうにでもできる。殺した後もゴタゴタせずにすむというものだ。
「ありがたいねえ。俺としちゃビィさん個人にも色々戦時中の話を聞いてみたいんだけどね」
「おうそりゃいいな。用がすんだ後、夜にでも俺たち3人で酒でも飲もうぜ。語りてえことなんて山程あらあ」
「……構わんが、酒飲みたいだけだろあんた。それよりイギールっていったな? とりあえずジルユード様に紹介するからついてきてくれ」
「お、ありがたいねえ」
「んじゃ俺も」
「グラムスさん、あんたは戻ってくれ。ジルユード様のところに連れて行くだけならあんたがついて来る必要はない」
「え、おいおい仲間ハズレかよ」
「悪いがその通りだ。この時期は獣の活動も活発だからな。仕事に戻ってくれ。じゃないと酒出さないぞ?」
「……ちっ、しゃあねえなあ」
酒は貴重品だ。国内での生産量が少ないこともあるが、村まで運び込んでくる手段そのものがほとんどない。オージが運んできたものが全てだ。だからその管理の責任者もビィであるため、彼が許可しなければグラムスといえどもそう好きには飲めないのだ。
「んじゃあなイギール。また後でな」
「ああ。夜はゆっくり話を聞かせてもらうよ」
名残惜しそうに去っていくグラムスを一瞥し、イギールはビィと向かい合った。
「じゃあついてきてくれ。しかしここまでよく一人でこれたな。見たところ歩きのようだし大変だっただろ?」
「まあな」
先程もグラムスに同じようなことを聞かれた。ビィからしたらイギールを気遣って出た言葉だが、イギールは同じように返答するのも面倒だったので軽く返すに留めた。
「それよりもビィさん、ジルユード様と婚約されたんだって?」
「耳が早いな。誰に聞いたんだ?」
少しだけビィの声に怪訝の色が混ざった。
ビィやジルユードがこの村にいることはともかく、二人の婚約の話題はまだ王都には伝わっていない筈なのだ。
イギールにしてもこの反応に少しばかり軽率だったと後悔した。
さきほどグラムスはジルユードが嫁ぎに来たと言っていたが婚約したとは言っていない。予めそう言えと言われていたとしたら、グラムスが漏らしたという返答は疑惑を強める。そんな小さな齟齬から『魅了』に対して抵抗されてもかなわないと思ったのだ。
ならば下手にごまかすよりは真実を話しておく方が良いだろう。信憑性さえあればどうせこれ以上疑われはしないのだ。
「実は道中オージっていう行商人と知り合ってねえ。俺がジルユード様を追ってきたっていうのを話したら、ついでにビィさんとの婚約のことも教えてくれたのさ。本当におめでたい話で羨ましいやらあやかりたいやら。やっぱり英雄殿は違うねえ」
「そうか。オージと会ったのか」
そう聞けばビィもそれ以上は言及しなかった。
二人の婚約の話はマカンの件とは違って秘密にしなければならないことではない。むしろビィがクロインセ家の派閥に組み込まれたことを知らせ、これ以上の無駄な勧誘を減らすために広げた方が良い話題だ。
こんなに早くどこで知ったのかが気になっただけで、それが知れれば深く追求するような話題ではなかった。
「いったいどうやって侯爵家の娘さんを口説き落としたのか知りたいねえ。ジルユード様も戦場に出たことがあった筈だけど、その時に知り合ったのかい?」
「……確かに知り合ったのはその時だなあ。俺はジルユード様が部隊長になった時に副官に抜擢されたんだ。もっとも口説くとかそういうんじゃないぞ。むしろ仲は悪かった。さらに時間がたつほど悪くなった。……本当はジルユード様はお飾りで、俺が部隊の方針を決めて隊を運用する手はずになってたのに、まったく言うこと聞かなかったからな、あの女」
「いやいやあの女って……さすがにその口の聞き方は不味いでしょ」
「……すまん。聞かなかったことにしてくれ。……なんだろうなあ、不思議とあんたには口が軽くなっちまう」
「はは、そう思ってもらえるのは嬉しいねえ。まあグチでも惚気でも夜になったらぞんぶんに聞かせてもらうよ」
「そうさせてもらうかな」
ビィはこの時イギールに対して長年の戦友を前にしている時のような安心感と気安さを感じていた。
どうにもこの男を前にしていると警戒心がどんどんと薄れていき逆に親しみが湧いてくるのだ。そしてそれを疑問にも思わない。それこそがイギールの持つギフト『魅了』の能力だった。
もっともこの力も万能な訳ではない。
例えば大きな魔力をもっておりその活用に慣れた魔術士ならばこの手の能力に対する抵抗力も高い。高位貴族や商人ならば抗魔力を高めるための魔導具を所有している場合もある。
こういった能力は抵抗されてしまえば逆に立場が悪くなるため、イギールとしても時と場合を選んで使用していた。
「おっと、ちょっとこっち通るぞ。すまないな、藪を突っ切るけど今ジルユード様がいる所にはこっちの方が近いんだ」
ジルユードが今アルマリスと一緒に仕事をしているのは村の端の方になる。村は円形でもなければ四角でもなく上から見ればVの字型になっており、端から端まで移動するには間の森を突っ切った方が早いのだ。
「……こんな所を通るのか?」
「森の一部とはいえ木々の伐採も進めていたからそれほど見通しが悪い訳でもないからな。まあ廃村になってから長いせいで草がだいぶ生い茂ってはいるんだが」
森の一部で罠が仕掛けられているのを見ていたためイギールは少しだけ戸惑った。
しかしビィは恐らく少しでも早くイギールをジルユードに会わせてやろうと気を遣ってくれているに違いないのだ。
どうせたいした距離でもない。ならここはそれに従ってやった方が良い。
「まあ俺はビィさんについていくだけだからねえ」
「悪いな。そうそうぬかるみとかはないと思うが変なものを踏まないようにだけ注意してくれ」
そう言ってビィは藪の中に入っていく。イギールもそれに続いた。
「ところでちょっとした質問だが、どうして今になって遺言を届けに来たんだ? オーレム様が亡くなられたのはもう4年以上前だぞ?」
「その疑問はごもっともで。でも俺もオーレム様が指揮していた戦場で大怪我負ってねえ、すぐには会いにいけなかったのさ。その後はジルユード様が戦場に出ちゃったり、俺も別の戦線に配属されたりで、気がつきゃ終戦だ。で、その後もまた国の上層部で色々あったそうじゃないの?」
「……言われてみればなあ。けっこう長いことゴタツイてたよな」
何しろ戦時中なら当時は国が滅びるかどうかの瀬戸際までいっていた。勇者召喚から終戦、そして勇者の変事と重大なできごとが連なっている。クロインセ家は上位貴族だけあって渦中にいた。よほどのコネがない限りそうそう顔を会わせる機会は作れなかっただろう。
「俺みたいな普通の兵士ごときじゃ引き合わせてもらえねえだろうって正直諦めてたんだよねえ。でもジルユード様が家をでて外遊すると聞いてねえ、最後の好機だと思い立って後を追ってきたのさ。こんな遠くまで来ることになるとは予定外もいいとこだったけど、野垂れ死にせずに追いつけて良かったよ」
場合によっては不審者として受け止められても仕方のない行動である。
しかしこう聞いてビィが不審に思うことはないとイギールは確信していた。
「そうか。本当に大変だったんだな。俺からもジルユード様にその苦労に報いてもらえるように提言させてもらうよ」
「そりゃ嬉しいねえ」
表面上にこやかに笑いあった。
「あっと、すまんがまだいくつか聞かせてもらっていいか? 別にたいしたことじゃないんだが」
「ああ、なんでも聞いてくれ。俺とビィさんの仲なんだから遠慮しなくて良いよ」
ビィには確実に『魅了』が聞いている。彼の口は驚くほど軽くなっているし、イギールに対して強い親愛の情を抱くにいたっている筈だ。
だからそれらをさらに強化して快く協力者になってもらうためにもイギールからもビィの話に乗ってやる気構えだった。
だが。
「――あんた以前はランバーって名乗ってたよな? なんでオーレム・クロインセとリングス・ハスを殺したんだ? 特にリングス・ハスはジルユードの婚約者だったって知ってて殺したのか?」
瞬間、空気が凍りついた。




