魔の手①
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◇
ロンデ村からわずかに離れた場所。道から外れた森の中に一人の男が佇んでいた。
「うーん、これは良くないなあ」
彼の目が捉えているのは木々の間などに仕掛けられている罠の数々であった。
「こいつは多分見つけた相手に対する警告かな。本命の罠がさらに奥にあると見たけど、ひっかからずに抜けるのは無理だろうねえ」
罠は獣を警戒しての物が大半だろうが、それだけではなく人間用に設置されているものもあるようだ。
しかもそれら男が気付けた罠はあくまで囮。罠を承知で森を抜けようとしたならばもっと巧妙に隠された罠にからめとられるようになっている。設置した相手のそういう意図を男は正確に読み取っていた。
罠があるといっても至るところに設置されている訳ではない。獣や人が好んで通りそうな場所をメインにしている。しかしそういう理屈で当たりをつけて通れそうもなさそうな場所を抜けようとしても罠にひっかかるようにできている。実に熟練の罠師によるものであろうと思えた。
「……目立つのは避けたかったんでこっそりと村に入りたかったんだけどねえ。こりゃ仕方ない。堂々と村に入ってやるか」
男は早々に村に忍び込むことを諦めた。彼は自分の技量では巧妙に隠された罠を見つけることも解除することも困難であることを知っていた。
思いがけず目的地であるロンデ村の警戒度が高いことが知れたが、それで男が村に向かうのを諦める理由にはならない。潜入しようとしたのはあくまで念の為だったのだから。
「ま、大した問題はないさ。ちゃちゃっと終わらせようね」
男は軽快な足取りで森から道へと歩を進め、先程の不審な行動なんてなかったかのような堂々とした態度でもって村へと向かうのだった。
◇
一方でロンデ村。
黒ウサギを胸にぎゅうと抱いた少女、マカンが何かに気付いて村の入口に目を向けた。
「へんなのきた」
視線の先で魔力の流れがおかしなことになっていることに気付いたのはおそらくマカン一人だけだったろう。それくらいには不自然である筈なのに自然なのだ。
だが村の誰よりも常にはっきりと魔力の流れを目にしてきたマカンだけはその異常に気付くことができた。
この異常はビィに知らせるべきだとマカンは判断した。
マカンに見えている魔力の異常は見過ごして良いようなものではなかった。能天気なように見えてマカンはそういった危険を孕んだ事象に敏感である。そのマカンをしてあれは良くないものだと感じていた。
とても薄くそして広くドス黒い魔力が拡がっている、そんな印象の害悪を抱いた魔力が見えたのだ。
「ビィせんせ、どこ?」
ふと立ち止まる。ビィは今この時間何をしていると言っていただろうか?
うーん、うーんと記憶を辿る。
つい少し前に何か言っていたような気がしないでもないがいやあれは別の話だったかな覚えてない、誰かに聞いたら教えてくれるかもでも他の人ってどこにいるんだどうしよう、あっウサがおしっこした服についたばっちいな洗いにいこう。……そういえばお腹空いてきたなあ。
マカンは黒ウサギを地面に置いて駆け出した。
今更言うまでもなく色々駄目な子だった。
◇
村に見慣れない男がやってきたことに最初に気がついたのはグラムスである。
入口に柵を作って見張りに立っているという訳ではないが、だからといって偶然という訳でもなかった。グラムスは村の入口付近を定期的に見回ることを義務付けられていたからだ。
このロンデ村自体にはそれほどの価値などないのだが、なにしろ大貴族であるジルユードが滞在していることもあり、ある程度の警戒は常にしておかなければならないとビィは判断していた。
村を囲む森の中にはすでに獣の通り道に罠を仕掛けているので、土地勘のない者や危険な動物の群れがこちらに気づかれずに接近してくることは難しいまでになっている。また村の内部に関してはビィの両親がちょこちょこ巡回しているので、グラムスたち元兵士3人は村の入口を警戒するように言われていた。
グラムスは何度も見回るのは面倒なので、この近辺で訓練をしたり作業をしたりしていることが多かった。今日もこの時、椅子に腰掛けて柵に使う木々の枝を落とす作業をしていた。
「おう見ない面だな。この村に何のようだ?」
グラムスは見知らぬ男に気づくと大きな声を相手にかけながらドスドスと近づいていった。
警戒のためといっても本来それは獣対策がメインである。この村の近隣には街どころか村もなく、盗賊などが活動している筈もない。なので村に暴威を振るうのならば獣だろうと考えていたからだ。
だから何者かが現れて最初に感じたのは、何か物珍しいことがおこるかもしれないという単純な好奇心だった。
「やあやあどうも、この村の方だよね? ここはロンデ村でいいのかな?」
「ああここはロンデ村だ。もっともまだ復興中ってやつでろくなもんじゃねえがな」
その男を見たグラムスの第一印象は『非常に好感の持てる青年』というものだった。
馬にでも乗って女に手を振ればきゃあきゃあ騒がれそうな整った甘い顔立ちに細身の長身。あまり筋肉がついた体には見えないが、それでも旅の必需品が詰まった重い荷袋を背負った上での歩き方や姿勢を見ればそうとう鍛えられていることがわかる。そして帯剣している強面のグラムス相手に初見でひるまずにこやかに返せる胆力。
なかなか見どころがあるじゃないか、などとグラムスは感じていた。
「……あれ? あんたはひょっとしてグラムスさん?」
「ん? どっかで会ったか?」
「ああやっぱり! いやいや初めましてだよ。ただあんた兵士仲間の間じゃ有名だからねえ。魔物の群れの中孤立した絶体絶命の窮地、だというのに逆に魔物を撫で斬りにして壊滅させたって話は嘘くさいと思いながらも興奮して聞き惚れたもんだ」
「うははっ。懐かしい話じゃねえか。ありゃもう6年ぐらい前だったな」
「お、てことは本当の話なのかい? まあね、俺もそこそこ腕が立つ自信はあれど、だからこそあんたの凄みも分かるつもりだぜ。ああ、やっぱり本物の<剣匠>グラムスは違うねえ」
「うははははっ。そう褒めんな、照れるぜ」
「っと、じゃああの噂も本当かい? 勇者様相手に一本とったっていうやつ」
「ああいやそっちはデマだ。俺は勇者様とはろくに話もしたこたねえや。ビィビィの奴はなんだか親しくしてたらしいがなあ」
「……ああ、ビィさんね」
相手を立てながらにこやかに会話をしている上で男は内心で警戒レベルを上げていた。
目の前に立つ男、<剣匠>の二つ名で呼ばれることもあるグラムスの一挙手一投足を見逃さないように注意を払う。
グラムスは事前に調べたこの村の中で警戒すべき相手の一人。すご腕の剣士であるという噂は聞いていたが、面と向かって対峙してみると噂以上に強烈な圧力を感じる戦士であることがわかった。
もしやりあうような事になれば自分でも勝てないかもしれないと思わせられる強さを感じる。
――だがギフトは持っていない、か。
どうせ相手はこちらに敵意を向けてくることはなさそうだというのは確信できたから、ならば無難にやりすごすに限る。そう結論づけた。
「そういえばこの村にはあの英雄のビィさんがいるんだってねえ。すごいよな、俺もあの戦争を生き残った身だけど、文字通り生き延びるのが精一杯でろくな功績をあげられなかった」
「まあ、ありゃたいした奴だわ。初めて会った時はあんな弱っちいガキで毎日ビィビィ泣いてやがったのに」
「へえ、親しいんだ?」
「長い付き合いだしなあ。興味あるんならじっくり話してやるぞ? どうだ酒でも飲みながら」
「ははは。昼間っから何言ってんだよ」
初対面にも関わらず二人の間には旧知の仲であるかのように気さくな雰囲気が漂っていた。表面上は。
実際はグラムスだけは相手の男に対して不思議なほどの親近感を抱いていたが、男の方はそうではなくあくまで合わせているだけ。その内心ではグラムスをあざ笑っていた。
「おうおう意外と真面目だなおい。んじゃま飯だけでも一緒に食おうや」
「それはありがたい申し出だけどね、俺もここまで遊びで来た訳じゃないのよ」
「ん、そりゃそうか。……で、どんな用事だ? そういやおまえの名前も聞いてねえや」
本来であれば村に入ってきた相手にたいして警戒しなければならない立場であるのにうかつすぎるグラムスの対応である。
ただこの男はなんだか警戒心の内側にするりと入ってきてしまうのだ。親身になって接してやりたくなってしまう。グラムスはそれを不思議にも思っていなかった。
「ああこりゃ失礼。俺はイギール。以前オーレム・クロインセ様に世話になったものでね、ジルユード様にオーレム様の遺言を届けにきたのさ」
「……はあん、そりゃご苦労なこったなこんなところまでよ。この村、王国の端っこにあるからな。道中大変だったろ?」
「そりゃすげえ大変だったさ。だから早めに要件終わらせて休みたいんだよね」
「ああすまんすまん、ジルユード様だったな。……今はどこだろうな? 待たせんのも悪いし、ビィビィの奴に聞くか。こっちだ」
イギールは少しだけついていくか考えた。ビィはこの村にいる者の中では一番の警戒対象だ。できれば顔をあわせずにすむのがベストだと考えていた。
が、ここでビィを懐柔できればもう失敗はありえないとも言える。それに大戦の英雄なんてたいそうな者ならばレアなギフトの一つも持っているかもしれない。わざわざこんなところまでやってきたからには旨味の一つも欲しいところだ。
「噂の英雄殿に会えるとは嬉しいねえ」
だから表面上は非常ににこやかにイギールはグラムスの後についていくのだった。




