廃村での野営
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野営を行う際の注意事項はその場所や状況によって違う。
大人数で行うならば盛大に火を焚くのも悪くないが、少人数で行うのならばあまりそれは推奨できない。火を恐れて距離をとる獣よりも興味を持って近づいてくる獣の方が多く危険だからだ。
そもそも火を恐れるには火というものがどういう現象かを知っている必要があるため、たいていの獣にとってはただの未知の灯りにすぎないのである。
だから食事の支度などで火を使う際にはまだ暗くなりきらないうちにすませてしまうのが良く、それよりも暗い時間に火をつけるのであれば周囲を囲って灯りがもれにくくするなどの工夫をした方が良い。
「ビィせんせ、もうやめとこ?」
「そうだな。……すまん」
今日は予想外の怪奇現象に翻弄されてかなりの時間を費やしてしまった。
俺の故郷ロンデ村は森に囲まれた立地になっている。
元々森を切り拓いて作られた村で、村の大人の一番の仕事は木々の伐採であった。村人は毎日のように木を切り倒し、半年ほど寝かされたそれらは薪や建築資材に形を変えて近くの街や村に運ばれていく。そういう目的で作られた村であったので畑もあるが規模は小さい。
そして森の只中にある関係上、野生動物も頻繁に村の近辺にやってくる。村が潰れてしまって長いことを考えれば余計にそうだろう。
なので下手に呼び寄せるような行動は控えるべきだった。今日のところは火を焚かないことにしようと思う。なんとか明日中には屋内で過ごせそうな家が残ってないか調べてみよう。
星の明りを頼りに荷物の中から木皿を取り出し中に水筒の水を入れ、干し肉と硬いパンを削ってそれに浸した。本当は沸騰させたお湯に浸したいのだが、水でも時間はかかるが柔らかくはなる。美味くはないが別個に食すよりマシだ。
ろくな光源がなくても俺もマカンも夜目が利くように鍛えているのでこういった作業にはあまり苦労しなかった。
それから道中に採取しておいた山菜をいくつか取り出す。まとまった量の野菜など持って運べないので道中入手できる山菜等は貴重な食材だ。自然の恵みに感謝だな。
「これはダメ。こっちはなんとか……」
もちろん食べられる物だけを採ってきているが、生では癖が強すぎたり毒性が残る物もあるので火を使わない時には注意が必要だった。
「ビィせんせ、これくう?」
「それも生はちょっと」
マカンの荷物から出てきたのは何かの青虫だった。
美味くはないが食べられる。腹の足しにはなる。でもこの手のものは内部にさらに小さい蟲とかがいて生で食べるのは危険なのだ。
マカンはオヤツ感覚でたまにそのまま食べているが。
「明日は食材も探してみるか……」
村の畑があったところも見て回ろうと決めた。
もちろん15年の間誰も手を入れていないだろうから畑に青々と野菜が実っているなどというのは期待できない。しかし人が手を加えなくても成長する強い野菜だってある。旅をしている最中いくつもの廃村を目にしたが、たまに畑跡から小さな野菜が入手できたこともあった。ここでも何かしら生き残っているかもしれない。
できればこの村に拠点を作りたいと思っていたので、そういう食材が見つかれば大きな一歩だ。
「そんで、さっきのなに?」
「ああ……ファントムってわかるか?」
マカンが食事中に聞いてきたのは両親のことだった。
そりゃ気にもなるだろう。普段俺があそこまで取り乱すことなど滅多にない。マカンには特にそういう姿を見せないようにも注意していたのに。
「ああいうんけすにかぎる」
「間違っちゃいない気もするが、とりあえずやめておいてくれ」
マカンは口調が拙い上に若干言葉の使い方が怪しいせいでたまに言いたいことが分かりづらいが、付き合いが長くなってくるとだいたい理解できる。
どうもマカンの生まれ育ったところではゴーストやファントムといったアンデッドは発生し次第速攻で消し飛ばすのが主流のようだ。所詮は魔力の塊でしかない不安定な存在だから、彼女らのように魔力に恵まれている者からすればより強い力で消し飛ばすのはそう難しくはないのだろう。
「あの2人は俺の両親らしいんだよなあ」
ちなみに2人とも今は姿を見せないでいる。夜のうちは家の中で姿を消してじっと朝がくるのを待っているらしい。
なんでそんなことをしているのかと聞いたら、『この村で過去に大勢村人が殺されたんだよ。だから夜になると化けてでるかもしれないって考えたら怖いだろ?』と返されたので放置することにした。
「マカンはあの2人が何話してたかわかったか?」
「わかんね」
「それにしては言葉に反応していた気もしたが」
「なんとなく?」
やっぱり聞こえてなかったんだなあと確認できて一安心だ。両親が語った俺の昔の恥ずかしい話など聞かれていないにこしたことはない。
両親の声は陽気ではあったがか細いものでもあった。ああいう思念を受け取ることができる者はかなり限られる。
マカンは俺とは比べ物にならないほど大きな魔力を持っているため、他者からの干渉に対する抵抗力が強く、弱い思念などは無意識に弾いてしまうようなのだ。
俺が2人の声を聞くことができたのは、2人の思念が俺の方を明確に向いていたこともあるのだろうが、俺がそういったものを受け取りやすい体質であることも関係している。困ったことに遭遇する率も高いが今回はそれが功を奏したといえるのだろう。
「どうも俺のことが心配で死んだ後もファントムになってさまよっていたらしい。元気な姿を見せたんだからそのうち満足してくれるだろうさ」
どのみち両親から感じた魔力はそれほど大きくない。仮に自我を失い暴走したとしてもマカンに対して何か悪影響がでるような真似ができるとも思えなかった。そういう意味ではあまり警戒するにも値しない。
俺としては恥ずかしい過去を暴露されるのが一番の心配事だったが、会話が成立しないのならば無問題だ。
「だから、少々どころかかなり妙な事態になってるけど、たぶんそんなに悪いことはできないと思うから、消し飛ばしたりとかはしないでくれ」
「おけ」
「ありがとな」
食事を終えたら食器を軽く水洗いし、布で水気を拭き取ってから荷袋にしまう。
建物内などで安全が確保できていて明りが灯せる状況ならこの後マカンに読み書きなどの勉強を教える時間にすることもあるが、今日はその限りではない。
明日のうちにやりたいことも多いし早めに寝てしまうべきだろう。
「マカン、歯を磨いたら寝るぞ」
「………………ぉけ」
ちなみにこの子は歯磨きが嫌いである。
2人で毛布代わりの毛皮にくるまり横になる。夜中マカンは必ず俺に抱きついて眠る。甘えたい年頃だから仕方ない。
やめろよ恥ずかしい、みたいに最初は思ったものだが、マカンと密着して寝ると悪夢の類に遭遇しないことが分かったので俺も実は歓迎していた。もちろん表向きは仕方なくを装っているが。
野営の時の就寝時には見張りを立てるものと相場が決まっているが、それも火を焚くのと同様にまとまった人数がいる時に限る。
どのみち野営中には熟睡なんてできやしない。どうしても睡眠は浅くなるので日中の疲れをとるには長時間休むに限るのだ。1人2人の時に下手に睡眠時間を削って見張りをするとその反動が昼間にでてしまうので長旅には体が堪える。
もちろん夜中獣に襲われる可能性はあるが、それに関しても別に開き直っている訳ではなく別の対策をうっていた。
野営地の周辺には肉食の魔物の乾燥糞を何種類かばらまいているし、俺たちがくるまっているのも大型の魔物の毛皮だ。これらの匂いがたいていの獣を遠ざけてくれるのである。
人間の盗賊や魔族など臭いに鈍感な相手には通用しない手ではあるが、火を使わないでいるうちはこちらを見つけてよってくるのもたいていは獣だけなのだ。だからそこまで心配する必要もない。
「……ビィせんせ、くちゃい」
「……近くに川があるから明日は水浴びしような」
「おぼれん?」
「そこまで深い場所はあんまりなかった筈だ」
言いながらしかめっ面を向けてくるマカンの鼻をつまんでみた。臭気が気になるのなら口で呼吸しろとは何度か言った筈なのだが。
清潔感とは無縁の旅を続けていた関係上、俺もマカンもひどく臭う。
服なんて何日も変えないのは当たり前だし、時には獣の体液をあびることもある。俺とマカンが魔物の毛皮をかぶって寝ているのもこういった体臭を内部に閉じ込める理由があるのだが、その分内部には強烈な臭いが充満しているのだ。
マカンはいつも俺の服に顔を埋めるようにして眠るのでどうしてもこの臭いからは逃げられないのである。
だったら離れればいいのにと思うが、そう言うとむくれて不機嫌になるのはすでに経験ずみだ。
くちゃいくちゃいと毎夜口にするマカンとは逆に俺は悪臭はわりと平気だった。なにしろ戦争やってる頃にはもっとひどい状況が日常だったからだ。
敗戦が続く戦場に長年身を置いていれば糞尿にまみれて長期間過ごすこともある。ちっとやそっとの悪臭で音をあげてなどいられない。というよりもだいぶ鼻がバカになってきている気がする。
そういえば飯が痛んでいるのに気付かなかったこともあったなあ……。
「……くちゃい」
何度もそう連呼するマカンの頭をなでてやった。するとそのうちその声は安らかな寝息へと変わる。なんだかんだでこいつもすでに慣れているというわけだ。
これから村でやることは、住めそうな家がないかの調査、食材の捜索、父さんが言っていた剣もどうせなら掘り返してみたい、それと水浴びか。ああ、余裕があれば周辺の危険な獣やいるなら魔物の間引きもした方がいいな。まあこれは住処が確保できてからか。場合によったら他所にいくべきだろうし。
優先順位を考えれば剣のことは後でもかまわないし、食材はまだ手持ちがあるからそこまで焦る必要もない。明日する必要はないかな。
家はさすがに補修なしで住める場所は期待薄なので、そこまでの手間まで含めると早めに見積もりをたてておきたいか。考えてみればゆっくり休める拠点の確保をせずに体洗っても仕方ないんだよなあ。
「……くちゃい」
マカンは寝息をたてている。もう寝てる筈だが夢の中でも臭いに困らされているようだ。
「……水浴びするって言ったからには撤回はできないな」
最低限、明日のうちに一度は川に行こうと決めた。