ジルユードは奴らに遭遇する
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ビィとの会談を終えたジルユードは村の中の散策を始めた。
その後ろに会談中は扉の前で待機していた侍女が付き従う。
「ジル様、いかようになりましたか?」
「とりあえず婚約という形でまとまった。……アルマリス、そんな顔をするな。これはめでたい話なのだ」
「はい。申し訳ありません」
アルマリスというのが侍女の名前だ。
背丈は長身のジルユードに比べると小柄であり、髪は腰に届くほどに長く、さらに前髪が目が隠れるまで伸ばしていて、声の小ささと相まって少々根暗で鈍臭そうな印象を受ける。
しかし実際にはアルマリスはジルユードの身の回りの世話をそつなくこなすだけでなく、危険な任務や護衛も受け持つ凄腕の侍女であった。
そのアルマリスは幼少の頃より歳の近いジルユードに仕えてきたため、ジルユードからも厚い信頼を寄せられていた。なので主人が心底ビィという男を嫌っていることを彼女は理解していた。
「家のために嫁ぐは貴族として生まれた者の責務だ。私がまだクロインセ家のために役立てるのだから良い縁談であったに違いない。むろん、ビィの奴は大嫌いだ! ……だが、お互い憎み合っていようとも夫婦にはなれるし子は作れる。これはこれで一つの落ち着く形なのさ」
「…………」
「それよりもお前を付き合わせてしまったことはすまないと思っている。こんな村とも呼べない場所ではお前の婿を探すことも満足にできん。本来なら良い相手を見つけて見合いの一つでもさせてやりたかったのだが……」
「いえそれは必要ありません。ジル様の参られる場所にどこまでもお供させていただきたいというのが私の希望でございます」
「そうか。その想いはありがたく受け取っておくよ」
「いえ……。ところでジル様、どちらへ行かれるおつもりですか? 商隊が荷降ろしをしている方向とは違うようですが」
ジルユードがそちらとは別方向に歩を進めているのでアルマリスは訝しんだ。土地勘のない場所なので、護衛の身としては下手にうろつくべきではないと思っている。
「なに、村の中を見て回ろうと思ったのだよ。なにせビィから、獣が出るかもしれないから不用意にうろつくなと釘を刺されたのでね。見られたくないものでもあるのなら先に見てやりたいじゃないか」
「そうですか。しかし森中の廃村となれば確かに危険な獣が出てもおかしくはありませんので、あまり油断はなさらないでくださいませ」
「わかっている。なに、私にはこれがあるし、お前もいる。獣ごときに遅れをとりはせん」
ジルユードは腰に挿した剣の柄に手をやりながら答えた。
護衛を務めるアルマリスのことは信頼しているが、ジルユードとてただのお嬢様ではない。貴族としての勉学よりも剣の修行を好み己を鍛えてきた。
普通は淑女にあるまじきと眉をしかめられかねなかったが、世が大戦の真っ只中であったことと確かな才があったことでその道を万進してこれたのだ。
ジルユードには二人の兄と一人の弟がいるが、次男はたいそう腕っぷしが強く頭も良かった。クロインセ侯爵家の家紋を背負って戦場に立ち兵を率いて武勲をあげた自慢の兄であった。その兄が率いた隊が壊滅し行方がわからなくなった後、ジルユードも家名を掲げて1,000人を従える将として戦場に赴いたこともある。
なのでそこらのお嬢様とは危険に対しての心構えが最初から違っていた。
「見よ。あそこにいるウサギは黒だ。肉食獣を追い払うと言われている珍獣よ」
「あれが噂に聞いた糞ウサギですか」
「……あえてその名で呼ぶか。アルマリス、お前はもう少し淑女の嗜みをもて」
「これは失礼しました」
二人きりだとどうにも気が緩むのか、アルマリスからは地の色がにじみ出てくる。ジルユードはアルマリスが婚期を逃したのは自分のせいだけではないのだろうなあと嘆息した。
「この廃村には黒が住み着き、ビィの奴もいる。周辺の警戒は日頃からしているだろう。そうそう村の中に危険が及ぶようなことにはなるまいよ」
ジルユードは強い嫌悪とは別にビィ個人の有能さについては認めていた。ここでビィが長期間暮らしているのであれば、ある程度の安全は確保されているとみて間違いないと確信していた。
「危険がないのであれば見て回ってほしくないというビィの期待には応えねばなるまい?」
「なるほど。さすがはジル様です」
基本的にアルマリスは意見はしてもジルユードの決定には逆らわない。こうして二人は村の中を歩いて回りだした。
ロンデ村は村の規模としてはそれほど大きなものではない。しかし一口に大きくない村といっても住民の生活を支える畑も内包しているため、そこそこ広大だ。全てを見て回ろうとするならかなりの時間がかかる。
ジルユードがあまり長時間戻らなければ、彼女が高位貴族であることを知っている者が不安を覚えて捜索にでるなど大事になるかもしれない。
だから最初からあまり長々と見て回るつもりはなかった。何も見つからないならそれはそれで仕方ないと割り切ってもいた。
そういったある種気楽なのが良かったのだろうか。
ジルユードとアルマリスは否が応でも気を引く存在に出会ってしまった。
「……なんだあれは?」
視線の先にいるのは謎の緑色の生き物だった。それが両手で鍬を持って畑を耕しているように見える。
ようするに少し前から村に居着いた河童のタガッパ・セイジロウを発見したのだ。
「ジル様、お下がりください。あれはおそらく魔族です」
「魔族か。……つまりビィが次の魔王に擁立しようと考えているのはあれか?」
恐らくそうなのだろうとジルユードは一人納得した。
いや内心ではにわかには納得しづらいものも感じていたのだが。
なにせ次期魔王と言われても威厳や覇気のようなものが全く感じられず、立ち居振る舞いにもどこか抜けた印象しか感じられなかった。
姿かたちは異様だが、目の前でやっていることがそこらの農民と変わらないのもそう感じる理由の一つだろう。
しばらく遠目で観察していたが、ふとこちらを見た魔族と目があった。正面から顔を見るとますます不気味で滑稽な風貌だ。大きな鳥を連想させるクチバシは、およそ人間とは違う種族であることをはっきりと物語っていた。
「ジル様、危険です。私の後ろに」
「なんと面妖な。ビィは本気であんなのを魔王に仕立て上げるつもりなのか?」
「……え? お客さん? ああ、どうもどうも。初めまして、ワイはタガッパ・セイジロウいいます」
ジルユードたちからすると河童などというのはまったくの未知の存在だ。正体不明の魔族が近付いてきたことに思わず一歩後ろに下がる。しかしセイジロウからすれば人間は親しい隣人である。陽気に話しかけるのが彼なりの人付き合いというものであった。
「聞いとるで、今日来た商隊の人やろ? なんや二人だけでここまで来てもうたんやな。ひょっとして道に迷ったん? 実はワイもやねん。そろそろ故郷の村から出て独り立ちせなあかんなー思てた時に迷いに迷ってここに来てもうた。実家じゃ案外、厄介払いできた思われてんのかもしれへんなあ。はあ……」
「う、うむ……」
ジルユードもアルマリスもこれだけべらべらと話しかけてくる魔族など初めて見た。そもそも魔族といえば顔を合わせば殺し合うのが当たり前だ。ジルユードも実際に何人かの魔族と戦ったことがある。
「でもな、ワイは思うんや。人生、時には迷うことも必要なんやないかって。決まりきった道を進んでるだけやと見えへんものもきっとあるやろ。迷った末にそういうもんを見つけたりとかな、新天地にたどり着いたりすることだってある訳やん。せやろ? だからな、迷子になってもええねん。……ええんや。でもちょっとだけ前フリとか欲しかったわ。……ぐすっ」
一人で喋りだしなぜか突然涙ぐむ魔族を前に、なんと返せばいいのか。
「……すまないけど、貴様が何を言ってるのかさっぱりわからない」
「あれ? お客さんやなかったん?」
「いや、商隊の者というのはあっているが」
「やっぱそうやろ? ちゃんと聞いとるでビィさんから。商隊が到着したら迂闊に人と顔合わせんなって何度も注意されたし──あかんやんっ!? なんでこないなとこ来てもうたん!?」
「ジル様!」
「よせ、アルマリス!」
突然奇声を発したセイジロウにアルマリスが攻撃態勢をとろうとするのをジルユードが制した。言ってることはよくわからないが、なんとなく予期せぬ出会いに驚く魔族を見てこれがビィが見せたくなかったものに違いないと確信した。
「セイジロウと言ったね。一つ聞かせてもらおう。貴様がビィが支援している次の魔王候補ということでいいのだな?」
「いやいや、何言うてんの。それワイのことちゃうで?」
「なにぃ?」
「次の魔王になるいうてんのは、ああ、ほら後ろにおるやん」
「後ろ?」
セイジロウが指差した後方に怪訝な表情で振り向いた。
そしてそこには、彼女たちのすぐ後ろに確かに別の何者かがいたのである。
「な!?」
ジルユードは突如体に強い衝撃を感じた。アルマリスがジルユードの体を一瞬で抱きかかえて距離をとったのだ。
「ジル様、アンデッドです!」
「くっ、ビィの奴、このようなものが現れるというのに排除しきれていないではないか!」
そこにいたのはスケルトンが2体。2体とも外套のようなものを羽織っているが、その骸骨の顔を隠しきれてはおらず一目でアンデッドであることがわかる。しかも1体は腰に剣を挿しているため生前は戦士であった可能性が高く危険度もそれだけ高いとみるべきだった。
つまり当然ながらビィの両親である。
『ああ、お嬢さん方、驚かせて申し訳ない。私達幽霊やってた期間が長かったせいか、つい気配を消してしまうんですよ』
『もうアナタったら。だから少し離れたところから話しかけた方がいいって言ったでしょ?』
「スケルトンが喋った、だと……!?」
『はっはっは。おかしなことを言う。声は全く出ていませんよ』
『アナタ、そういう意味じゃないわよ』
アルマリスはジルユードを背にじりじりと後ずさりしながら対応に迷った。
今すぐ逃げるべきかそれとも戦うべきか。ただの低級のアンデッドであるスケルトンならさっさと倒してしまった方がいい筈だが、知性があるのなら話はまた変わってくる。
ジルユードも腰の剣に手をかけ警戒しつつもそれを抜くには至っていない。
「ジル様。自我のあるアンデッドは魔族として扱うべきだと聞いた覚えがあります」
「……つまり、あのスケルトンのどちらかが次の魔王候補だというのか? そこのセイジロウとかいう魔族もそのように言っていたが……」
『ああ待った待った。私たちは魔族じゃないんだよ。一応ほら、色々それじゃ困るから魔物ってことになってるから』
「魔物だと……?」
『あ、でも次の魔王は目指してるので良かったら応援してください』
『清き一票をお願いします』
『直接的な援助、又は支援金などはいつでもお待ちしております』
そういってスケルトン夫婦は頭を垂れる。
「……訳がわからない。なんだこいつらは……」
「ジル様ご油断なされませぬよう。魔王になれる程のアンデッドであるならただのスケルトンであるわけがありません。ああ見えて高位のアンデッドである可能性があります」
「ビィの奴はこのようなものと共に暮らし育てているのか。……あいつは正気なのか?」
ジルユードはビィの行っている所業に疑いを感じだした。
元々ビィは一部の者からすると謎の多い人物である。
とくに知識面に関してはいったいどこから知識を得ているのか、あまりそこらの平民が知っている訳がないようなことまで知っていたり、時に突拍子もないことを言ったりする。
次期魔王についてもそうだ。次の魔王が決まるのが先である理由や魔族の種族ごとの関係性など、なぜ知っているのか不思議で仕方ないことを知っていた。ビィもその知識の出どころを公にしようとしないため、ますます周囲の理解や信頼を得るのが難しいのである。
だから時折りこのように正気を疑われることも多々あった。




