両親
「ヒロシって誰だよ!?」
不意打ち気味だったこともあり思わず2回尋ねてしまった。
このファントムたちは両親に間違いないと断言した直後になんなのだが、ひょっとしてあかの他人だったのだろうか。
『もうアナタ、この子はビィよ! ヒロシは次に生まれてくる子供につけようって言っていた名前でしょ?』
『あっ! そうだった! ……いやすまないなビィ。私たちはこんな存在になってしまってから記憶をたどるのにも時に支障があってね。色々なことがごちゃ混ぜになってしまっているみたいなんだ』
「そう、か……。いやだったらいいんだ。怒鳴って悪かった」
15年だ。ファントムというアンデッドになってしまった2人はその間なかなか戻ってこない俺を待ってくれていた。
考えてみれば、未練という妄執の塊である筈のファントムが未だに自我を残していること自体が奇跡と言ってもいいぐらいだ。名前を間違えてしまうぐらいは仕方のないことなのだろう。
『すまないね。他にも何かビィのことについて記憶違いしていることもあるかもしれない。少し確認させてもらっても良いかな?』
「ああ、かまわないよ」
『ビィは小さな胸の女の子よりも大きな胸の娘の方が好きなんだよね?』
「……それ確認する必要あるか?」
『そうよアナタ。だいたいの男の子はそうでしょ?』
そういう意味でも無いんだが……。
『いやこれは大事な事だよ。ビィは女の子がかがんでいたりすると、後ろから近づいて服の隙間からおっぱい覗こうとしたりしてたよね?』
「…………何を言っている?」
『将来は強くてかっこいい男になるって言った次の日にケンカに負けて、僕は将来学者になるんだケンカなんてくだらないんだ、って泣いて帰ってきたのはビィだったよね?』
「………………覚えていない」
『じゃあ私も。ビィが小さい時に大きくなったらお嫁さんになってくださいって言った女の子はフィーちゃんとエレちゃんとルーちゃんで良かったかしら?』
『それは少し記憶違いじゃないかな。確か隣村の子も何人か……』
『フィーちゃんがお嫁にいってから急に誰にも言わなくなったのよね』
「――待て待て待て待てっ! なんでそう俺が恥ずかしくなるようなことばっかりなんだ! 俺すら忘れたい記憶ばかり掘り起こさないでくれるかな!?」
『そりゃおまえ、恥ずかしい記憶だからこそ他人と混在しちゃ問題あるだろ?』
「むしろ忘れていい記憶だから!」
記憶の確認とかもうどうでも良い気がしてきた。
俺からしてみると両親ってこんな性格だったかどうかが疑問だ。確かに陽気な人たちだった覚えはあるけど、ここまでだったか?
『私たちもファントムになったことで少し性格に影響がでてしまっているかもしれないねえ』
……なんでもファントム化のせいにしようとしてないよな?
『おまえが帰ってくるまでの長い間、自分を見失わないように2人でくだらないことでもなんでも記憶を掘り返して語りあったのさ』
『悲しい思い出よりも楽しい思い出のお話をいっぱいした方がいいよねって言ってね。そうしたらどうしてもアナタの話題が多くなっちゃったのよ』
『だから逆に自分たちのことの方がぼやけてしまっていてね』
『せめてアナタのことだけはしっかり覚えていようとしたの』
「…………」
そう言われると怒るに怒れない。
「……わかったよ。でももう確認とかは良いだろ」
『ヒロシ……』
「だからそれ俺の名前じゃないから!?」
……俺が知らないだけで、ヒロシって子供本当はいるんじゃないだろうか?
「でも2人はなんでファントムに……俺が心残りだったってことなのか?」
なんとなく全身脱力感半端ないが、膝から崩折れる前にこれだけは聞いておきたかった。
思いがけず両親と再会して会話できたことは嬉しかったが、アンデッド化なんてものは本来喜ぶべきことではない。未練の果てにとなると尚更だ。
『そう。おまえにどうしても伝えたいことがあったんだ』
そうだろうとは思っていたが、父さんの未練はやはり俺のことだったようだ。
『私はこの村で警備兵やってるだけの普通の男だったが、私たちの祖先はそれはすごいお方だった。開拓時代に率先して人々の先頭に立って襲いくる魔物や魔族と戦い抜き、王家から一代限りとはいえ爵位もいただいたぐらいだったらしい。確かお前にも聞かせたことはあったと思うが』
「…………」
そういえば偉大な祖先がいたという話は薄っすらと聞いた覚えがあった。父さんは祖先の偉業を誇って偉ぶった態度をとるのは恥だからと、あまり堂々と表に出すべきじゃないと言ってた気もする。
『その際に当時の国王陛下から特別に下賜された宝物が代々伝わっていたんだ』
「王家から下賜された宝物?」
『少し大変かもしれないけど、父さんと母さんの寝室の床板を剥がしてごらん。そこに一振りの剣が埋めて隠してある』
「宝剣か。それを渡せなかったことが未練になるぐらいすごい物なんだ?」
『それもある。でもおまえのためにどうしてもって思ったんだ』
『ビィ。私たちを見て育ったアナタは、村が魔族に蹂躙され滅ぼされてしまったなら、きっと戦いの場に自分を置くことを選択するって思っていたのよ』
確かにその通りだ。俺はどこかに潜んで魔族がやってくる恐怖に怯えて日々を過ごすことを選ばなかった。強い復讐心もあったけど、とにかく戦うことを選んだ。
『我が家に伝わる宝剣は人々を勝利に導く力があると言われている魔剣だ。私は未熟だったし剣を奪われる可能性を危惧してずっと隠していたが、おまえはきっとあれを使いこなせるようになる。私はそう信じている』
「父さん……」
『だからおまえが戦う道を選んだのならあの剣を手に取るんだ。あれはきっとこれからの魔族との戦争でおまえを助けてくれる。まるで遠い日の祖先のように――』
「戦争、もう終わったから」
『…………え?』
「終わったから。2年前に。だから帰ってこれたんだ」
『……勝ったのか?』
「痛み分けだな。王国はボロボロだけど、魔族も魔王が死んでもう戦争どころじゃなくなった。当分は大きな争いは起こらないと思う」
『ふーん。へえ、そうなんだ。――もう思い残すことは無い。さらばだ』
「早いな父さん!?」
突然別れの言葉を言い残して父さんの影はふうっと消え去ってしまった。
現れたのも唐突だったが別れも一瞬のことだった。まるで夢か幻のようだ。何かに騙されているんじゃないかと思ってしまう。
いやでもこれで良かったのだろう。父さんはようやく神の住まう世界に旅立てたんだ。永遠にアンデッドとしてこの地に束縛され続けるよりずっと良い。
俺はそう思いちらりともう1つの影に視線をやった。
「母さんは……何が未練なんだ?」
きっと母さんも俺のことだろう。父さんとは違う内容のようだけど。
『母さんはね……子供をあと2人ぐらいは産みたかったわ』
「いやそれもうムリだから」
なんて未練を持っているんだ。
困った。妙齢の女性としては間違った願望じゃないんだろうが、叶えようがない。
『ううん、いいのよ。だからビィが帰ってくるのを待っていたんだし』
「俺にどうしろと?」
『母さんはね、ビィがお嫁さんと子供を連れて幸せそうにしている姿が見たかったの』
「それは……」
俺の年齢はもう23だ。すでに子供がいても不思議ではない。ただずっと戦場に身を置いていた俺は結婚だとかそういうことは考えもしなかった。殺すこと、生き残ることに必死で子供を残すとかいう意識は全くなかったのだ。なにしろ国家存亡がかかった時代だった。
「ゴメン、当分ムリだ……」
戦争は終わった。
俺は兵士を辞めた。
今王国は新たな混乱に見舞われながらも復興へ向けて歩きだしている。恐らく多くの夫婦が誕生しているだろうし、これから多くの子供が生まれてくることだろう。
でも俺はその流れの中にいない。
やるべきことがあるのだ。
それは1年2年で終わることでもない。だから俺が誰かと結婚して子供をつくるというのは未だ現実味を帯びてこない話題だった。
いつかは、とは思わなくもないが……。
『いいのよ、ビィ。アナタが無事に帰ってきてくれただけでもとても嬉しいから』
でも母さんの未練は残ったままなのだ。
「母さん……」
と、俺がなんと声をかけるべきか迷った時だった。
「……ビィせんせ、さっきからなにやってん?」
不意に後ろから声をかけられた。
マカンだ。
しまった。両親との再会に驚いてマカンのことを忘れてしまっていた。
旅慣れているとはいっても年端もいかない少女を放置していたのはまずかった。
「マカン、すまない。少し驚くことがあって」
マカンはトコトコと俺の横に並んだ。じぃっと母さんである影を見つめている。
「……とうばつみっしょんでおけ?」
「ダメだから。……俺の母さんなんだ」
「…………?」
『ビィ、この女の子は?』
「この子はマカン。訳あって今はこの子の面倒を見ていて――」
『…………当分ムリってそういう……』
んん? 何か勘違いしてないか?
『ビィ、辛いかもしれないけどしっかり現実を見なさい。この子たぶんあんまりおっぱい大きくならないわよ?』
「やめてくれ、何を言ってるんだ? そういう将来を見越してる訳じゃないんだよ!」
「とうばつみっしょんでおけ?」
「マカンも殺気を放つの止めなさい!」
『え……でもだって……じゃあ小さいのがいいの!? 胸も背丈も小さいのが趣味になっちゃったの!? ダメよそんなの、犯罪よ!?』
「おいぃぃぃぃぃっ!」
『衛兵さん、こっちです!』
『――おいそこのおまえ、その女の子から離れなさい!』
「ふえた」
「なんで父さんまで復活してんの!? さっき消え去ったのはなんだったんだよおっ!」
『幽霊って出たり消えたりが基本だと思うんだが』
「たんなる演出だと!?」
もうメチャクチャだった。
あれほど複雑な気持ちを抱いての帰郷だったのに、色んなものが全部吹っ飛んじまった気分だよホントにもう! 俺こういうキャラじゃないのに!
◇
今から16年前。
俺たちの国は魔族との全面戦争に突入した。
当時まだガキだった俺はそんな話を聞かされてもなんの実感もわかなかったし、大人から聞こえてくる話は「どこどこで勝利した」みたいなものばかりで戦争ってそんなものなんだぐらいにしか思っていなかった。今思えばなんて気楽だったものか。
戦局は始めこちら側の有利で進んでいたが、1年もしないうちに魔族側が猛反撃に転じてからは一変した。
この大陸の西側は俺たち人間の国であるリーン王国の領地で、大陸を南北に縦断する境界山脈から東は魔族の領土と言われている。
俺の住む村は王国の東の方だったが、東の端というわけではなかったので領民誰もがそれほど警戒心を持っていなかった。
しかしある時あっさりと村は押し寄せてきた魔物の群れによって蹂躙された。
魔族は無数の魔物を率いて国境全域で一斉に侵攻を開始し、リーン王国の連絡網が機能するよりも早い速度で国土を侵していったのだ。
この侵攻が一時的に止まるまでの間に王国は領土の5分の1を魔族に踏みにじられ、多くの民が殺された。
しかもこれで終わりではなかった。
それからも広大に拡がった戦線によってリーン王国は局地的な小さな勝利と大敗を繰り返し、全滅を避けるために東の領土を捨て民を切り捨て西の半島にまで追い込まれる事態になった。10年を越す戦争で国土を3分の1にまで減らしてしまったのだ。
戦線が縮小したことでなんとか持ちこたえられるようになったが、魔族の勢いは劣えずにリーン王国は亡国の憂き目にあった。
が、滅びはしなかった。
ことここに至って王国で究極の禁術と呼ばれる『勇者召喚』が行われたためだ。これは読んで字の如く異世界より勇者と呼ばれる超常の戦士を召喚する大魔術である。
異世界より召喚された勇者の力は凄まじかった。1人で1軍に匹敵する怪物勇者の戦線投入により、魔族の中核を担う軍団を次々と壊滅させていった。
そしてついには魔王の率いる魔族軍に強襲をかけ魔王を討ち取った。これによって魔族は統率を失い魔族領に撤退していったのである。
多くの犠牲を出し、けっして勝利したとは言えないまでも、王国はなんとか魔族との戦争を終結させることに成功したのだ。
それが今から2年前のこと。
これはそんな世界で、未だ滅びの道を進んでいる人間社会の大きな問題に対処するべく人知れず奮闘している俺とマカンを中心とした物語である。
「せかいはマカンをちゅうしんにまわっている」
『ビィ。ちょっとこの子にどういう教育をしているんだい?』
『いくら可愛いからって……』
……黙っといてくんないかなあ。