岩鋼女②
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ビィが頭部にくらったのはクランディが苦し紛れに振るった矛の柄だ。苦し紛れとは言ってもクランディの防御を捨てての攻撃はうまくビィの死角からとなり回避困難の一撃だった。
クランディが万全の態勢でなく、ビィはかわせないまでも腕を間に入れて打撃を受けたたため致命傷とはならなかったが、それでも腕と頭部に食らった強い衝撃で吹き飛ばされたビィは一時戦闘不能に追いやられてしまった。
「ビィ様っ!」
アルマリスは思わず絶叫していた。ビィが素手でクランディを殴り怯ませた時には歓声を上げそうになったが、次の瞬間ビィの体が吹き飛んだのだ。その意味を理解すれば背筋が凍る。人間の体が一瞬で弾き飛ばされるほどの衝撃を頭部に受ければとうてい無事ではいられまい。
幸いビィは頭部への直撃は避けたためにすぐに意識を取り戻し、なんとか起き上がろうともがきだしたことで死んでいないのは伝わったが、それでも思うように体が動かせないようで本来なら安静にすべき場面だ。
だというのにが怒気を膨れ上げさせたクランディがビィに近寄ろうとしている。このままではその後どうなるのかは火を見るより明らかに見えた。
「ぐおっ」
クランディが膝を崩し血を吐いた。ビィの2発の拳撃でクランディも深刻なダメージを負っていた。それこそ常人なら悶絶するか最悪内臓を破裂させて死んでいてもおかしくないほどの打撃だったのだ。
「っ」
そこにアルマリスが追撃を加えた。またも背後から音もなく忍び寄り、クランディの側頭部を蹴り飛ばした。
蹴った脚に伝わってきた硬さはそのまま痛みになって返ってくる。顔をしかめそうになった。
短剣の刃すら通さなかったクランディに対しアルマリスの蹴りは痛打とならない。いくらビィの拳打でダメージを負っても、それで魔力による頑強さが損なわれる訳ではないからだ。
が、衝撃は与えられる。強度が増そうが重さは増していない。このように頭部を蹴られればいかにクランディとて顔を弾かれ体が揺れる。
「ああん?」
しかしダメージは無い。だからすぐにクランディはぞっとするような眼をアルマリスに向け、次の瞬間慌てて顔をそらした。
「っぶな!?」
短剣が顔の間近を横切った。先程まで目のあった軌道上を短剣の刃が通ったのだ。アルマリスは肌に通らなくともここなら傷つけられるだろうと短剣で目を狙ったのである。
「この――っ!?」
またアルマリスの脚が跳ね上がりクランディの後頭部を蹴り飛ばした。
「っかげんにしろぉっ!」
ブンと矛が振り回された。風を裂く強烈な一閃だったがすでにクランディの体は万全とは言えず体勢も悪い。アルマリスはそれを身をひるがえして間一髪避けてみせた。戦いの場に不釣り合いなスカートがたなびくが、アルマリスの動きは華麗だった。
「どうやらお前から死にたいようだなあっ!?」
ゆらりとクランディが立ち上がりアルマリスを見下ろした。標的をビィからアルマリスへと変えたのだ。それはアルマリスにとって望むところだった。彼女の力ではクランディの打倒は難しいが、ビィが動けるようになるまでの時間稼ぎならできそうだ。
ビィとクランディの攻防を目にした今ではクランディと相対するのがどれだけ危険なことか理解している。背中には冷たい汗が流れたが、アルマリスは距離をとりつつなんとか耐えしのぐことに全力を尽くすことにした。
『ちょっとちょっと、いったいこれどうなってるんだい!?』
『あらあそこで倒れてるのって、ビィ!?』
クランディとアルマリスが対峙してすぐに乱入してきたのは父ちゃんと母ちゃんだった。
ビィとクランディが争いだした時に比較的近くにいた2人は、廃屋が轟音を巻き上げ倒壊する音が聞こえてきたため気になって様子を見に来たのである。そうすると現場ではビィが倒れて起き上がろうともがいているし、筋骨逞しい女性が物騒な武器を振ってジルユードの侍女を襲っていた。
「旦那様、奥様、ビィ様をっ」
父ちゃんたちに気が付いたアルマリスはビィの救出をしてくれと声を張り上げた。
『え、あ、うん』
『そうね、まずはあの子を』
状況がわからずどうしたものか戸惑っていた父ちゃんたちだったがそれに頷く。
しかしクランディがそこに食らいついた。
「アンデッドぉ! 魔物ぉ! おまえがっ、おまえがあああああっ!」
2人に気が付いたクランディは対峙しているアルマリスのことを一瞬で頭から消した。そして他は目に入らぬとばかりの猪突猛進ぷりを発揮し父ちゃんたちに迫った。
『え? え? え?』
『やだちょっと怖いわなにあの人!?」
「御二人とも、御逃げ下さい!」
『に、逃げればいい? そ、そうだね、わかったよ!』
『あ、ちょっと、あなた、ビィはどうするの!?』
状況がつかめぬものの、鬼気迫るクランディの迫力に気圧され父ちゃんは言われるままに背を向け逃亡を開始しようとした。母ちゃんもためらいながらも逃げようとする。
「逃げるなあああああっ!! お前らみんなみんな殺してやる! 魔物も魔族も! それを庇ってるやつら全員! ああああああっ、ビィめっ、ビィめぇっ! 殺す! 殺してやる!」
『っ、いや君すごい物騒なこと言ってるなあ!? それはダメだよ! ビィは大事な息子なんだ。手出しはさせないぞ!』
『あなたっ』
クランディの咆哮が再度父ちゃんを反転させた。魔族や魔物憎しから暴走した女がこの状況の元凶なのだと理解し、このままでは息子が危ないとくれば逃げてはいられない。腰から家宝の宝剣を抜いてクランディを迎え撃つ構えだ。
『母さんはビィをっ』
『っ、わかったわっ』
母ちゃんも腰に差した手斧を構えようとしたが、それを父ちゃんが止めてビィの元へ行くように指示した。これはクランディを侮ったのではない。むしろ脅威と感じたが故に母ちゃんを遠ざけた。母ちゃんもそれはわかっていたが、ビィのことも放っておけず後ろ髪を引かれる想いで駆けだした。
「お前からだあ!」
しかしクランディはそんな空気を読まなかった。ビィの元へ向かおうとした母ちゃんの方をターゲットに定めて走る進路を修正した。
『えええ、なんでこっち来るのよ!?』
『させないぞおっ!』
その背に父ちゃんは飛び掛かって宝剣を振るった。
『ほえ?』
ぶんと振るわれた剣、確かに刃先が当たった。にもかかわらず父ちゃんは刃が肉に食い込むどころか弾かれたことに驚嘆した。
「旦那様っ!」
「あああああああっ!」
『あっ……』
豪、と唸りをあげて矛が父ちゃんに襲いかかった。咄嗟に宝剣を間に入れて防ごうと試みるが、父ちゃんにはクランディに対抗できるだけの膂力がない。抵抗虚しく次の瞬間には父ちゃんの胸から上が粉みじんに吹き飛んでいた。
『アナタッ!? 嫌あああっ!』
母ちゃんは絶叫をあげながらその場に茫然と立ち尽くした。身動きとれなくなっていた。そんな母ちゃんをゆらりクランディが再び視界に収め、次はお前だと矛を振り上げる。
「っ!」
しかし振り下ろされる矛より一瞬早くアルマリスが飛び込んで母ちゃんを抱きかかえて転がった。ズンッと矛が地面にめり込む音と振動が響く。危ないところだった。生きた心地がしない。かろうじて母ちゃんもアルマリスも無事だったが、脚の一本ぐらい失っていてもおかしくないタイミングだった。
「お前、こんな奴らをっ親とかっ、庇うとかっ、正気じゃねえええっ!」
うまく一撃を避けたからといってそれで終わりではない。クランディはスケルトンを庇ったアルマリスに対し侮蔑の表情を浮かべると、2人まとめて片付けてやるとばかりに矛で斬りかかった。
『アルマリスちゃんっ』
「あっ」
すでに母ちゃんともども倒れた状態、起き上がって避けるだけの時間的余裕などなく、クランディの剛撃は生半可な防御手段などまったく意に介さない。せめて致命傷だけでも避けようと身をよじらせる抵抗を試みるが、それに意味などありはしなかった。
――突風が吹き荒れ砂塵が舞うとともに矛はドンと地面を叩き、クランディの体がくの字に曲がった。
「ビィ様……」
「もういいかげんにしろ、クランディ」
アルマリスが見上げると、そこではビィがクランディの腹部に拳をめり込ませていた。
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◇
考える間が惜しい時、人は後から考えると後悔しそうなことをしでかすことが多い。俺にしてもそういうことは多々ある。
もちろんその瞬間的な決断によって助かった、うまくいったという成功経験もあるので一概に否定的に捉えている訳ではないが、それでもするつもりがなかったことをしてしまった時というのはけっこう気分が重くなる。
今回のことに関して言えば『超加速』は使わない方針でいた。
だというのに、結局使ってしまったというのは俺にとっては大いに不満、というか反省せざるをえないポイントだった。
『アルマリスちゃんっ』
母さんの悲鳴じみた思念、頭の痛みは引いて視界も戻ってきたが右腕の激痛が止まない。それでも体をようやく起こすことができた俺の目に飛び込んできたのはアルマリスと母さんの窮地だった。
「っ!」
間に合う筈がない距離。間に合ったとしても対処が難しい敵。そして見捨ててはいけない状況。頭の中であれこれ考えるより先に無詠唱魔術『超加速』を使用し刹那の時間を自分のモノにする。この魔術によって強化されたほんの1秒の間だけは俺は余人と隔絶した速さの世界の住人だ。
――まずは矛!
剣を手にしていれば楽だったが今は手元にない。意を決して振り下ろされるタイミングに合わせて横から足裏で押すように矛の柄を蹴り飛ばす! 人間なんざ簡単に真っ二つにできる威力の乗った矛も、俺の体重と今の速度の乗った蹴りなら逸らすことぐらいはできる。できたが足の裏が痛ぇっ。
だがそんな泣き言は言ってられない。
――クランディを仕留める!
矛を蹴って崩れた体勢を一瞬で戻してクランディの懐に入った。
クランディは唖然とした表情で目だけが俺の動きについてきていた。今の俺の速度にはクランディとてついてはこれない。俺も覚悟を決めて動かない右拳に代わって左の拳を固め、先に腹部の『通拳』で殴った箇所めがけて渾身の一撃を食らわせた。
クランディの体がくの字に曲がる。ダメージは通った。
それを確信したところで『超加速』が切れた。
――ぐうう、う……。
思わずうめき声をあげたくなったが堪えた。拳から腕、肩にかけて衝撃が走った。あちこち痛めたなこれ。
こうなるのはわかっていたが他の手を考える余裕がなかった。『超加速』状態だと意識と実際の魔力の流れ方の乖離が大きくなるため『通拳』が使えない。だから俺は速さを武器にしてクランディを殴るしかなかった。
速いということはそれそのものが暴力だ。圧倒的な速度で打ち込まれた拳はクランディの強固な装甲をも打ち抜いた。が、そのダメージは俺の拳にも返ってくる。結果、あちこち痛めちまったが、クランディを悶絶させることにも成功した。
「もういいかげんにしろ、クランディ」
「ぐ、う……ビ、ィ……」
ガクッとクランディが膝をついて腹を抱えてうずくまった。先に『通拳』で痛めた箇所を狙った甲斐あってようやく沈んだ。外していたらまだクランディは戦えたかもしれない。そう考えると本当にギリギリだったな。
こちらを見ているアルマリスに視線を合わし、簡単な動作で念のために離れていろと指示を飛ばした。アルマリスははっと気づいて胸元を隠しつつ(見ねえってのに)、指示に従って母さんと離れていった。
ああ、できればもっと離れて俺の方に注目しないでほしい気分だった。
正直言って今すぐぶっ倒れてしまいたい。くそっ。頭はまだズキズキするし足の裏と右腕はこれ両方骨がいってるのがわかる痛みを発している。左腕は動くが万全とは言い難い。さらに『超加速』の反動が襲ってきて全身が悲鳴を上げ始めた。
これでもしもクランディがまだやりあうつもりだったなら逃げるしかないな。
だがその心配は杞憂だったとすぐに判明した。
「……さっきの尋常じゃない動き。あなた、私を殺そうと思えばいつでも殺せたんじゃなくて?」
「さあな。そう簡単にいったとも思えんが」
だが殺せたことは否定しない。それはクランディにもわかっただろう。
「…………ああもう、なんてことかしら。…………負けましたわ、ビィ」
クランディはゴロンと仰向けになってでんと手足を拡げて地面に寝転がって敗北宣言してきた。