衝突は避けられない
俺が求めたことじゃない。政治的に英雄が必要になったから俺が担がれた、あくまでそれが真相だ。というか俺自身そんなことになってるなんてオージとジルユードに知らされるまで知らなかったぐらいだ。
しかし勇者の代わりに英雄となった。それもまた事実で、おそらくクランディはそれが許せないに違いない。
「その上で侯爵家に取り入ることにも成功し将来も安泰、でしょう? 素晴らしい立身出世というやつですわよね。ユーキ様が生きていればそんなことになったのかしら?」
そりゃならなかったさ。変事が起きなければ俺が英雄扱いされることもなく、英雄という肩書きがなければジルユードが俺に嫁ぐという話が持ち上がることもなかっただろう。
「それはたんなる成り行きだって言ってんだろ。勇者の代わりに英雄になるのが計画通りだっていうんならこんな辺鄙な村で苦労だらけの生活するかよ。今頃あっちこっちでちやほやされて自堕落な左団扇の生活してるさ。お前は今の俺がそんな楽な暮らしをしているように思えるのか?」
ここが最後の防衛線かもしれない。
はっきりいって俺は英雄呼ばわりされることによる恩恵なんぞ何も受けていない。クランディからすればジルユードとの婚姻こそが恩恵と思うのかもしれないが、政治の面倒なところだけを押し付けられている状況に他ならないんだ。
小さな村を復興させて領主になって。そんなことのために勇者を暗殺したなんて筋が通りはしないだろう?
「……私もそこが腑に落ちないところでしたわ。ビィ、地位と名声を得た貴方が女を何人も侍らせて好き放題していれば、もっと早くにユーキ様を殺したのは貴方だと確信を持てた」
その言い方だと時間はかかったがやはり今は確信していて、それは揺らがないと言っているも同然じゃねえか。
「ええ、この村に来て良かったですわ。おかげでその疑問も解消できましたもの」
「…………」
「ビィ、貴方は……貴方はっ…………魔族に通じてやがったんだよなあ!?」
「っ!?」
わかってる。こいつが言っているのはマカンのことじゃあない。次の魔王を擁立しようとしていることを知っている訳じゃあない。
だが不味い。
こういう思考の繋げ方をしてきやがったのか。
誤解であるのは間違いないが、すでにこいつがそれを聞き入れる可能性がどれだけあるのか……。
「けっきょく、そういうことだろ!? 魔族に通じてユーキ様を殺したんだ! そしてここで魔族と仲良く王国を滅ぼす算段でもつけてやがるんだ! なあ、ビィよ、そういうことだよなあ!?」
「っ、っ、呆れるくらいバカだな……んな訳ある筈ないだろうが!? どこまでぶっ飛んだ妄想を信じちまってんだよ! 俺が魔族と共謀して王国を滅ぼす? そんなことをする理由がどこにある!?」
「んなの魔族に洗脳でもされたんだろう? 体を乗っ取られたか? 確かユーキ様が凶行を働いたのも魔族が絡んでたって話があったが、実はビィがそうなってるって考えたら全部つじつまあうじゃねえか! 魔族をみんなに認めさせるために手を尽くすだあ? そんなことをする理由が他にあるか? スケルトンが両親だあ? お前が乗り移られでもしてないなら狂ったとしか思えねえ! なあ、そうなんだろビィ? お前が元凶なんだよ!」
「っ!」
ベキベキと音を立てて木造の壁が割れた。その向こう側にクランディが手を突っ込み引き抜くと、一緒にぬっと姿を現したのは禍々しい総鉄製の矛だ。こいつ女にしては長身なクランディよりもさらに長い物騒な獲物を廃屋の中に隠してやがったのか!
「クランディ……」
ダメだ。もう言葉で説得できる気がしない。
もとから怪しいことをしている自覚はあったんだ。だからこんなところで秘密裏に動いていた。
グラムスさんたちだって俺のしていることを訝しくは思っているだろう。だけど彼らはクランディよりも俺を信用してくれている。それに魔族との戦争が終わったことを喜んでいて、まだ戦い続けたいとは思っていない。現状魔族は敵だが滅ぼそうという意思はない。だから限定的ではあるが共存の可能性についても否定はしないでくれている。
しかしクランディは違う。
この脳筋女は勇者の死に捕らわれまくっている。その原因の一旦は間違いなく魔族にあると見ていて、その怒りを通りすがりの魔族にぶつけることに疑問を感じることもない。未だに魔族を滅ぼすために戦争を継続するべきだとすら思っているかもしれん。
そんな女が、無理やり理由をつなげてつなげて確信してしまった。
俺が元凶だと。
最悪だ。……………………はあ。ったく。想定外とまでは言わんがな。
◇
クランディが矛を構えて俺に敵意を剥き出しにした。
この状況を無事に切り抜けることだけを念頭に置くのであれば逃げてしまうのが手っ取り早い。ただそれはしない。それでクランディが落ち着いてまた話をという流れに持って行くのが難しいからだ。ここまでしてしまえばクランディとて暴れなければ収まりがつかないだろう。
そもそも俺がクランディの誘いに応じてのこのこ二人っきりの状況になるのを良しとしたのも、クランディの暴走で下手に被害が拡大しないようにするための配慮だった。
予感はあったからな。こいつを一度は叩きのめさなければならないだろうと。
その予感が正しかったことを今は確信している。こうなった経緯もわかった。
クランディは恐らく勇者があんな死に方をしたことによる憤りをぶつける相手を3年もの間探していたんだろう。
言ってしまえば適当な理由さえあれば誰でも良かったに違いない。王国内に魔族の一団でも居残っていれば良い標的になったんじゃないかと思うが、見つけた魔族は俺が保護しているときたもんだ。
その他もろもろの理由を結び付ければ、もうこいつの目には俺が絶好の獲物に見えちまった。
……これダン爺さんに誘導された節もないか? ひょっとしたらダン爺さんは自分がクランディの標的になるのを危うんだのかもしらん。今度あったら問い詰めなければ。
腰から剣を抜く。手に馴染むほど長年愛用している幅広肉厚の重厚な剣が今はひどく頼りない。クランディの矛に重さも長さも負けているからだ。一撃の威力がまるで違う。攻めようと思えばあの攻撃範囲の中に踏み込まなければいけないことがひどく身を竦ませる。最近マカンに預けることの多い槍が無性に欲しかった。
「覚悟決めたかよビィ」
「……馬鹿らしくって仕方がないがな。それでも、まあ、お前程度から逃げていたんじゃこれから先もやっていけんだろう。相手してやるよ、クランディ」
「ああっ? 人の功績を横からかっさらうしか能のねえお前が一丁前に吠えんじゃねえか!」
自分で言うのもなんだが、俺のことをそこまで低く評価してるのはたぶんお前だけだぞ。
だが獰猛な笑みを浮かべているクランディを前にすると自然と身がすくむ。これだけ強烈な圧を受けては軽口を叩くのも楽じゃない。
俺は自分を弱いとは思っていないが、上には上がいることも身に染みて知っていた。勇者や魔王は比べることすら間違っているし、グラムスさんには毎度毎度こてんぱんにやられている。力勝負ならドリットに勝てる筈もない。そしていつかはマカンにも抜かれるだろう。その予想は何か釈然としないものもあるんだが、未来の魔王様には俺より強くなってもらわないと話にならん。
そして目の前にいるクランディも客観的に見れば俺より強いに違いない。
戦闘技術では俺が勝っているが力では圧倒的に向こうが上だ。たんなる腕力だけならともかく、本気のクランディは俺より機敏だ。動きについていけなければ瞬殺される。
もっとも殺られるつもりは毛頭ないし勝算はある。というか勝つだけなら『超加速』を使えば勝てるだろう。だがその場合は殺すしかなくなる。殺さずに手足の一本跳ね飛ばしてもクランディの戦意が衰えなかったら、その場合は俺が殺されるからだ。
だから『超加速』は使えない。
こんな状態だというのに、俺はこいつを殺そうとは思えなかった。
腰をわずかに落とし剣の切っ先をクランディに向ける構えをとった。クランディもそれに応じて構えをとる。
まるで空気が振動しているんじゃないかと勘違いしそうなほどびりびりとした緊張感。表情を見ればわかるがクランディもけっして俺に対して油断なんてしていない。なんだ言う程俺を下には見てないんだな。向こうからいきなり突進してくるかと思ったが。
ああ、なら俺から動いてやるか。
ジリ、と一歩距離を詰める。クランディの間合いはたぶん俺の倍はある。もう一歩踏み込めば途端に凶刃が降りかかるだろう。緊張が高まる。
そのタイミングで、
仕掛けたのはアルマリスだった――。
気が付くとするりと、早いというより滑らかな動きでクランディの背後にアルマリスが姿を現す。この状況では場違いにしか思えない侍女服姿の女に突然背後をとられ、傲岸不遜なクランディも驚いたに違いない。
「あっ――?」
「――」
アルマリスは動くなとも覚悟しろとも死ねとも言わない。一切声を発することはなく、まったく無駄のない動きで目的を達成するためだけに全力を尽くす。
クランディは俺が騙し討ちが得意と言った。否定はしないが、こと不意打ちに関して言えばアルマリスに一歩劣るんじゃないかと思っている。それぐらい文句のつけようのない完璧な動きでアルマリスは抜き身の短剣でクランディを刺した。
「っ!?」
「ぬらあっ!」
次に起こったのは目を疑うような異質な動きだった。
短剣で刺したと思った時にはクランディの手はがしっとアルマリスの服の胸元を鷲掴みにしていた。背中を向けたままでだ。次の瞬間、まるで小石か何かのように女とはいえ成人した人間の体がぶんと放り投げられた。
「ちっ」
わざとだろう。俺にぶち当たる方向に投げ飛ばされたアルマリス。その体を正面から受け止めずに避け、すれ違う瞬間に片手を差し出してアルマリスの体を押し上げ勢いを散らした。それだけで十分とばかりにくるりと体を回転させてアルマリスは地面に降り立った。
「……ありがとうございますビィ様」
「ああ」
「ただ申し訳ありません。刃が通りませんでした」
アルマリスの不意打ちは完璧だった。これで終わったかと思ったんだが、まったくとんでもない女だ。
背後をとったアルマリスは両手に持った短剣で背中と首の両方を同時に狙った。本命は首ではなく的の大きい背中の方だ。こいつの短剣には麻痺毒が塗ってあるため、急所を外したとしても傷を付けられれば勝負が決まる算段だった。
首も同時に狙ったのは本命から意識をそらすのが目的で、ついでに殺せれば上々、そうでなくとも慌てて避けようとして態勢を崩させれば反撃を食らわず安全に距離をとりやすくなった筈だ。
しかしクランディは背後のアルマリスに気づいても攻撃を避けようとしなかった。短剣で刺されることを一顧だにせずアルマリスを捕まえたのだ。そして投げ飛ばしまでした。
「……噂で聞いてた以上の化け物っぷりだなあ」
<岩鋼女>なんて呼ばれるようになった所以は魔物の突進すら受け止めたという頑強な肉体からきている。俺もこいつが恐ろしく頑丈だとは聞いていた。
が、素肌に短剣を突き立てられて傷一つ付かないなんて異常すぎる。
「……ふんっ。ジルユード様のところのメイドですわね。一度は見逃してさしあげますが……はーーーーっ、次は、殺すぞおっ!」
「そうですか。手加減してくださったのですね。痛み入ります」
軽く一礼したアルマリスだったがそれで逃げるということはなかった。俺の後ろに隠れるような位置取りでクランディに相対したようだ。短剣では肌すら斬り裂けないなら目でも狙おうってところか。
「ビィ、まさかそいつがいるから勝てる気でいたのかよお!?」
それだけって訳じゃないが、悪かったな、不意打ちで決まる勝算は高いって思ってたよ。
クランディが何かしでかさないか警戒していたのは俺だけじゃない。アルマリスも同様に警戒してクランディの動向を見張っていたのは知っていた。だからこいつが追ってくることを期待して誘いに乗ったのは確かだ。
ああ、不意打ちで仕留められれば楽で良かったのに。
「アルマリス、無理するな、退いて良いぞ」
ここから先は俺のやるべき仕事だろう。
どう考えてもアルマリスがクランディと正面からやりあうのは不利すぎる。
「そうしたいのはやまやまなのですが、ビィ様に死なれると困ります」
殺されてやるつもりなんかないんだがな。というか、実は気配をあまり感じさせないアルマリスに背後に回られているのが少しだけ怖い。なんでわざわざ俺の死角に回るんだよ。警戒しちまうだろうが。
「服が破れてしまいましたので。あまりこちらを見ないでいただけますか」
そういう理由か。クランディにあんな掴まれ方されたから服の胸元破けてたのは気が付いていた。けっこう立派なのを持ってるから胸がはだけると目立つんだ。
……それよりこいつそういうの恥ずかしがる感覚あったんだな。そっちの方が驚きだ。