自然な流れ
◇
トントントタタンタン、トントンタン。
『ホゲーーーーーーーー♪』
『ホゲーーーーーーーー♪』
謎のというか両親から発せられたと思わしき不気味な思念を浴びて一瞬意識がどこかに飛んだ気がした。
『『ホゲーーーーーーーー♪♪』』
2人の思念が絶妙なハーモニーを奏でれば、目の前には本来ありえない光景が広がっているような錯覚すら覚える。
これが……地獄か。
「な、なんだよこりゃ!?」
「え? え? え?」
「うわーん、ママーっ」
最初は訳がわからず唖然としてたミクレア一行だったが、すぐに我に返って大騒ぎになった。気持ちはわかる。なんで緑の気持ち悪い人型生物が水ガメ叩いててスケルトンが2体で合唱しているんだ。俺だって今すぐ詰問したい。というかなかったことにしたい。
さっと視線を巡らせる。マカンはどこだ。ボースは知らん顔してそっぽ向いてやがる。
いた。見つけた。
マカンは厩舎の陰でこそこそこちらを覗き見ていたが、俺と目があった瞬間に逃げ出した。くそっ、後でまた説教だ。
「おいこらビィ! どういうことだ、なんで魔族がいやがるんだよおっ!?」
「ぐぉっ」
俺の襟首つかんでがっと持ち上げてきたのはクランディだった。いつもの不釣り合いなほど丁寧な言葉遣いはどこへやら。素の自分を隠す余裕がなくなるほど気を荒立てているということだ。
「おち、つ、け、クランディ……」
わかっていたとはいえなんて奴だ。自分よりも体格の良い鍛えられた俺の体を簡単に持ち上げやがるか。
「ざけんじゃねえぞビィ! 魔物ならともかく魔族となったら話は別だろうが、ああっ!?」
「あれは、全部、魔物だ……。魔族じゃ、ない」
「どっからどう見ても魔族が混じってるよなあ!? それにスケルトンは飼う飼わねえっていうようなものの筈がねえ!」
「魔物だって、言ってんだろうがっ」
「ちっ、てめぇ魔族に……!」
「そろそろやめろや、こら」
「……ビィを離せ」
「ああん!?」
ここでようやくグラムスさんとドリットが止めに入ってくれた。クランディの腕を左右から抑え込み、俺の足がようやく地についた。
「くはっ、……げほっ。遅いぞ2人とも。もっと早く止めてくれよ」
「ああー、悪いビィビィ。なんかこうなるのも仕方ねえなって思っちまった」
「……あれは、驚く」
いやわかるけどよ。今はさすがに唄うのやめたが俺だって父さんたちがこんなことするとは思ってなかったからなっ。
「おい……いつまで乙女の腕触ってんだよっ!」
「なっ!?」
「……っ!?」
グラムスさんとドリットの体が宙に浮いた。勢いよく振り上げられたクランディの両腕がそれを押さえ込んでいた2人を跳ね飛ばしたのだ。
男2人、それも片方は巨体のドリットだ。それが同時に1人の女に振り飛ばされるとかどんな冗談だと言いたくなる。こいつの怪力を知っていなければ驚きのあまり思考が停止していただろう。
だが俺はクランディの前面が空いた瞬間に踏み込み、下から掌底でクランディの顎を打ち抜いた。
「ぐっ……!」
硬い! 想定よりも衝撃を与えられなかった。クランディは一撃くらってもほとんど動じることがなかった。肉食の魔物の牙でもこいつの体を食いちぎれなかったという噂を聞いたことがあるが、あれも事実かよ。<岩鋼女>なんて呼ばれるのは伊達じゃねえな。
反撃が来るか? ここは下がる――
「おおっ!」
俺が下がるよりも早くクランディの手が伸びてきた。殴ろうとしなかったのはひょっとしたら手加減かもしれない。しかし掴まれたら俺の体は骨ごと砕かれかねない。
「せいやっとっ」
軽い調子の気勢はグラムスさんのものだ。弾き飛ばされて地面を転がったドリットと違い、グラムスさんは力負けした瞬間にクランディの力をうまくいなすように動いていた。そのためほとんど飛ばされず体勢を崩すこともなかった。
そのグラムスさんがクランディの片脚に飛びついた。そして膝の裏に肩を入れて捻る。
「うおおっ!?」
クランディが倒れた。強靭な肉体に怪力を誇るといっても、あんな風に体のバランスを崩しにかかられてはたまったものではなかったようだ。さすがグラムスさんだ。
「てっ!」
「ぐっ!?」
手を地面についたところでさっとその手を脚で払った。支えを失いクランディはそのまま頭を地面に打ち付ける倒れ方をした。
「よっと」
すかさずグラムスさんがクランディのもう片方の脚の膝をさっと蹴って外に伸ばした。さらにクランディの体が沈む。グラムスさんはクランディの足首をひねりながら体を脚に預けて上から伸し掛かった。
「ドリット!」
「おお……!」
俺もクランディの腕に体ごと乗るようにし、それからわずかに遅れて復帰したドリットもクランディの背中に全体重をかけて抑えにかかった。するとグラムスさんがするっともう片方の腕をとって押さえた。
「くそっ、のけやあああああっ!!」
……すごいな。本気でとんでもない怪力だ。男3人に伸し掛かられてまだ暴れられるなんてな。
だがそこまでだ。
いくら超人的な怪力のクランディでも体勢が悪すぎる。こんな力が入れようがない恰好で押さえられては先ほどのように伸し掛かっている俺たちを弾き飛ばすようなことはできない。……できないよな? すごい力で暴れようとするものだから不安になってくるぞ。
「そこまでにせよ、クランディ」
「ああっ!?」
なおも俺たちの束縛から逃れようと暴れるクランディを言葉で静止しようとしたのはジルユードだった。
「この村に滞在を認めるための条件を忘れたのかい? 最初に言った筈だよ。この村で僕らがしていることの邪魔はするなと。貴様もそれを了解した筈だ」
「魔族と手を組むなんざ許せる訳ねえっ、そりゃ裏切りだろう!?」
「魔族ではなく魔物だとビィが何度も言っている筈だけれどね。まあそれはどちらにせよ大きな問題ではない。反発を感じるだろうことは予想していたし、突然のことで驚いただろうね。…………ああうん、本当に何をしているんだか……」
こっち睨むなよ。俺だってそう言いたいんだ。
「だけれど僕らのしていることは陛下の承認を得てしている極秘計画だとも言ったよ。裏切りというのなら自分の勝手な判断で約束を反故し、僕らのしていることの邪魔をしようとした貴様の方だ」
「ふざけんなっ、だったらこれがどういうことなのか納得のいく説明があるんだろうな!?」
「ないよ。貴様が全容を知る必要などない。ただでさえ極秘だというのに、一時の感情で何もかもぶちまけそうな信の置けない貴様にわざわざ詳しく説明してやる理由がないだろう?」
ジルユードは淡々と述べる。正論ではあるが、だからといってそれでクランディが納得するかというとそんな訳もない。頭がたいして良くもないのに自分の考えに固執しやがるからな。
「クランディ、もう止めて下さい。間違っているのはあなたです」
だがここでジルユードに救援が入った。ミクレアだ。
「私も何がなんだかわからない状況に戸惑っていますし、できれば納得のいく説明が欲しいところです。しかしジルユード様がおっしゃっておられるように、安易に余人に明かしてはならない事柄というものが世にはあるのも事実なのです」
ここらの割り切りはさすが貴族の生まれということだろう。知りすぎることが時に危険を招くことになることがわかっているんだ。
そしてガーランやビストンもミクレアの意見を支持しているのが表情からわかる。彼らも言いたいことはあるだろうが、俺たちと敵対するような事態にしたくないに違いない。存外、最悪クロインセ家を敵に回すことになるというジルユードの事前の脅しが効いていたのかもな。
「あのようなおぞましい存在を前にして一刻も早く葬りさるべきだという気持ちはわかります。ですが――」
そこはもう少し柔らかい表現をしてやって欲しかった。セイジロウが変な顔になってるじゃないか。ミクレアからすればずっと変な顔なんだろうが。
「それでも私たちはこの村に身を寄せ庇護を願った身。受け入れなければならないことというのもあると思います」
「……ミクレア……。あなた、魔族と仲良く暮らすなんてことが受け入れるべきことだと言うんですの? 気を抜いた瞬間、襲われるかもしれないんですのよ?」
お。クランディの口調が元に戻った。あれだけ激昂していたというのにミクレアの言葉には聞く耳を持つのか。
ミクレアの言葉も、クランディが暴れることで自分たちにも悪影響が出るのを心配した、というよりも素直にクランディの身を案じているように聞こえる。
俺が思っていた以上に2人は仲が良かったのかもしれん。
「襲われるかもしれないと思えばとても怖いですが、一度はジルユード様やビィを信じてみなければ。そうでなければそれこそこの村で暮らすことなどできません」
「姉ちゃん姉ちゃん。魔物とか魔族とかぶっ殺したいのはわかるけど、ここまで言われたんだから一度は立ち止まろうぜ」
「キオ……。あなたは魔族がどんな卑劣な奴らか知らないから」
「知らないよ。だから警戒はしなきゃだよな。で、何かしてきた時にぶっ殺したらいい。だろ?」
「…………」
ありがたい。ミクレアに続いてクランディの弟のキオも援護に回ると段々とクランディの覇気が収まってきた。
この状況で自分に味方する者がいないということに気が付き少しは冷静になれたか。
「…………ちっ。いいでしょう。一度は見逃して差し上げますわ。さあ、だからさっさとお退きなさい。いつまでも淑女の体に不躾に触れてるものじゃありませんわよ?」
「……わかった」
グラムスさんとドリットが目線でどうするか尋ねてきたので了解を伝えた。俺たちがクランディの上から体をどかすと、クランディはのそりと立ち上がって体を軽く動かしどこか痛めていないか確認しだした。平気そうだな。
「3人がかりとはいえこの私を押さえ込めたことは褒めてさしあげますわ。やりますわね」
ジロジロと俺たちをねめつけ上から目線でそんなことを言うが腹は立たない。それだけ難しいことであるのは間違いないからだ。
「で、そこのデカブツ」
「……俺?」
クランディはドリットと向き合う。次の瞬間鈍い音が響いてドリットの体が宙を舞った。クランディがドリットの顔面を殴り飛ばしたのだ。
「おいっ!?」
慌ててまたクランディを抑えようと動こうとするも先にクランディの視線がこちらを向き、迂闊によれば俺も殴り飛ばされる未来が見え止まってしまった。異常なほどの怪力を発揮できるこの女は腕力が優れているだけではなく動きも素早い。
「こいつが!」
クランディは巨体を何メートルも飛ばされ地面を転がりうめいているドリットを指さした。
「どさくさに紛れて私の尻を撫でまわしたからですわっ!」
「……俺、してない……」
「おだまりっ! 殺さないよう手加減してさしあげただけ感謝なさいっ」
体を押さえ込んだ時にドリットは背中に乗っていたんで、尻に体の一部が触れるなんて当たり前のことだ。
「ふむ。不可抗力だろうけれど労わるべき淑女の体を撫でまわしたというのであれば、それぐらいは甘んじて受け入れるべきだろうね」
理不尽だとは思ったがジルユードまでがこう言えばそれ以上どうこう言えなくなった。むしろこれでクランディの腹の虫が収まれば御の字か。不名誉な扱いを受けたドリットには後で埋め合わせしなければな。
『ふう、一度はどうなることかと思ったけど、とにかく仲直りできたみたいだね。じゃあそれを祝して改めて一曲唄わせてもらおうかな』
「え、パパさんまだ続けるん?」
『でも母さんの美声ならこんな暗くなった雰囲気も吹き飛ばせると思うんだ』
『あらあら。んもう、そこまで言われたらはりきるしかないわね』
「これ以上勝手なことすんな! 全員後で説教だからな」
「え、ワイも? そんなあ……」
「おいボース、お前マカン捕まえてこい」
「ブルル」
毎度毎度どうしてこいつら俺に迷惑ばっかりかけやがるかなあ。まったく。