杖男
音。音の表現をやるだけやってみようと思いました。ぞくっとしていただけると幸いです。
僕があの村に行ったのは、大学の夏季休業のためだった。
登山部に所属し、山が好きな僕は各地の山を登ることに熱中していた。
北岳、赤岳、甲斐駒ヶ岳、石割山、木曽駒ヶ岳など各地の山を登ることに熱中した。山を登るという行為自体も好きだが、頂上から見る景色がなによりすきであった。
幼い頃、僕が父に連れられて登った山の景色が忘れられなかったことがきっかけだ。おそらくその時の喜びを忘れられなかったのだろう。高校進学と共に山登りを始める様になり、以来山登りに魅せられる様になった。
その時も山に登るためにある村を訪れていた。
A村としよう。旅館と商店、チャチなスーパーと郵便局、交番。あとは田んぼと神社と野原だけの村だった。駅の辺は僕のような登山客や観光客が訪れる事もあってそれなりに潤っていた。
その村で準備をした後、僕はある山に単身、挑戦することにした。
一歩。
一歩。
険しい岩肌と野道を登ってゆく。
一歩。
一歩。
男と女。二人のケバケバしいカップルが降りて来た。
彼らのことはいろんな意味で忘れられない。
明らかに山を舐めている連中だった。この時点でも気に入らないが、このこの二人は明らかに世の中を舐めて生きている人種だった。
貧弱。登山向きでないカバンに軽装過ぎる普段着。
どこをきっても、気に食わない連中だった。
極めつけは山であいさつをしても態度が悪かった。
「あ、なんだよ。なんか文句あっか?」
「きゃはは、そんな奴いいからあっちあっち!」
最悪の気分だったが、登山を再開することにした。
気分を切り替え、山を登ってゆく。
一歩。
一歩。
険しい道を進んでゆく。
一歩。
一歩。
息が切れるが、登るのに夢中になる。
一歩。
一歩。
…………コン。
何やら軽いものを叩く音がする。どこからだろう。気にしても仕方ないので進むことにした。
一歩。
一歩。
…………コン、コン。
叩く音がする。前からだ。
気にはなるので進んでみる。
一歩。
一歩。
……コン、コン、コン。
道の先に何か居る?
背筋がなぜか寒くなる。
心臓が速くなる。
コン、コン、コン。
音が近づいて来る。
獣か?それとも人か?
そう思い目を凝らす。
コーン、コーン、コーン。
道の先に何か居る。
始めは霧か何かかと思った。
霧じゃない。
白い人影だった。
出会ってはいけない!!
逃げないと!
心臓が速く打つ!
なぜかそう直感した。いや、そう思わずにはいられなかった。
顔が笑っていた。
目に闇が宿り。不揃いな歯が笑う。
…………けけけ。
…………けけけ
けけけ……、けけけけけけ………。
…………けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ。
笑い声が近づいて来る!
逃げろ!
『奴』が来る!
それまで来た道を急いで戻る。杖の音が響く!
コツ、コツ、コツ。
コツ、コツ、コツ。
音が段々速くなる。
コツコツコツ。
コツコツコツ。
猛烈に速くなる。
コツコツコツコツコツコツ
コツコツコツコツコツコツ
背後の音が強くなる
コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ。
コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ。
コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ。
追いつかれる。
その時だった!
足がもつれた!
崩れ落ちた先は坂。
僕は坂を転げ落ちた。
坂を。
険しい坂を。
自然の急斜面。
あちこちに体を打ち付け。
草木とぶつかり、土にまみれる。
ようやく平べったいに到達したときには意識が薄れてしまった。
「大丈夫か!」
微かな意識の狭間で知らない男の声が聞こえた。
気が付くと僕はベットの上にいた。
病院の中で担ぎ込まれたようだ。
起きると明らかに山男らしき男が心配して声をかけてくれた。転げ落ちた先にいた男だった。
「びっくりしたよ。まさか上から人が転げ落ちるなんて、でももう大丈夫だ。君は本当に運が良かったな。もう少し打ち所が悪かったら……」
あご髭と笑顔。山男は豪快で人が良さそうな人だった。助けてもらえてよかった。幸運だった。
「それにしても、どこから来たんだい?東京?もしかして君は?」
「はい、○○大学の登山部で……」
「へえそうかい。俺の母校じゃないか。……あの二人もこの子のようだったら助かったかもしれないのに……」
「……二人?」
「……ん、ああ……君以外にも登山した者がいたんだが……」
彼はそれ以上言葉を紡げずにいた。
「…………これは言いにくいな、でも……」
「彼らに何が……」
「……男が死んだらしい」
「……え」
「ひどい有様だ。体を内部から引き千切られたような有様だったらしい」
「……え」
「女は半狂乱になって何を行っているか分からない。得体の知れない者に狙われた。それだけしか分からない」
「……」
「君もここでねているといい。何かあったら人を呼びなさい」
「…………はい」
これ以降は何もなかった。幸運か。それとも不運か。
いずれにせよ。出会っては行けない者にあった。そんな直感だけが背筋を凍らせた。病院での日々はしばらく続く。
あれから大分経つ。
夏が終わるが、山は未だやめていない。他の山は相変わらず登る。
ただ、自分にはルールを課す事にした。
今後一切、あの山とA村には近づかない。杖を持った人には近寄らない。極力。守れる範囲で。どうしても守れない時は、同行者と共に動く。それだけ。
これは完全に余談だ。話と関係するかもしれないし、しないかもしれない。ただどうしても話した方がいい気がする。
あの日訪れた美しい村のこと。道行く途上に、古びた神社の残骸があったことを思いだした。その社の賽銭箱の側。その隣にあった気がする。
古びた杖が。
山で遭いたくないといえば、熊でしょう。生きているものでも怖いものです。ましてや……。
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