473 近江への執念
村井貞勝視点です。
山城国京 京都奉行所 村井民部少輔貞勝
「柴田修理亮殿には、今居る長光寺城周辺の蒲生半郡をと考えておる」
蒲生半郡で六万石強はある。
佐久間右衛門大夫殿に匹敵する加増だ。
修理亮殿も不満はあるまい。
「しかし、蒲生郡には観音寺城がありまする。右衛門督(六角義治)殿は此度の褒美に観音寺城を望んでおりましょう?」
夕庵爾云(武井夕庵)殿が頭の痛い事を申される。
確かに六角右衛門督は、観音寺城の引き渡しを要求している。
「しかし、それを認める訳にはいかぬ」
腐れ縁の所之助(島田但馬守秀満)が申す通り、観音寺城を明け渡す訳にはいかぬ。
観音寺城は其れ程堅固な城ではない。
代々の六角家当主も城を捨てて甲賀へ逃れているくらいだ。
織田家が直接甲賀郡を押さえているのだから、観音寺城を返した後で再び六角家と争う事になっても勝てようが、そういう問題ではない。
織田家に従っておる近江衆だが、一度は六角家を見限っておきながらも六角家復興の声は大きい。
右衛門督に観音寺城を返せば、六角家の権勢を印象付ける事になる。
折角六角家の権威を落としたというのに、ここでまた復権されては敵わぬ。
それだけは避けねばならぬ。
「右衛門督殿には観音寺城のある蒲生郡ではなく、愛知一郡をと思うておる」
右衛門督には、観音寺のある蒲生郡や隣接する神崎郡ではなく、愛知川を挟んで対岸にある愛知郡で我慢していただこう。
今、右衛門督は愛知郡の鯰江城に居るしな。
「右衛門督殿が納得なされますかな?」
徳斎友閑(松井友閑)殿が疑問を投げ掛けられるが、まあ無理であろうな。
「納得はされますまいな。何人かが右衛門督殿を説得するしかありますまい」
観音寺城を渡せぬ以上、誰かが説得するしかない。
一同を見回すが、皆目が合わぬよう顔を逸らす。
しかたない、儂が赴くしかないか…
「ここは右衛門督殿を引っ張り出してきた張本人に責任を取っていただくのは如何か?」
所之助が己に被害が及ばぬよう、兵部少輔に役目を押し付ける。
おお、流石は所之助!良い事を言う。
「成る程。では兵部少輔殿に御頼みする事と致そう。方々もそれで宜しいか?」
先程と違い、皆は力強く頷く。
「しかし、右衛門督に愛知郡を与えるのは良いとして、そのまま野放しという訳には参りますまい?」
好斎一用(坂井一用)殿の心配される事はもっともだ。
「降伏した国人共を懐柔し、右衛門督殿の配下に組み込もうと画策しておる。それから殿とも相談しておるが、馬廻りの幾人かを右衛門督殿の領地の周囲に配す積もりではある」
高野瀬家や目賀田家といった国人衆を右衛門督の家臣団に入れ、右衛門督の妨害と領地の情報漏洩を任せる。
人選は殿に御任せしてある故、領地割等は後で決める事になるが…
果たしてこれで右衛門督への対策として十分かと言われれば不安だが。
兵部少輔と絡ませなければ何とかなるか?
「さて、そろそろ兵部少輔殿の話に参りましょう」
右衛門督の話に区切りがついたところで、楠木河内守(正虎)殿が兵部少輔の話をし始める。
避けて通る訳にもいかぬし、仕方無い。
「兵部少輔には江北三郡の内、浅井郡と伊香郡の二郡をと考えている」
兵部少輔の活躍を考えれば、その程度は必要だろう。
「流石に二郡は多過ぎはしませぬか?」
京で奉行人として共に働く落合平兵衛丞(長貞)が異議を唱える。
「二郡とはいえ、石高を思えば大した事はない。寧ろどちらか一郡では、兵部少輔の働きに対して報いた事にはならぬ」
「では、但馬国を与えては如何か?兵部少輔殿の所領が播磨備前にある事を考えれば、そちらの方が良いのでは?」
同じく奉行人の中村隼人佐(良政)は、但馬国に所領を与えればと薦める。
「それでは但馬国を攻め取った坂井右近将監(政尚)殿が不満を覚えよう。それに西国を兵部少輔一人に委ねる事になる」
兵部少輔であれば卒なく熟そうが、やはり不安を覚える。
右近将監殿ならば兵部少輔の手綱を握れよう。
兵部少輔も右近将監殿の指示には素直に従う筈。
「しかし、近江国の南北を森家が押さえる事になりますが、些か危ういのでは?」
隼人佐が尚も言い募る。
隼人佐の言いたい事も分かるが、他に与えられる場所もない。
六角右衛門督の隣に所領を与えるのは危険を覚える。
無用の心配ではあろうが、左衛門佐(森可成)殿と所領を離しておきたいという事もある。
「いや、しかし…」「だが…」
皆、兵部少輔の所領に対して頭を捻るが良い案は浮かばぬ。
儂の案が最良に程遠い事は儂自身が分かっておるが、然りとて良い案も浮かばぬ。
その時、「宜しいか?」と、再び楠木河内守が口を開く。
「上洛してよりずっと、兵部少輔殿は近江国に所領を持つ事に対して並々ならぬ執着が御座った。播磨国へ向かう事になった時も栗太郡田上庄を所領にと、殿に願い出ておられたくらいに御座る。近江国に大領を頂けるとなれば、兵部少輔殿は大変喜びましょう」
確かに普段は強く出ぬ兵部少輔も、田上庄の事だけは頑固であったな。
では、やはり近江国に所領を与えるという考えは間違っておらぬか。
「そういえば、この前御会いした時に兵部少輔殿から御預りした物が御座った」
そういうと河内守殿は、懐から紙の束を取り出す。
「それは?」
「兵部少輔殿が火の手より守った延暦寺や日吉社にあった証文の一部に御座る。証文には京や近江の商人や武家、公家等の名も書かれて御座いますな」
またしても兵部少輔は物騒な物を…
しかし、これがあれば大店から金を集める事も、逆に証文を破り無かった事とし恩を売る事も出来る。
河内守殿から証文を受け取り流し読むと、中には隼人佐や友閑殿等の名も書かれてある物もあった。
さて、懸念していた兵部少輔の話も無事に終わった事だし、残りの細々とした事も決めてしまおう。
しかし、兵部少輔の御陰でまた仕事が増えてしまったか…




