40 十四条、軽海の戦い
佐々成政視点です。
書き終えてから思った…主人公に全く絡まない話だなと。
美濃国安八郡 洲股砦 織田家家臣 佐々内蔵助成政
なかなか上手くいかぬな。
幾度も洲股の砦の修築を試みるが、いつも一色軍の邪魔が入る。
半羽介殿も大層頭を抱えておられるようだ。
洲股は、東海道の熱田と東山道の垂井を繋ぐ鎌倉道の宿場がある。
東海道は、伊勢湾か濃尾三川を船で渡らなければならない為、船に乗れない馬は預けなければならない。
その為、徒歩や馬の旅では、熱田から垂井、不破関へと抜ける鎌倉道がよく利用される。
そのため、この洲股を制する意味はある。
あるのだが、それは向こうも同じ事。
向こうからすれば、砦の修築をしている最中を攻めれば良いのだから、楽なものなのだろう。
「内蔵助様!半羽介様がお呼びです!」
考え事をしていると、義兄の前野小兵衛尉が呼んでいる。
何用だろうか?佐久間半羽介殿の元へ向かう。
「織田勘解由左衛門殿より、救援の要請があった。一色が攻めてきたようだ」
ふむ、先日の大雨で川が荒れているのを見て、援軍は難しいと見たか。だが…
「川が荒れておりますが、行かねばなりませぬな。十九条城だけでは持ちますまい」
小坂孫九郎宗吉殿は、真っ先に救援に向かうべきだと意見する。
その通りだろう、孫九郎殿の言葉は正しい。
「殿は?」
「すぐに殿も来られる」
まあ、そうであろうが、確認はしておかねばな。
まず池田勝三郎が先発し川を渡る。
次いで、佐久間半羽介殿、柴田権六殿の軍が川を渡り、勘解由左衛門殿に合流を果たす。
某も半羽介殿に率いられ出陣する。
「半羽介殿、権六殿、勝三郎殿、よく来て下さった!助かり申した!」
川を渡り十九条城の兵と合流を果たすと、勘解由左衛門殿は大層喜んでくれた。
その後、十四条村に陣を構える一色軍と対峙する。
しかし、援軍を受けて喜んでいた勘解由左衛門殿が先鋒を名乗り出で、逆に野々村三十郎に討ち取られてしまった。
形勢不利とみた我が軍は、十九条城を放棄し西軽海に陣を構えなおす。
対する一色軍は北軽海に陣を構え、にらみ合いとなる。
日が暮れた頃、一色軍の牧村牛之助が夜襲を掛けてくるが、返り討ちにし、逆に一色軍へと襲いかかる。
「勝三郎!」
見ると、池田勝三郎が、何者かと戦っているが、相手の技量が上らしく苦戦しているらしく結構な傷を負っている。
このような所で、殿の乳兄弟を失うわけにもいかず、加勢にでる。
二人がかりで相手をして、追い詰めていく。
某の槍が相手の腹を突き、勝三郎の槍も胸に突き刺さる。
「内蔵助、さっさと首を取れ」
「勝三郎、早く首を取れ」
互いの相手の声に、顔を見合わせる。
「何を言っておる、勝三郎が戦っておっただろうが。とっとと首を取れ」
呆れたように言うと、
「止めを刺したのは、内蔵助の槍であろう。さっさと首を取らぬか」
と、呆れた声が返ってくる。
「冗談を言うな!お主の槍が止めであろう。早う首を取らぬか!」
「馬鹿を申せ!最後の槍は余計な一撃であったわ!さっさと首を取らぬか!」
なんて頑固な奴だ!
某は助太刀しただけで、敵を討ったのは勝三郎であろうが!
二人で睨み合っていると、
「二人とも何をしておる!」
と、柴田権六殿が駆け寄ってきて、首を切り取った。
「全く、何をしておるのかと思えば…ほれ、殿の所へ参るぞ!」
某らに呆れたのだろう、権六殿は、首を持って殿の元へ歩いていく。
「これは、一色家の家老、稲葉又右衛門殿ですな。曽根城の稲葉彦六郎殿の叔父にあたります」
首実験で討ち取った者の名が知れた。
かなりの大物であったか。
「勝三郎と内蔵助が、相討にて手柄を譲り合っておりましたので、某が持って参りました」
「「相討では御座いませぬ!!」」
権六殿の言葉に勝三郎と揃って反論する。
「では、どちらの手柄だ?」
殿の言葉に不機嫌さが混じる。
「勝三郎に御座います!」
「内蔵助に御座います!」
ええい!頑固者め!勝三郎が素直に自分の手柄と言えばよいのだ!
再び勝三郎との睨み合いになる。
殿の機嫌がどんどん悪くなるが、ここは譲れぬ!
勝三郎との言い合いが長々と続く中、殿や権六殿の機嫌も悪くなっていく。
他の皆もそれを察して不安な表情になっていくが、此処まで来て退くなどありえぬ。
殿のお叱りは致し方ない。
「お二方が討っておられぬと言われるならば、討っておられぬのでしょう」
殿の側で政務をおこなっている僧の一人である鴻蔵主が、話を割って入ってくる。
「二人が討ち取っておらぬのなら誰が又右衛門を討ち取ったのだ?」
殿は呆れたように鴻蔵主に問う。
「誰に討たれたでもなく、瓜のように自然と首が落ちたのでしょう」
と、呆れた答えが返ってくる。
殿は、その答えにククッとお笑いになると周りにも笑いが広がる。
勝三郎も毒気を抜かれた表情をしているが、おそらく某も同じような表情をしているのであろう。
その後、お叱りを受けたが、褒美も頂いた。
軽海での戦いは、一色軍が退いて勝ちとなったが、殿は洲股へと退けと命じられた。
そこで、織田下野守が離反したとの報せを受け、直ちに洲股を放棄して清須へと戻ることとなった。
その後、殿は即座に信清討伐を決める。
小坂家で小坂宗吉だけ読みが『おざか』と濁っっていたので『おさか』に合わせておきました。
安八郡は、まだ『あんぱち』じゃないよね?




