75,最終決戦
今いるのはボケの屋敷の離れ。母屋の方から聞こえてくるにぎやかな子供の声や、駆けまわる伝令の足音を他所に、日々野は目をつむって僅かな休憩をとっていた。ウロボロスの力の反動は、確実に日々野の肉体と精神を蝕んでいた。
だが、それを誰に見せたとしても治療のしようもない。こうして人目のないところで自分自身に痛みに慣れさせるのが、次が来た時に動けるようにする唯一の方法だった。
『このような誤魔化しが通じると思っているのか』
「別にこれ以外に手がないからやってるだけだ。治そうなんて考えてない」
『そうか。言っておくが我はお前と心中する気はない。もし戦の中で死ぬのならば、その前にお前との契約を断ち、ここから出る』
「構わない。寧ろ何かお礼しなくちゃいけないくらいしてもらってるんだ。俺から何か言う事なんて感謝位だと」
『ふ、良い心掛けだ』
ウロボロスは言いたいことだけ言うと念話を一方的に切った。
大きく息をついて、目を開き、改めて自分の状態を確認する。
今の魂の状態は罅が入った卵、コップすれすれの水。次の戦闘中に中身がこぼれるだろう程にギリギリだ。
肉体も本来の性能を倍以上に越えた運動能力と成長のせいで限界を迎えていた。油の切れたブリキのように軋む肉体の方はまだ、崩壊よりも早く強化と再生を行うことで動かすことは出来そうだ。
「最悪のコンディションか……なんか笑えてくるな」
なぜかこみ上げてきた可笑しさにフフと笑いが漏れる。
数週間前の自分は、神を相手に、ましてや世界のためにアヤメやロッジ達と協力して戦うなんて思いもしなかっただろう。
現実味のなさと、浅い眠りから覚めた時のようなぼんやりとした頭のせいで、ついそんなことを考えてしまった。
「何笑ってるのよ、日々野」
「ああ、アヤメか。お前は休んだりしなくて大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。だって日々野が守ってくれたじゃない」
そう言った後に、そっぽを向いてしまう。何となく察してしまうが、自分で言って照れるのはやめてほしい。
感覚的には一時間ほどは休めただろうか。
そろそろ戻らなくてはと思いながら立ちあがるが、少し考えてからアヤメの手を引いて離れから中庭へと出る。
「急にどうしたのよ」
「いや、もしもの話なんだけど、この戦いで俺が」
「うん。その先は言わなくていいわ」
「…………いや、でも」
「あーーー、聞きたくない。とにかく何があっても、帰ってきなさい。その時は笑顔で迎えてあげるから」
その言葉に日々野は開きかけた口を閉じ、代わりに笑い返す。
本当はアヤメも今の自分の状態を気付いているのかもしれない。それでいて追及をしないのなら言わないで置いた方がいいのだろう。
今はこの後のことを考えず、ただ終わってくれることを願うことしかできないのかもしれない。
だが、そんな淡い希望が叶うことはなかった。
突然、首の後ろに電流が流れたかのような痛みが走る。
「どうしたの日々野?」
緊張の糸を張り詰めた日々野に振り返ったアヤメの声は届いていない。。
日々野は本能的にそれが、何か起こる前兆だと悟り、感覚を研ぎ澄ます。
数秒の集中で迫る脅威を感じ取った。気配の元は世界樹の上。視線を移した先には灰色の雲が広がっていた。
いる。
そう感じたのと、同時に地面を蹴ると、世界樹の幹にできた洞と生え出た枝を足場に駆け上がる。
神木でもあり、親でもある世界樹を踏みつけた日々野に対してアヤメも含めた全員が唖然としているうちに一気に中腹まで到達する。
そのとたん灰色の雲の中から無数の飛行可能なキメラが飛来してくる。
遠目から見た速度は日々野が迎撃できる範囲に到着するよりも明らかに速い。
世界樹が近くなるにつれ間するするどころか、むしろ加速しているその様は特攻そのものだ。
初めの集団は世界樹に到達するも、自分の速度と重量によってシミを作るだけだった。だが、第二波は先に突撃していった仲間の死体を緩衝材代わりにして無事にたどり着いてしまう。
昆虫のような体をしたものは全ての脚を使い幹にしがみ付くと、鋭い顎で表面を削り始める。それ以外のキメラも同じように持ち前の筋力や牙を使い世界樹を蝕んでいく。
世界樹の幹は、内部に流れる世界の力を守るためにかなり厚い。
だが破られ、中に流れる蜜、世界の力をキメラに奪われるようなことだけは防がなければならない。
「ガン・アペイロン」
第三波が来る前に日々野は間に合った。
振りぬいた|尾喰龍鎌〈テールイータ〉から黒い刃が飛ぶ。その数、十。
幹にたどり着こうとしていたキメラの内百数匹が消滅するが、全体から見れば半分にも満ていない。生き残ったキメラは同じように世界樹にたどり着くと、反撃ではなく破壊を始める。
圧倒的物量による攻撃。
だが、そのような事程度で絶望はしない。まだ、仲間がいる。それまでの時間を稼ぐため最寄りの枝に着地して、もう一度刃を放とうとしたとき、幹を砕いていたキメラの一部がはじけ飛んだ。
潰れた胴から漏れ出た体液や肉片をまき散らしながらキメラの塊が落ちていくのを見ていると、すぐ傍にドンと誰かが着地してくる。
「撃て……」
「霧立、分かったよ!」
準備していた刃全てをさらなる増援に向けて放つ。
撃墜数は先ほどと変わらず。
そんなことを気にする様子もなく、霧立は幹に群がるキメラを払い落しに再跳躍した。
ボケとヤヌスから受け取った力も合わさり、霧立の戦闘力は脅威のレベルを見せる。キメラの体を中継地にして広範囲を飛び回り、日々野のいる幹に戻ってくる。その間に振るった鉈の倍の数は切り殺していた。
『日野さん、聞こえてますか!』
「聞こえてる! オリーブ、現状は!」
『現在、村の外で戦っていた仲間たちのところにも大量のキメラが一斉に攻めてきています。敵の数は探知できるだけでも六千。おそらく、この攻撃が最後です。この後自分も戦いに向かいますので通信はできないとお考え下さい。ご武運を』
早口にそれだけのことが伝えられるとオリーブからの念話が途絶える。
枝葉の影から見える森の様子は確かに騒がしくなっている。
しかし、それを気にする暇は日々野にはない。
次々に迫るキメラの群れは確実に幹を蝕んでいき、その速度は霧立と日々野の二人程度では衰える様子はない。
そしてついにキメラたちの牙が世界樹の幹を食い破った。
樹皮を破った穴は牙の一穴のみ。だが、世界樹の中に流れていた世界のエネルギーが、その一点から流れ出ようとした圧力で内側から爆ぜた。
そこから漏れだしてきたのはドロリとした金色の液体。キメラたちは我先に群がり、つかるように飲んでいく。
霧立がいち早く動いた。世界樹の穴を中心に塊となったキメラ達に、鉈を叩きつけて削り落としていく。背中に乗る人を気にする様子もないキメラに油断していた。
続けて攻撃のために鉈を振りかぶった霧立を、キメラを貫きながら生え出た何かが弾き飛ばした。
宙を舞った霧立を受け止めるため跳んだ日々野は、その先にいた霧立を攻撃した正体を見る。
「嘘だろ」
キメラの塊の中から姿を現したのは巨大な異形。
ヘビの姿をしたニーズヘッグ並みの巨体がゆっくりと蜜を纏ったまま、幹に巻き付きながら塊の中から現れてくる。その先にいた小さなキメラは生え出た触腕に捕まり餌になっている。
それだけに終わらない。穴に近く大量のエネルギーを口にしたキメラが、異形と化した新たな姿で次々と現れる。
異形たちの目と思われる部位に宿った光はこちらに向けられていた。
あるものは全身から生え出た幹を這ずり日々野たちの方に迫り、あるものは背に生えた蛾のような翅で根元にある村の方へと落下していく。
「下に行ったやつを頼む」
「……、分かった」
攻めに出ようとした霧立を止めるように日々野はそういった。
わずかに不満そうな表情を見せながらも、蛾のキメラの後を追い枝からためらいなく飛び降りる。
それを見送るようなことはせずに日々野は自身に迫る何対ものキメラに向かって武器を構えなおした。




