すね毛という存在
人類は進化する。
木の上で暮らしていた猿の中からヒト族が現れ、進化の名のもと不必要を排しながら今日に至るのが人類。
かつて人類にあった尻尾が今はもう不必要となり現代において尻尾が生えてくる事が稀なように、今、自分達の身体に備わっている機能は全て600万年もの時の流れの中、必要だからこそ残り磨かれた機能である。
爪が無ければ人はうまく物を使うことができないように、人の身体は細部末端に至るまで悠久の時の中で洗練、選定され、それぞれが必要な機能を担っているのだ。
そして、人類は進化に伴い文明を築き、有史6,000年の時の中で、文明の下さらに進化を続け現代に至っている。
なのに、
なのに、なぜ『すね毛』は未だ存在するのだろうか。
すね毛。
男女関わらず生えているすね毛。
処理をしなければボーボーになる人も多いすね毛。
この『すね毛』の機能とは一体なんなのだろう?
人が服を着るようになり、防寒としての役目はもう不要となっている。にも関わらず『すね毛』は生える。
すね毛というのは、一体なんの為に存在しているのだろうか。
人類の進化を信じると、すね毛という存在はまったく不要な機能であるはずがないのだ。
そう思った私は調べてみる。
体毛の機能は存在した。
『皮膚の保護』『触覚機能』『毒素排出』『体温の維持』等が上げられる。
皮膚の保護はクッション性を持たせる事による保護。
触覚機能は蚊などの虫が寄ってきて毛に触れれば『ん?』と感じる事で未然に防げる。
毒素は体で処理しきれない物を出すらしいがエビデンスは見ていない。
体温の維持は衣服がある為、意味は無いだろう。
調べた結果として上げたこの4つの機能が、有用な機能であるかが疑問視された為、幸いな事にすね毛を有する私は実験を行う事にした。
早速、除毛クリームを買ってみた。
そして昨日、下半身の右部分を除毛クリームで処理してみた。
少し論旨がずれるが使用した『除毛クリーム』なる物について話してみよう。
驚いた。
純粋に驚いた。
そして笑った。
通販サイトで1,000円以下で売っている除毛クリームを使用したが、
塗るだけで驚くほどにゴッソリ毛が取れるのだ。
もっさり毛が、わっさー取れるのだ。
原理は購入前にしっかり調べ、アルカリ性で毛を溶かすという事は理解していたし動画も見た。
だがやはり実際に自分の身体で体験すると笑うしかない。
もっさー生えてるすね毛が塗っただけで、わっさー取れるのだ。
余りに取れる為、少しの怖さを覚えはしたが、それでも撫でるだけで落ちる毛は面白かった。
「おほっほほほあははあはは! スゲースゲー!」
であった。
結果として今の私は下半身の右半分がトゥルットゥルになっている。
左からみればもっさー、右からみればトゥルットゥルの一人ビフォーアフター状態だが、この状態は検証にはもってこいであり非常に有意義である。
それでは、前述にあげたすね毛の機能として考えられる『皮膚の保護』『触覚機能』『毒素排出』『体温の維持』について考えてみる。尚、毒素排出に関しては検証できない為、無視する。
実験前は服を着る事が当たり前な現代において、機能の全てが衣服に代替され、すね毛は機能を果たしておらず、『すね毛』という存在は、もう不要であり、邪魔と言っても過言ではないと考えていた。
だが、一人ビフォーアフター状態の私には『すね毛』や足に生える毛のメリットが非常に分かり易い。
『服を着るからすね毛は不要』
コレは間違いである。
そう断言する。
むしろ服を着るからこそすね毛は必要であるとすら言えるかもしれない。
一つ例をあげるとしよう。
男性と女性の衣服には明確な差があり、肌着や通常の服も大きく違う。
明確な差のひとつに『スカート』があり、一般的に男性は着用せず女性が着用する。
私は一人ビフォーアフター状態になる前は『スカート』という存在は女性的な魅力を着用者以外へ見せつける為の服だと思っていた。
スカートがふわりと舞い、足が少し見えるだけで男の目は釘づけになってしまうし、同性であっても足の美しさを誇る事ができる。そんな女性の魅力を存分に発揮する武器なのだと思っていた。
だが違った。
違ったのだ。
一人ビフォーアフター状態の私は、スカートとは必要に迫られて生まれた衣服なのだと断言する。
私の普段着は『スラックス』と呼ばれる服であり現在も着用している。
夏用のスラックスは薄めにできており風や湿気を通しやすく、私の左足は快適だ。
だが私の右足は、今、のっぺりと蒸れている。
蒸れて不快なのだ。
不快なのだ。
人は体温調整の為に汗をかく。
左足はすね毛がクッション材となって密着を防ぎ、適度に生まれた空間が汗を蒸発させる為に一役買っている。その為蒸れる事もなく快適な空間を保つ。だがすね毛が存在しない私の右足は汗が吸着剤となって皮膚と衣服を密着させ、その為に汗は蒸発しにくくなり不快感が生まれているのだ。
また、皮膚と衣服が密着している為、動くと衣服が足にくっついてきたりと、とにかく気持ちが悪い。
そう。
パンツスタイルの服を着用し、快適に過ごす為には『すね毛』が必要であると言える。
つまり、すね毛が薄い女性が快適な服を求めた結果として、スカートは生まれたのだ。
この文章を読んだ男性である諸兄は、愚かな私のようにスカートを履いている女性を見て一々『エロい』と思ってはいけない。スカートは女性が快適に過ごすために必要な衣服だったのだ。必要だからこその形であり機能美なのだ。単にエロいとかそういうことではないのだ。スカートを見ても一々エロいと感じるのは愚か者のする事である。
さて、すね毛が現代人にとって有用である事が理解できた今、改めてすね毛について考えてみる事にしよう。
どうやらすね毛――体毛が濃い人は男性ホルモンの分泌が女性ホルモンに比べて優位であることが関連すると言われている。
すね毛が濃い人は男性ホルモンと呼ばれるアンドロゲン、『テストステロン』が女性ホルモンと呼ばれるエストロゲンやゲスターゲンよりも優位であるらしい。
このテストステロンと呼ばれる物質の値が高い程、骨格や筋肉、性器の機能維持などそういった肉体的な面や、やる気や決断力といった精神的な面に作用するとの事で、いわゆる『男らしさ』を作るホルモンらしい。
確かに一般的な女性と比べると男性のすね毛は濃い。
つまりすね毛とは『男らしさのアピール』であると言えるのではないだろうか。
かくいう私もすね毛が濃い。
一人ビフォーアフター状態であるがまだ半分はばっちり濃い。
これは男らしさのアピールが常に全開であると言える。やったね!
しかして、すね毛の濃さを理由に女性に好かれた事は無い。
おや?
……う~ん………ん?
あれ?
むしろハーフパンツとか履いてすね毛が見えてると若干引かれてる事の方が多いぞ?
そう。
現代において、すね毛から溢れる『男らしさ』は女性に対するアプローチの方法としては優先されないのだ。
なんという事だろう。
すね毛という泥臭い男らしさは文明が進んだ現代において『求められない男らしさ』に他ならないのだ。
現代文明は急激な進化を遂げている。
人類の肉体的な進化はそれに追いつけはしない。
過去、力が物を言う時代に必要だった肉体的な男らしさは現代には相応しくないのだ。
やる気や決断力といった精神的な面の『男らしさ』も、それに相応しい結果を得ていなければ現代において価値が無い。根拠もなく『黙って俺についてこい』と言い切る男らしさは現代には意味不明な物でしかなく、決断の結果として対価を得ていなければ、ただの蛮勇であり無能でしかないのである。
また『和』を重んじる日本においては冒険よりも安定が求められ、男性ホルモン由来から生まれる『チャレンジャー精神』は好まれない。
つまり、男性ホルモンの分泌が女性ホルモンに比べて優位であることに関連して生まれた『男らしさ』は現代において好まれないと言える。
故に男性ホルモンの象徴としての『すね毛』は一種の忌避の対象となるのではないだろうか。
風説として『体毛が濃い男は好かれない』という説がある。
現代の価値観を基に考えれば、その風説はある種の根拠があるようにも思えなくもない。
現代の価値観の中で女性に好まれる為には『すね毛』は不要なのだ。
すね毛が濃い男性は男性ホルモンが活発であろうことからエr――女性に強い関心を持つ者が多くいるだろう。
そんな男性諸兄は、すね毛の有用性と女性受けを天秤にかけ、すね毛を処理するか思い悩むのだ。
すね毛を切る。
それは正しく身を切るが如く、普段の生活の快適さを手放す行為。
だが、切った方が女性の印象は良いだろう。
嗚呼、すね毛。
すね毛とは、かくも悲しき、男のあり方なのかもしれない。
……まぁ?
私はアレだ。
うん。
ほら、一人ビフォーアフター状態にしたのは実験の為だったし、
別にモテたいとかそういうのではなくて、事後処理としてすね毛処理しなきゃなんだ。うん。
いや、だから別に女受け云々とかねーし、ちげーし。