8
入ってきたのは堀先輩と、三〇代ほどの見知らぬ男性だった。
「あ、先輩。どこに行っていたんですか?」
姿勢をかえず、首だけ宙ぶらりんのまま真乙さんは話しかけた。先輩は、真乙さんを見て目を開けたり閉じたりを繰り返した。堀先輩でも、彼女の行動はいぶかしかったのだろう。
「……おまえ、やっていて情けないと思わないの?」
先輩は呆れたように口を開き、ごもっともな意見を述べた。
「ぜんぜん。なんでですか?」
当の本人は不思議そうな顔をして、逆に聞いた。
「非常識このうえない。他の客が驚くだろう。今の俺らみたいに」
そう言って、先輩はいっしょに入ってきた男性を指した。この男性、さっきから僕らの会話を静かに聞いていた。
「え……って、あぁ!」
真乙さんが、男性の顔を見て形容しがたい表情で大声を出した。さいわい、バランスをくずしたりして落ちてきたりはしなかった。
「どうした?」
「どうしました?」
僕と先輩が同時に聞く。
「夜椅ちゃん、久しぶりだね」
真乙さんが答える前に、男性が真乙さんの名を呼んだ。僕と先輩は、男性を見た。
「尚彦叔父さん……! でも、なんで?」
声がだいぶ裏返っていて、しゃっくりのようにも聞こえた。叔父さん?
「……知り合い?」
「うん、親戚。お父さんの弟にあたるんだ」
そう言うと梯子を降りてきて、僕の隣の寝台に腰かけた。
「でも、本当にどうして? だって叔父さんは埼玉に住んでるはずでしょ?」
僕は男性――尚彦さんを見た。ワイシャツ姿だが、脇に背広を抱えている。サラリーマンに見える、一般的な男性だ。
「出張だったんだよ。君たちが乗った、ひとつ前の駅から乗っていたんだ」
人見知りする僕でも話しかけやすそうな雰囲気を、真乙さんの叔父は持っていた。そこは、一般的な男性とは違っていた。
「夜椅ちゃんは今年で、もう高校生か……最後に会ったのは、中学入学のときかな?」
「はい、たぶん。そのくらいだったと思います」
僕は真乙さんの表情を見ることはできなかったが、緊張しているようだった。
「……ところで、堀先輩とは、どうして知り合いに?」
二人の会話に割り込み、尚彦さんに聞くと、彼は意外そうな顔を浮かべて、僕を見た。僕は、思わず身構えてしまった。
「うん? ああ、尚彦さんとは、そこのデッキで切符を失くして困っているところをとおりかかって、気まぐれから切符探しを手伝ったから知り合ったんだよ」
堀先輩が、頭を掻きながら答えた。それに尚彦さんが補足した。
「そうそう。それで彼と話しながら自分の部屋に戻ろうとしていたら、夜椅ちゃんが奇妙な姿勢でいたんだよ」
尚彦さんの説明に、真乙さんがうろたえたように、しどろもどろ言い訳をした。
「いや、あれは、赤木くんが人の目を見て話すようになるには、いったいどうすればいいでしょうか? と聞いてきたから、その解決法のひとつとして……」
「ちょっと待って、真乙さん。僕はそんなことを頼んではいませんよ? あなたが勝手にやりだしたことでしょう」
僕と真乙さんのせめぎあいを、尚彦さんは動物ショーでも見るように傍聴していた。すると僕は恥ずかしくなり、耳が熱くなるのがわかった。
「まあ、夜椅ちゃん。僕は七号車にいるから、誰かと遊びに来てよ。全員で来られると、間にあわないけどね」
尚彦さんは僕らに手を振ってその場を去った。車外にいなくなってから、僕は真乙さんに聞いた。
「真乙さんの家系は、明るい人が多いんですか? それとも、身内とはそんなもの?」
真乙さんは首をひねって唸ったあと、「どっちも……かな?」と答えた。その直後、車内ががたんと揺れ、堀先輩が態勢をくずした。反射的に左足で体を支えたあと、先輩らしく冷静に、近くの手すりを掴んで姿勢をたもった。それから先輩は僕の隣の寝台に寝た。
ひょっこりと真乙さんが、堀先輩の前に顔を頭上から現せた。
「なんだよ」
さほど驚きもしないで、堀先輩は真乙さんを睨みつけた。
「いえ、なんとなく」
短い会話だけを交わし、真乙さんは首を引っ込めた。僕は横になってそれを見ていた。
上で真乙さんが動く音がした。彼女も横になったのかと思ったが、それは梯子を降りようとした音だった。
「ねえ、暇だから叔父さんのところに行こうよ」
梯子を降りきり、僕のいるスペースに首を突っ込みながら提案してきた。
「いきなりですか?」
節操がなく思えたので、そう反論してみたが、「どうせ、あとは寝るだけなんだから、遊びに行く時間なんてないよ」と、それ以上言い返せない理由を述べられた。
「それに私、叔父さんに聞きたいことがあるし」
「それなら、ひとりで行ってくればいいじゃないですか」
「ダメ! ひとりじゃ、相槌を打ったり、話のネタを振ったりするのが大変だもの!」
――そんなの、自分でなんとかしなよ!
言いはしなかった。そういう前に、ある疑問が浮かんだから、そっちの方を聞いた。
「七号車のどの部屋なのか、わかってるんですか?」
真乙さんは僕の言葉の意味をちょっと考え、すぐに呻いた。
「あ、わからない!」
頭をわざとらしく抱え、彼女は恨めしそうに僕を見た。
――残念ですね。また、身内で集まるときまでの辛抱ですよ。
嫌味たらしく言おうとしたが、横から堀先輩が、
「上の階の一番奥だってさ。会ったとき、教えてもらった」
僕は苦笑いを浮かべ、真乙さんはほほえみを浮かべた。堀先輩は僕らに背を向けて、寝はじめた。