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 二段ベッドだった。ベッドが最初からひとつあり、そのベッドの上にゴムバンドで固定されたマットがあった。マットは、画板の要領で人が乗っても平気になる。手近な壁に、そう書かれたプリントがあった。

「わぁー! ここ、いい!」

 部屋を見て、真乙さんは花園にいるような顔をした。この表情がまた、僕の精神の根本をチェーンソーのように削られていく。僕の思念が爆音にのせて塵となっていく。

「あれ? どうしたの、赤木くん? なんだか怖い顔して? あ、そうか。私が寄り道するから、怒ってるんだ」

 僕は首を振った。もちろん横にだ。

 そんなんじゃなくて、もっと、人間としてというか、あなたの笑顔は、生理的嫌悪がある……なんて言えるはずがなく、僕は「憂鬱常態になったときの強面」と返した。

「君が憂鬱? らしいけど、なんで?」

「……なんとなく。それよりも、早く戻りましょうよ。なんだか、座って休みたくなりましたよ」

 言っていて情けなくなった。体力がぜんぜんない。なさすぎる。だが、真乙さんほどなら、まだまだ平気だからもっと見てまわろうと言い出すかもしれない。そうなると、僕としては困る。

「そうだね。言われてみれば、踵がすこし痛いや。帰ろうか」

 安堵に似た喜びが、杞憂を払った。

 部屋を出て廊下の狭い空間へ出る。真乙さんも出てきてから、カーペット上を進む。

 階段を上がり終えたとき、真乙さんの足音がしないことに気づいた。見ると、ちょっと離れた場所で、彼女はヨーイドンの格好をしていた。

「何、してるんですか?」

 不可解な行動すぎて意味がわからず、裏返る一歩手間の声で聞いた。

「ちょっと横にどいて」

 言われて、僕は上り階段の方に退いた。それでも、通路で妙な格好をした真乙さんは見えるよう、首だけは通路に出した。

 僕がどいてまもなく、彼女は急に走り出した。階段の手前で、ウオリャッ! と、女子高校生らしからない、勇ましくも恥ずかしい声を上げ、ジャンプした。

 一段、二段と飛んだところで、

「あ、足が……!」

 右足のつま先が三段目の上段にぶつかり、体勢をくずした。

 ――あ、いけない……。

 あまり焦りもせずにそう思った。もうちょっと僕に善意があれば彼女を助けようと行動に出たかもしれないが、そんなことができるほど、僕の脳は優秀ではなかった。

 真乙さんは両手を伸ばして床に倒れた。両手を伸ばしただけじゃ、かえって手首に負担がかかりすぎる。

「いったーい!」

 案の定。

「…………」

 呆気に取られるというより、またかと思うのと同じ気の抜けた苛つきを覚えた。僕の目は、そのせいで冷たくなっていたのかもしれない。僕を見上げた真乙さんが、恥ずかしいような、恐ろしいようなふうに顔を強張らせ、悲しそうに俯いた。

 真乙さんは転げたまま、立ち上がろうとはしなかった。他人が見たら九割九部、「こんなところで部活の筋トレかよ。しかも女子が。隣の男子は何を考えているんだ」と思われてしまう。それは、もちろん嫌だ。

「ほら、何やってるんです。早く行きましょう。……大丈夫ですか?」

 片膝をついて声をかけてみた。彼女は寝ているところを先生に指されたように息を呑んで、おそるおそる僕を見た。僕を見上げた両目は、湿り気を帯びていた。

「転んだくらいで泣かなくても……」

 呆れと戸惑いから言うと、真乙さんはゆっくりと立ち上がり首を振った。

「転んで、痛いから泣いてるわけじゃないんだ。……そのう、君の目がどうも怖くって」

 顔を伏せて歩き出した。

「ちょっと」

 僕はあとに続き、そんなに怖い目をしていたのかと尋ねた。

「うん。科学者……というより、生き物に対して実験をしているような目だった」

 目が合わないようにするためなのか、ずっと顔を伏せたまま話した。

「そうか……なるほど」

 すくなからず僕はショックを受けた。真乙さんに言われたからではなく、僕にもそういった顔を作れることと、その表情が真乙さんを怖がらせたという事実からだ。

 なぜ、そんな表情が作れるのか、自問した。

「……それなら、すみませんでした。あなたを恐怖させるつもりなんてまったくなかったのに、そんなふうに見えたのはたぶん、僕の表情が乏しいということにしておいてください」

 そう謝るとやっと、真乙さんは顔を上げた。それでもまだ寒気がするのか、自分の右腕を左手で掴んでいる。

「ごめんね、私、変なこと言って……」

 真乙さんは、そこでまた顔を引きつらせた。頭痛がするように顔が険しくなり、額を右手の甲で押さえた。

「だ、大丈夫ですか……!」

 突然の変化に驚き、上ずった声が出た。

 真乙さんは「冷徹な目……どこかで、見たことが……」とつぶやいた。

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