5
真乙さんの目は僕を見るのをやめて、暗闇の中にあるはずの景色を見はじめた。
「何も、見えませんね」
「家の明かりもまばらだし……山だらけなのかな?」
窓に手をつき、物悲しそうに彼女は自分を見た。と、不意に目を見開いた。
「……私って、目が怖いね」
窓に映る自分を見て、悲しむというより、それをおもしろいというようにつぶやいた。
「でも、小さい子はよくなつく」
深夜バスで出会った、二人の子供を思い出し言ってみると、「優しそうに見えたんじゃない?」と嬉しそうに笑った。僕はそれを見て、確信めいたものを覚えた。
「やっぱり、あなたは保育士か幼稚園の先生に向いているのかもしれませんよ。そういう関係の勉強をしていれば」
静かな車内に、真乙さんが「うーん……」と悩む声がした。
「そうか……。でも、子供になつかれるだけじゃ、無理だと思うけどな」
「だから、他の職よりも可能性があるというだけですよ。でも、真乙さんの夢は作家になることですよね?」
以前、自分で言っていた。
「うん。夢っていうほどじゃないけれど、なりたい職ではあるよ」
ちょっと笑って彼女は答えた。僕は冗談を言うような口振りで、「頑張ってください」と励ましの言葉を言った。
「……バカにしているだろう?」
目を険しくして僕は睨まれた。その目をされると弱るので、弁解することにした。
「バカになんてしていません。夢追い人を尊敬するだけですよ。悪意はありません」
うさんくさそうに、彼女はまだ僕を睨んでいる。
「信じていませんね」
「じゃっかん、ね」
真乙さんは紅茶を飲んだ。目元は笑っていたので僕はほっとして、彼女と同じように紅茶を飲んだ。プルタブを開けてから存在をずっと忘れていたのでだいぶ冷えていたが、味はあまりかわりないように思えた。
「暇だな……」
何気なさそうに、真乙さんはつぶやいて、手元の缶に目を落とした。僕が紅茶を飲むのをやめるまでのあいだ、彼女はそうやって俯いていたが、ゆっくりと顔を上げて「そういえば、私は君が中学時代どんな人だったのか、聞いたことなかったな」
先輩たちには話したことがあるものの、真乙さんには昔話をしたことがないことに気づいた。
「昨年のことですから、今とはぜんぜんかわりはないですよ。しいていうなら、教室の片隅でひとり、クラスの和から離れている男子、それが僕です」
そうじゃない――と真乙さんは首を振った。
「そんなことは、わかってる……というか、なんとなく雰囲気でわかるけど、私が聞きたいのはそうじゃなくて……えっと、つまり……」
「つまり?」
「…………」
自分でも何が言いたいのか忘れたらしく、真乙さんは小首をかしげた。最終的には「なんで、こんなこと話しているんだっけ? あれ?」と混乱しだす始末であった。
そんな真乙さんを、僕は何も言わずに見ていることにした。ひとりで勝手に混乱している人を見るのは、色々と楽しかった。どんな行動や反応を取るか、興味があるのだ。
「……まあ、いいや」
落ち着いてきたころ、真乙さんはそう言った。ちょうど丸亀駅のホームを通過したときだ。
「見事な発狂ぶりでした。今まで見たことがありませんよ」
真乙さんは、睨まなかった。呆れてものも言えないらしい。自転車を全力で漕いだあとのように、だいぶみじめな面差しだった。
「それはどうも……。疲れただけで、私はなんにも楽しくないよ」
本当に疲れたようで、ため息を何度も吐いた。最後に大きく息を吸って、体中の酸素を吐き出すのではないかと思うほど息を吐いた。
「そろそろ、外を見るのも飽きてきましたし、戻ります? 飲み物もなくなったし」
空き缶の中間を親指と中指で挟んで左右に振らして聞いた。それを目で追った真乙さんは、「まるで落ちていく凧の動きみたい」と呑気なことを言った。
僕は空き缶の動きを止め、しばらく押し黙った。
「おーい! 聞いてるかー?」
僕の眼前で手を左右に振りながら真乙さんが呼びかけてきた。僕は空き缶を握り、真乙さんの目の前で圧力をかけて変形させてみた。真乙さんは驚いて一歩後退さった。
「怖いな、まったく」
「アルミですよ。誰だってつぶせます」
「……帰ろうか?」
「そうしようと言ってるじゃないですか」
自席のある車両に戻るには、もちろんとおってきた車両をふたたびとおらなければならない。一車両だけであるが、どうにもその一車両の距離が長くなるように思えた。予感というか、これまでの経緯からというか……。
「今度は、下から行こうよ!」
例の上下に段がある車両に入ってすぐ、階下を指差して真乙さんが楽しそうに言った。
「いつもより低い場所から外を見ることができるよ」
興味がないわけではないので、そうすることにした。
階段から細いながらもあまり距離のない通路に下りると、場違いな開放感があった。
「天井もあまり高くないし……最高だよ、この列車は」
普通の車両では体験できない、特殊な空間を真乙さんは賞揚した。僕も、彼女と同様の感想を抱き、それが開放感の理由であると察した。
壁際にドアが二、三あり、そのうちひとつが開いていた。案の定、真乙さんはその部屋に興味を持って、開かれた部屋に入っていこうとした。
「勝手に入るのは、もうやめましょう」
僕が背後から声をかけたが、好奇心旺盛な同級生は、それを無視して部屋の中に入っていった。
我が物顔で真乙さんが入っていった部屋の外で、しょうがなく僕は待った。中を覗いてみると、また違った造りをした部屋だった。