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窓からの景色は、点々と民家の明かりが映るだけのわびしいものだ。それよりも、鏡と役目を代えてしまっているので、目を凝らさないと外の景色はまったく見えない。
「これじゃあ、自分の汚点ばかりが見えてしまいそう」
真乙さんは背伸びと欠伸をした。欠伸をした際、彼女の目には水が溜まった。
「なんで、欠伸をすると涙が出てくるんだろう?」
両手で目を拭い、その涙で濡れた両の甲を、顕微鏡を覗くように見た。
その行動が、僕に軽度の悲しみに似た驚きを与えた。真乙さんがそんな疑問を口にするなんて、思いもしなかったからだ。柄ではない、という感じだ。
「うん、何? 人の欠伸をそんなにまじまじと見たりして……」
僕を正面に見てそう言った。気づけば、僕は彼女の取る行動一つひとつを、動物でも観察するように見ていた。
少々自己嫌悪に陥った。
「人間性が疑われるよ」
だいぶ自己嫌悪に陥った。しばらく話したくないと思った。しかし、彼女は気にせず話しかけてきた。
「ねえ、そういえばさ、赤木くんって北海道出身だよね?」
彼女は話をかえた。不自然さを感じなかったのが不自然だったため、僕は「はい?」と聞き返した。
「だから、君は北海道で育ったんだよね?」
「はい、いちおう、そうですけど……。それが?」
真乙さんがなぜそんなことを聞くのかわからず、僕は首をかしげた。
「それなら、なんで君にはなまりがないの?普通あるもんじゃない?」
「……はい?」
そういえば、僕にはなまりがない。それが、彼女にとって不満であり、奇妙なことであるらしい。
「それはたぶん、両親が東京で長いあいだ生活していたからだと思いますよ」
「え、でもさ……君は北海道の学校には通ってたんでしょ?」
首肯する。
「なら、学校に来るクラスメイトは、みんな北海道の人だよね?」
二度首肯する。
「うつったりしなかったの?」
首肯……しようと思って、そのまま首をかしげた。そのため、変な方向に首が曲がった。
「確かに、みんな地方の言葉で話してたけれど、僕の家では使われなかったし、学校でクラスの人と話すということもすくなかったから。時々話しかけてきても、標準語で話す僕を薄気味悪がっていたよ」
両親とも北海道出身なのだが、父は大学生のとき、母は僕と同じ高校生のときに上京してきて、仕事場がいっしょで知り合ったらしい。それから東京で七、八年、実家とは連絡を絶って生活していたらしい。今は、父の両親、つまり僕の祖父母が体調をくずし、二人の面倒を見るため北海道に戻ってきたのだ。そのとき僕は、まだ幼稚園に入る前だった。
「今思うと、まったく聞かされていたわけではないんだから、ぜんぜんなまりが出ないというのも、おかしな話ですかね?」
昔、自分でもそのことに気づき、冗談気味に親へ言ってみたところ、「適応力がないのよ、きっと」と言われた。そう言ったのは母で、本人も冗談のつもりだったのかもしれないが、僕はそれで納得してしまった。でも、それを冗談ととらえ、その後必死に友達を作ろうとしたとしても、さして、今の僕と最終的にはかわりなかったであろう。
「ふーん……。やっぱり、君は困った人だ」
「……いきなり、なんですか?」
思いやりのかけらもない言葉を、真乙さんが格言でも言うようにまた言い放ったので、苦笑いした。
「今、女子高生のあいだでは、ダイアレクトがブームなんだ。だからすこしレクチャーしてもらおうかと」
「……ダイアレクト? なんですか、それはいったい?」
「方言だよ」
僕は、妙なものが流行しているな、と心の底から驚いた。
真乙さんの言動と興味が、正反対であるような気がした。本当は、あまり興味がないように思えた。
「でも、方言は地域によって異なるもので、いってみれば地域の個性だから、それを真似するのは、地方の人に対して失礼のような気がするんですが……」
僕の意見に、彼女はうなずいた。
「うん、そうかもしれない。だから、私はあまり方言を使わない。そうやって、おもしろ半分で使っていると、自分を失くしそうで嫌なんだ、私は」
そう言うと、彼女は気分が晴れたような顔をした。まるで、定期テストが終わって勉強を無理にする必要がなくなったあとみたいに、嬉しそうな面持ちである。
「……ずっと、それが言いたかった?」
なんとなく、直感めいたものが、僕にそう言わせた。
「かもしれない。……いや、ずっと言いたかったんだと思う」
自分の考えを、ちゃんと理解して聞いてくれる人に話すと、開放的な気分になる。彼女はほほえみ、両手の指を交差させて合掌した。
「自分の意見は、言わないとだめですね」
目を窓に戻し「うん、そうだね」と彼女は首を縦に振った。
「言いすぎには注意しないといけませんけどね」
続けて言うと真乙さんは眉をひそめ、「私のことを言っているの?」と窓に映る僕を睨んだ。
「……なんで、そっちの僕を?」
「なんとなく」