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「あ、お母さん? 私だけど……え? ううん、ちょっと聞きたいことがあって……。尚彦叔父さんのことなんだけれど……うん、叔父さんのことで。私さ、叔父さんと初めて会ったのはいつだったっけ? 確か、小学校に入学してからだよね?」

 僕は、彼女と尚彦さんがいつ会ったのかが知りたかった。

 電話で母親と話す真乙さんの声は、自然となのか意図的になのか、普段よりも小さくなっていた。救急車のサイレンみたいに、遠ざかって聞こえなくなりそうだ。

「うん、そうだよね。私、小学校に入学してたよね? そうそう、引っ越してから家が近くなったから、休みの日とか時々遊びに来てたよね」

 真乙さんが僕のことを見上げた。すぐに電話に集中した。まだあとひとつ、僕は彼女に聞いてほしいことがあった。が、

「ところでさ……――!」

 頭に電気でも奔ったみたいに真乙さんは顔をしかめ、頭を手で押さえつけ、その場にかがみこんだ。僕は急なことに驚き、どうしたらいいのか判断がつかなくなった。そのため、「大丈夫ですか?」なんて気の抜けた言葉しかかけられなかった。

「夜椅? ちょっとどうしたの? ねぇ、夜椅ったら!」

 右手で握っている電話から、小母さんの緊張した声が聞こえてきた。

「大丈夫ですか? 頭痛がするんですか?」

 怒鳴るように、僕は声を上げていた。それに、いつもなら拒絶するはずなのに、真乙さんの肩に触れて揺すっていた。気づいた僕は、無意識の行動だったとしてもそんな自分が恐ろしくなった。その次に、反射行動をこのとき初めて呪った。

「夜椅どうしたの! 大丈夫なの!」

 小母さんの叫び声が、真乙さんの手から漏れ出す。つかの間迷ったが、彼女の携帯電話を彼女の手から抜き取ろうとした。が、真乙さんは強く電話を握っていた。僕の力では抜き取れないほどに。

 いまだ真乙さんは、立ち上がれそうな雰囲気ではなかった。しゃがみこみ、両手で頭を抱え込んで体を小刻みに震わせていた。仕方なく、僕は彼女の手を無理やりほどき、携帯電話を取った。むろん僕の体はほんの刹那凍りついたが。

 携帯電話を顔に近づけ、電話の相手に話しかけた。

「あのう、僕、赤木ですけど……」

 娘の名前を呼ぼうとした小母さんは、不意打ちをくらって二、三秒押し黙った。

「真乙さんと同じ科学部の、赤木です」

 もう一度そう言うと、小母さんは我にかえったように、え? とか、あら? とかつぶやいた。

「真乙さん、急に頭を抱えてしゃがみこんじゃったんですよ。今も、僕が何を言っても無反応なんです」

 小母さんが、息を呑んだ。

「……以前にも、こういうことが?」

「……いや。今までは、記憶を思い出しそうになると、頭をちょっと押さえることぐらいならしたけど……」

 僕は真乙さんを見下ろした。これは記憶を取り戻しかけているのだろうか? だが、今さら取り戻す記憶とは……?

「なるほど、そうですか……。なら、これもその類かもしれませんね」

 真乙さんの体は、だんだんと振動を緩めてきていた。そのかわり、彼女の息づかいが狭い車内上に響くようになった。

「大丈夫ですか?」

 送話口を押さえて尋ねた。真乙さんは後頭部しか見えない頭を縦に倒した。

「あのう、どうやら彼女、もう平気そうなんで、かわりますね」

 一方的そう言い、小母さんの返事を待たず真乙さんに電話を押しつけた。彼女は、まだじゃっかん震えている手でそれを受け取り、耳にあてて話しはじめた。

「うん、大丈夫……。それじゃあ、切るね。お休み……」

 電話を切り、彼女は体育座りの格好をして、屈伸している両足に顔をうずめた。そんなところで体育座りをしていて大人に見られたら、現代若者がどうとかこうとかいう、聞いていておもしろくもない批評が増えてしまう。それはつまらない。

「もう、平気ですか? 立てますか?」

 彼女はそれに答えなかった。ただただ顔を伏せていた。その反応の中、彼女が何やら考え事をしているのだと気づき、それ以上は話しかけないことにした。

 ゆっくり数えて十秒後ぐらいに、真乙さんはみずから立ち上がり、六号車へと入っていった。僕もすぐにあとを追って、彼女がとおるときに開いた扉から六号車内へ滑り込んだ。

「どうしたんですか? 頭痛ですか?」

 あとをついて歩きながら尋ねたが、彼女は無言のまま歩き続けた。先に戻っていた伊森先輩が、寝ぼけ眼の堀先輩と話していたが、僕らに気づいて声をかけた。真乙さんはそれを見事に無視し、俯いたまま七号車へと歩いていった。僕は困って、アイ・ドント・ノーのジェスチャーを先輩に向けた。

 そのうち彼女は六号車を抜けてデッキへと出た。あまりに彼女の背中は寂しげだった。喪失感にさいなまれたように影を落としている。

 見かねて僕は肩を叩いた。真乙さんはさっと振り返り、僕を睨みつけた。その眼光は、今までで一番凶悪なものであり、それを向けるべきは親の仇というべき鋭さだった。もちろん僕は、彼女の親の仇ではない。だからこの睨みは僕に向けるには不適合なので、彼女はすぐに睨んでいる相手が僕と判断し、いつものクルミ大の目をした。ところがそれもすぐ、さっきまで見ていた彼女の背のように、影がかかった。それはちょうど、太陽が雲で隠れてできた影が、日なたを歩いていた足元を暗く覆ったときのように、「あれ?」という不可思議な気分を僕にもたらした。

「…………」

 真乙さんは口を開いたが、言葉は生み出さなかった。僕の目を見るだけで、何も行動を起こさない。

「……もう、大丈夫ですか?」

 ゆっくりと、子供に言い聞かせるように聞いて、彼女の反応を待った。

「……大丈夫。もう、平気」

 蝶が飛ぶのを見たときに感じる、か弱さという力なさが彼女の声にはあった。

「そうですか……。それならよかった……。で、どうしたんですか?」

 怪現象の解を求めたが、彼女は困惑して目を泳がせ、僕を見ないようにした。

「尋常ではありませんでしたよ」

「……思い出したんだ」

 僕の問いつめる言葉に答えるというより、詩人や発明家が新たな疑問を口にするように彼女が囁いた。

「え?」

「思い出したんだ……。私には、事件当日以外でまだ、記憶が戻っていない時間帯を……今さっき」

 彼女は、一言ひとことの意味を確認しているような間を使って、僕にそう言った。

「……記憶が戻っていない時間帯?」

 彼女はうなずいた。髪がさざ波のように揺れて、もとに戻る。

「その記憶が、戻った……」

「……どんな記憶なんですか?」

 真乙さんは顔を上げた。

「事件後気絶していた私が、目を覚ました日の記憶……」

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