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 背もたれようの横棒に体を押しつけ、缶を持っていない右手を後ろにまわして棒を掴む。「ふー……」と息を吐き、窓に映りこんでいる真乙さんの像に向かって話しかけた。

「それじゃあ、話してくれますか」

「ちょっと待って」

 隣で僕と同じような姿勢でいた真乙さんが、首だけを動かして僕を見た。僕は、その行動が窓に映っていたのでわかった。

「なんですか?」

 僕も顔を向けた。

「ねえ、話を聞くときも、相手の目を見て話そうとは思わないの?」

 言われて、僕は彼女の目を見た。陰鬱そうな目をしていた。

「……そうですね。そうします」

 こんな些細なことに対しても真乙さんは意見するので、この調子では本題に行き着かないのではと不安になった。だから言われたとおりにした。しかし、僕は目線を彼女の眉間辺りにあてているだけにした。それでも彼女は了承したようで、「うん」とうなずいた。

「それでさ、話に入る前にだけどさ……」

 今度は、真乙さんが顔を伏せて、意味ありげな言葉を吐いた。

「なんですか?」

 すこし俯いてから、ゆっくりと顔を上げた。

「……この缶ジュース、飲まない?」

 左手に握っていた缶を右手で指して、真乙さんは聞いてきた。作り笑いを浮かべていた。無理やり口元を笑ってみせているから、引きつっているように見えて、笑わない程度におかしかった。

「……はい? なぜですか?」

 理由を聞こうとすると、彼女はあいまいな笑みをこぼして、あたふたした。

「いやさ、べつに、これが不味かったり、どうしようもなく不可思議な味だったりしたから、君に押しつけようとしているわけじゃないよ」

「そんなこと、聞いてません」

「…………。いや、それとはまったく逆で、今までにないくらいおいしかったから、君にもわけてあげようかと……」

 僕は彼女――眉間あたり――と、握られている缶ジュースを見比べて、尋ねた。

「不味かったんですね?」

 ため息が喉元まで迫ってきたが、飲み込んだ。

「そんなことないけどぉ……」

 いじけたような声を出して、彼女はしょぼくれた。初めて聞く真乙さんの駄々声が僕には新鮮であり、寒気をうながしもした。それにしても、その缶ジュース。物好きな真乙さんの口に合わないとは、恐ろしい……。

「……それでようは、その缶ジュースを廃棄して、新しいジュースを買いに行きたいんですか?」

「……まあ、そんなもんかな」

 それじゃあ、これ飲んでくれるの? 真乙さんは、そういった期待を含んだ表情を、しょぼくれ顔と交換しておもてに出した。

「それじゃあ、飲み物を買ってきて上げますから、さっさとそれを飲んじゃいなさい」

 言っていておかしかった。真乙さんが、きょとんとしたのもおかしかったが、こんなしかるような口調で話している自分が、意外でならなかった。たぶん、彼女も意外に思ったから、はにわみたいな表情をしたのだろう。

「……飲んでくれないの?」

「やっぱり、それが狙いだったんですか?」

「…………」


 いつまでも辛気そうな真乙さんに、飲み物を買ってあげるからという条件を提示すると、彼女は渋々と話しだした。げんきんな正確なのでは、と一瞬彼女の性格を軽蔑したが、すぐにどうでもよくなった。もうすでに、そんなことはわかりきっていたことを思い出したからだ。

「それじゃあ、話してください」

 缶に入った緑茶を一口飲んでから、うながした。

「うん……。十年前かな。まだ、私が六歳だったから。その日は、私の誕生日だったんだ。なのに私はその前の日、外で遊んでいたとき、急に降ってきたにわか雨に打たれて、熱を出して寝込んでたんだ。幼稚園を卒業した春休みだったから、風邪を引いても支障はなかったけどね」

 そこまで話して、真乙さんは口を閉ざした。

 僕は、先を進めてもらうように言った。

 少々僕を睨んでから、真乙さんは続けた。

「時刻は夕方だったかな。誕生日だったから、お母さんはケーキを買いに行ったんだって。私は前の日から布団の中でじっと寝てたから、あとで聞いたんだけどね……」

 そこでまた、彼女は話しをやめた。先を話してくださいよと言うと、彼女は淋しそうに目を伏せ、「ここまでしか覚えてないんだ」と囁くような声を出した。

「私、そのあと何があったのか、正直わからないんだ。ただ覚えてるのは、あるとき目を覚ましたら、重荷を背負ったように顔を強張らせた女性が、私の顔を覗き込んでいたぐらい。まあ、それがお母さんだったんだけどね……。つまり、忘れたの。一時的な記憶喪失ってやつ? 首に傷があるのも、どうしてか覚えてない。すっぽりと抜け落ちた記憶のどこかに、どうしてこうなったのかの答えがあるはずだけど、私にはわからないんだ。……強盗が入ったから、その強盗がつけていったんだろうけどね」

 一息つき、彼女は奇怪な炭酸飲料を飲んだ。しかし、それが不味いことを思い出して、むせかえった。

「……そんなに不味いんですか?」

「そんなことないから、飲んでみない?」

 咳をしながら、涙目で聞いてきた。

「遠慮します」

「…………」

 真乙さんはため息を吐いた。その姿が窓に映った。その像は、よけいに疲れているように見えた。この像は、彼女の今を写しているのだろうか? それとも、以前の彼女を表しているのだろうか?

 記憶がなくなる。それはつまり、彼女の人格が破壊されたからだ。その者は、どれほどの恐怖を真乙さんに与えたのだろうか。

「ところで、真乙さん」

 僕が言うと、彼女は面倒くさそうに僕と目を合わせた。

「真乙さんは、忘れた記憶が戻ったりしてるんですか?」

 それが知りたかった。たぶん、事件当時のことは、さっきの会話からわかるように、まったく覚えてはいないだろう。だけどそれ以前の記憶は、戻ったりするのではないだろうか……。

「記憶? そりゃあ、戻ったのもあったよ。アルバム見たり、親から話を聞いたりして」

「それでも、事件当日のことは覚えていないんですよね?」

 真乙さんは一回深く、「そうだよ」とうなずいた。

「あ、でも、なんていうのかな? つい最近、記憶の断片っていうか……。ねえ、赤木くん……」

 言葉が見つからないのか、真乙さんは考え込みながら、僕を呼んだ。

「なんですか?」

「時々、ある場面、ある会話に出くわして、『あぁ、前にもあったな』って感じたことある?」

「……ありますね。それが?」

 そこでまた、真乙さんは腕組みをして唸った。そしておもむろに、

「私さ、尚彦叔父さんといっしょにいたりすると、なんていうか、さっき言った記憶の断片? そういった映像が車窓の景色みたいに、さっと流れることがあるんだ。私は家にいて、尚彦叔父さんを見上げてるんだ。するとすぐに消えちゃう、映像が……」

 首を傾げ、なぜだろうの表情をした。

「しかも、それと同時に、頭痛がすることがあるんだ。……これって病気かな?」

 真剣な面持ちで、真乙さんは僕に聞いた。もちろん医者でない僕は、「そんなの知りませんよ」と答えておいた。真乙さんが「かわいげないな」とつぶやいた。

 真乙さんの話の中で、僕は納得のいかない部分があった。しかしそれは、自分でもなんだかわからないもので、単なる思い違いかもしれないのだが……。


 話は終わったので、僕たちは自動販売機で飲み物を買いながら、自席へと戻ることにした。

 真乙さんはいまだに、手に持った缶の中身を空にする意志はないようだった。

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