第9話
タロウ視点です
生まれてから暫くして、僕は他の兄弟と一緒にお母さんから引き離された。
最初は兄弟と一緒のゲージにいたけど、1匹…1匹とゲージから出ていき戻って来る事はなかった。
気付けば、僕はたった1匹でゲージの中にいて、1日に1回餌をくれる為に男の人が僕の所に来るだけだった。
そんな生活がどの位、続いただろう。
「お父さん! 僕、この子が良い」
1人の男の子が僕に近付き、まだ小さかった僕の身体をぎゅっと抱き締めた。
「雅樹、この子はゴールデンレトリバーだぞ。お前が欲しがっていた柴犬じゃない」
「分かってる! だけどこの子が良い。散歩も手伝うから、お願い」
そう言うと、更に僕を抱き締めた。
「くぅーん」
僕と男の子を見て、お父さんと言われた人は溜め息を吐いた。
「ゴールデンレトリバーを飼うと言ったら、母さん驚くぞ」
「僕がお母さんにお願いするから。お父さん、この子連れて帰ろう?」
「お前がちゃんと面倒をみるなら……この子を飼おう。約束出来るか?」
「うんっ! 約束するっ」
お父さんにそう言うと、男の子は僕の顔を見た。
「今日からうちの家族だよ。タロウ」
タロウ−−−それが僕の名前。その事に気付いたのは家に連れ帰ってもらって暫く経ってからだった。
「タロウ! 散歩に行くよ」
小学校から帰って来た男の子---名前を雅樹君と言う。
彼はいつもランドセルを玄関へ置くと、僕を散歩へと連れ出してくれた。
「雅樹! ちゃんと部屋までランドセルを持って行きなさいっ」
「帰って来たらね。行こう、タロウ」
家の中からお母さんが怒っている声が聞こえたけど、雅樹君は僕の首輪へリードを付けると家を出た。
散歩コースはその日の気分で変わる。夕方の30分間---毎日、その時間が僕の楽しみだった。
雅樹君は僕と一緒に歩きながら、今日学校であった出来事を僕に話してくれた。
そんな毎日の散歩も、雅樹君が大きくなるに従って段々と無くなっていった。
学校が忙しくなった雅樹君に代わって、お母さんが僕を毎日散歩へと連れて行ってくれる事が当たり前になっていたある日---
庭で眠っていた僕は、誰かが近付いて来る足音に気付いた。
「タロウ、散歩に行くか?」
「ワンッ」
雅樹君がそう言いながら僕の首輪にリードを着け、そっと首周りを撫でてくれた。
高校に入ってからは勉強が大変らしく、なかなか散歩に連れていってくれる事がなかった。
そんな彼との久しぶりの散歩が嬉しくて、僕はいつもより歩いていた。
どの位歩いた時だろう−−−−雅樹君の指から淡い紅色の糸が、どこかへ向かって伸びている事に気付いた。
それを見つけた僕は、糸の伸びる方向へ走り出した。
「タロウ! 戻って来いっ!」
後ろから雅樹君の呼ぶ声が聞こえたけど、立ち止まる事はなかった。
糸は曲がり道の向こうへ伸びていた。その後を追って走っていくと何かにぶつかった。
「きゃあっ」
女の人の声がしたと思ったら、尻餅をついて座り込んでしまった。
ぶつかった衝撃で立ち止まった僕は、その人の手から淡い紅色の糸が出ているのを見た。
−−− 見つけた。雅樹君の番の女の子 −−−
僕は嬉しくて尻尾を激しく振った。
僕には他の犬とは違って『番の絆』が見える。人間の言うところの『赤い糸』だ。
加藤家の大黒柱であるお父さん−−−加藤雅春さんと、その妻である雪乃さんの間にも綺麗な紅色の『番の絆』が見える。2人はとても仲が良くて、誰が見ても愛し合っている事は一目瞭然。
僕も大人と言われる年齢になった時、お見合いで『リル』に出会った。
真っ白なゴールデンレトリバーで、お互いに一目惚れだった。その時もやっぱり僕とリルの間に『番の絆』が見えた。
すぐに僕達には可愛い子供が生まれて、今はみんな良い飼い主に貰われて幸せにしている。
リルとは1ヵ月に1度は必ず会う。その時間をお互いとても楽しみにしている。
もっと頻繁に会えれば良いんだけど、住んでいる場所が少し遠い事もあって思う様に会えない事が残念だ。
番がいるという事がとても幸せだと知っているから、僕は雅樹君にも早く出会って欲しかった。
それがこの娘なんだ---見た目は少し派手な感じだけど、雰囲気はとても柔らかい。きっと心の優しい女の子だ。
「タロウ! 駄目だろ、離れるんだ」
少し遅れて走って来た雅樹君が、僕を自分の方へと引き寄せた。
「すみません。うちの犬が迷惑をかけて……大丈夫ですか?」
「あっ、はい……大丈夫。驚いてしりもちついただけだから」
雅樹君が女の子に謝ると、彼女は慌てて立ち上がった。
「本当にすみません。怪我は無いですか?」
「怪我はしてないけど……」
僕は2人のやりとりを見ていたけど……何故かお互いに関心が無いように見えた。
おかしいなぁ---一目で恋に落ちる筈なんだけど?
「ねぇ! この子、撫でてもいいっ?」
女の子が僕を見ていたと思ったら、雅樹君にそんな事を言った。
「あ……あぁ、いいけど」
雅樹君がそう返事をすると女の子は僕の身体を抱き締め、僕の自慢の毛に頬ずりする様に顔を埋めた。
「きゃあ! 可愛いっ、毛がモフモフで気持ち良いっ」
「キューンッ……」
うわっ、良い匂いがする上に撫でるその手の感触が気持ち良くて、つい声が出てしまった。
「ねぇ、この子の名前、何て言うの?」
僕を抱き締めたまま女の子が雅樹君に訊ねている。
「タロウ」
「タロウ? タロちゃん! 可愛いっ」
更に頬擦りをしながら、僕の名前を呼ぶ女の子。嬉しくて僕もお返しとばかりに、彼女の頬を舐めてあげた。
「擽ったい! タロちゃん、止めてっ」
嬉しそうにしている女の子の顔を更に舐める。
「あの……」
僕たちが楽しく遊んでいる所に、雅樹君が遠慮がちに声を掛けてきた。
「何?」
彼女はそんな雅樹君を笑顔で見返している。
「髪……と顔、グチャグチャになってるけど」
「へっ……?」
躊躇いがちに告げた雅樹君の言葉に、女の子は髪を触っている。
「あー、本当だ……」
僕の所為だ。ごめんね。でも、さっきよりも今の方が、僕は好きだよ。うん。
「ごめん、うちのタロウが……」
「タロちゃんの所為じゃないから。気にしないで……私もタロちゃんと遊べて嬉しかったし」
謝る雅樹君に女の子はニコニコと答えた。
「だけど……」
「大丈夫、家に帰るとこだったし。気にしないで……それよりも、またタロちゃんに会えないかな?」
女の子は僕を見つめながら、そんな事を言った。
あれ? 僕なの? 雅樹くんに会うんじゃなくて?
「あぁ……毎日、この時間に散歩に出るから、もしかしたら会えるんじゃないかな」
「本当? じゃ、明日も会える?」
雅樹君の言葉に、女の子は必死に訴えている。そんな彼女の様子に、雅樹君も圧倒されたように頷いていた。
「タロちゃん! 明日もまた会おうね」
「わんっ!」
再び抱き締められて嬉しくなった僕は、尻尾を振りながら返事をした。
うん、また会おうね。そして、雅樹君と仲良くなってくれたら僕も嬉しい。
「じゃ……タロウ、行くぞ」
そう言って雅樹君がリードを持つと、女の子が僕から離れた。
「バイバイ、タロちゃん。また、明日ね……加藤君も」
「は? 俺の事、知っているのか」
女の子に名前を呼ばれて、雅樹君は驚いている。
え? 2人共、知り合い?
「うん、隣のクラスの加藤雅樹君。いつも試験で1位か2位でしょ?」
「君は橘さん……だよね?」
「うん、橘更紗……私の事、知ってたんだ?」
雅樹君も女の子……更紗ちゃんを知ってたみたいで、彼女も驚いた表情を浮かべている。
「あぁ……隣のクラスだし」
「あははっ、まさか頭の良い加藤君と、莫迦な私がこんな風に話をするなんて思ってなかった」
更紗ちゃんは笑ってそう言った。
「じゃ、私、帰るね……加藤君、タロちゃん、バイバイ」
更紗ちゃんは僕を撫でると、何度も振り返りながら帰って行った。
翌日から更紗ちゃんは素顔にジャージと言う動きやすい格好で、僕の散歩に付き合ってくれるようになった。
それは凄く嬉しいんだけど、雅樹君との仲はあまり進展してない。
『番の絆』である赤い糸も、あまりにも細すぎて見えたり見えなかったりで僕はハラハラしていた。
「なぁ……かえで、雅樹君と更紗ちゃん、お似合いだと思うんだけど、どうして仲良くなってくれないんだろ」
加藤家のもう1匹の飼い犬である『かえで』にそう訊ねた。
「うーん、私から見ると結構脈ありだと思うんだけど。更紗ちゃん、良い子だしママさんもパパさんも気に入ってるし」
「肝心の雅樹君が気に入らなければ、意味ないだろ」
「まぁまぁ、まずは周りから固めていくのも手よ。それに2人共、お互いの事まだ意識してないみたいだしね」
かえでは呑気にそんな事を言ってるけど、意識してないって……それは問題だよ。
「どうしよう……このまま進展しなかったら、番の絆が……」
「あれ? タロさん、もしかして見えるの?」
驚いた様にかえでが訊ねる。あ、しまった…つい。
「あぁ、見える。ちなみにかえではフィーと番だよ」
「当然! フィー意外とは絶対に嫌だからね」
フィーとは、先日お見合いをしたトイプードルで意気投合したと言う。近々、また会う事になってるそうだ。
「え? それじゃ、雅樹君と更紗ちゃんって……番なの?」
思い出した様に訊ねるかえでに、僕は頷いた。
「うん、多分…間違いないと思うんだけどな」
「そうなんだ、更紗ちゃんなら私、大賛成だよ。すごくいい子だもんね」
尻尾を振りながら言うかえでに、僕は「うん」と返事をした。
さて、どうしたら2人、番になってくれるんだろう。