第2話
橘の言った言葉を本気にした訳じゃないけど、俺は翌日もタロウと一緒に公園に来ていた。
散歩コースを30分程歩いていたが、橘が現れる様子は無い。
「やっぱり、本気じゃないよな……タロウ、帰るか」
そうタロウに話しかけて公園の出入口に向かおうとするが、タロウは踏ん張って動かない。
「タロウ? どうした?」
いつもなら聞き分けの良いタロウのその態度に、俺が訝しげな表情を浮かべた時。
「タロちゃん! やっと見つけたっ」
背後から嬉しそうな声が聞こえ、振り向くと橘が駆けてくる姿が見えた。
「わんっ!」
タロウも尻尾を振りながら、橘を見ている。
「タロちゃんっ」
彼女は駆け寄ってくると、いきなりタロウに抱き着いた。
「良かったー、会えないかと思った」
そう言いながら、タロウの首に顔を埋めている。
俺はその様子を呆気にとられながら見ていた。
「今日もタロちゃん、モフモフしてて可愛いっ」
頬擦りをしながら、その毛を撫でまくっている橘と、されるがままのタロウ。
そんな1人と1匹を前に、俺はその彼女の姿に驚いていた。
誰だよ、これ……いつもの巻き髪、化粧ではなく、髪は頭の天辺でお団子に纏めて顔は素っぴん。服は何故か、上下ジャージと言う格好だった。
「えっ……と、橘…だよな?」
念のためそう訊ねると、彼女がこちらを見上げた。
「そうだけど……どうかした?」
タロウに頬擦りしながら、訝しげに俺を見る。
「って言うか、何かいつもと違いすぎる」
俺の言葉に『あぁ…そっか』と、納得した彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
「タロちゃんを思いっきりモフりたかったから……」
「モフる?」
「うんっ! 私、動物が好きで…特に犬が大好きなのっ。でも家はアパートだから飼えないし、犬を見たら、もう……触りたいし抱きしめたくなるんだけど、人の犬を勝手に触れないでしょ?」
話をしながらも、タロウから離れる気配が無い橘に更に訊ねた。
「それと……その格好は関係あるのか?」
犬が大好きなのと、ジャージを着る事が関係あるとは思えない。
「あるっ! 制服だとタロちゃんと思いっきり遊べないし、髪の毛も邪魔になるっ。それにメイクをしてたらタロちゃんが舐めた時、嫌じゃないかなって……」
そう言った橘の頬を、タロウは『そんな事ないよ』とでも言う様にペロペロと舐めだした。
「やーっ、タロちゃん擽ったい!」
凄く嬉しそうに笑いながら、橘はタロウの身体に抱き着いた。
普段、タロウは家族以外にはそんな行動を取る事が無い。
楽しそうに戯れるタロウと橘を見ながら、俺は彼女へ話し掛けた。
「それなら、向こうにある広場でタロウと遊ぶか? 一応、タロウが好きなボールも持って来たけど」
「遊ぶっ! タロちゃんと遊びたいっ」
俺の言葉に素早く反応した橘は、タロウと一緒に広場の方へと歩き出す。
そんな彼らの後を、俺はただ付いて行った。
橘にボールを手渡すと、俺は近くのベンチに座り橘とタロウが遊ぶのをただ眺めていた。
タロウは彼女が投げたボールを拾って戻って来ると、橘の元へ持って行く。
「タロちゃん、偉い。はいっ、行くよー」
ボールを受け取っては、ポーンと放り投げていく。
そんな事を1時間程繰り返していたけど、いい加減終わる気配が無いので俺は声をかけた。
「もう、そろそろ終わらないか?」
「えっ、あーっ、もうこんな時間っ。ごめんね! つい楽しくて」
俺の言葉に彼女は腕時計を見て、慌てて謝った。
普段学校で見る橘とはあまりにも違うその様子に、俺は思わず笑みを浮かべた。
「何? なんか可笑しい?」
俺が笑っているのを見て、彼女は訝しげにこちらを見た。
「いや、本当に犬が好きなんだな。学校の時とは別人だからさ」
「だって、みんなあんな格好してるし……これは、タロちゃんと遊ぶ為だもの。だから、ほらっ……爪も短く切ってきたの」
そう言って、短く綺麗に切り揃えられた爪を俺の方へ差し出した。
「そんなに好きなんだ……」
彼女の意外な行動に俺は驚きながらも、同じ犬好きとしては嬉しかった。
「これからもタロウと遊んでやって。俺は受験勉強でなかなか構って上げられなくてさ」
「いいのっ?」
「いいよ、親父やお袋が交代で散歩に連れ出してはくれるけど、みんな忙しくてそんなに長い事は遊んであげられないから」
「遊ぶっ……いえっ、遊ばせて下さい。どうせ私は就職組だし、時間はいっぱいあるから」
橘は嬉しそうにそう答えた。
「就職組って、決まったのか?」
「ううん、私なんて何の取り柄も無いから。多分…卒業したらフリーターかなぁ……なんて」
「そうなんだ」
「加藤君は進学組だよね。特進クラスだもん」
タロウの首周りを撫でながら、橘は俺に訊ねた。
「あぁ、一応国立大の獣医学部希望」
「獣医学部……って、獣医さんになりたいの?」
「病気や怪我をした動物を助けたいなって、ずっと思ってたから」
俺の言葉に、橘は真剣な表情で頷いた。
「大丈夫、加藤君ならなれるよ。うんっ、判った。タロちゃんの遊び相手に私なるからっ! 加藤君は安心して受験勉強してていいよ。ねっ、タロちゃん!」
「わんっ」
「はぁ……」
彼女のその有り難い?申し出に俺は曖昧な返事しか出来なかった。
「それじゃ、明日からは私がタロちゃんを遊ばせているから、その間……加藤君は勉強してて。私は思いっきりタロちゃんをもふもふ出来るし、加藤君は勉強出来て一石二鳥だねっ」
そう言って、満足げな笑みを浮かべる橘だった。