十六話と十七話の間くらいの話
結局買って貰ってしまった。
結局このヒモを、持って帰ってきてしまった。
こんなものは下着とは言えない。ただの黒いヒモである。私はドロワーズ派なのでこういう面積の小さい布は着用しない。奥さまの趣味にケチを付けるつもりはないが、私はこんなものを穿くつもりはない。
微塵も無い。
…しかし買って貰ってしまった。奥さまが半ば無理矢理買ったのだが。
だがしかし、だ。
このヒモに張り付いた値札には私の目が飛び出るような値段が表記されていた。
貴族婦人の下着ってのは平気で金貨が飛ぶんだな。布地はこんなに小さいのに。1平米いくらの計算になるんだ?首都の土地値より全然高いんじゃないのか?
奥さまお気に入り、南の街の高級ブランドの大人パンツ。
私はこんなものを穿くつもりは微塵も無いが、意地を張ってタンスの奥底に住まう鰹節虫の餌にするには余りにも勿体無い。金貨というのは大金だ。
そんなことを考えながら、衣装室で一人悶々と黒いヒモと睨めっこをしているのだ。仕事もせずに。
そもそも私は男である。トランクス派であった私はこの姿になっても下着はゆったりしたものを穿きたいとドロワーズ派に落ち着いたのだ。そうだったそうだった。
そう今の私は美少女なのである。剣に願えばいつでも元に戻れるが、そう考えると今の内に経験出来ることはしておいた方がいいのかも、という考えはある。
ドロワーズだって女性下着だ。今更そこを躊躇しても仕方がない。
……………ひょっとしたらかわいいかもしれないし。
そう考えてしまうのはきっと剣の呪いの所為だ。身も心も美少女にされた私は思考を制御できていない。
全く興味が無いといえば嘘になってしまうのだ。
衣装室は私専用に奥さまが空き部屋を当てがってくれたもの。
この部屋で私は今一人きりである。
誰も見てはいない。
……一度だけ、
一度だけ穿いてみようか? とうとうそんな考えに至る。
一度だけ穿いて、一応は使用したという言い訳を立てる。
果たして金貨一枚ほどの価値があるのかはともかく、価値の一部は私に消化される。それならば勿体無いばかりではない。
後は川に落としたとでも考えてタンスの最深部に封印しておこう。二度と陽の目を見ることはない。鰹節虫の餌だ。
「…………よし」
意を決して姿見の前に立った。
服を脱いで、下着も脱いで、改めて鏡を見る。
…………、
思い詰めたように眉根を寄せる金髪の幼女が、裸で黒いヒモを握り締めている。
幼女は今からそのヒモを穿くのだ。絶対誰にも見せられないな。
握り締めたヒモを両手で広げるとその小ささに溜め息が出る。ちゃんと穿けるのかコレ?
いざ足を上げ、まずは私の右足が細い布の輪を通った。うわシルクの肌触りが気持ちいい。そして今度は左足を上げ、同じように黒いシルクに通してみる。と、
うっかりバランスを崩してしまいコロンと床に尻餅をついてしまった。
……なんだこれは。拘束具なのか?
両足を通しただけで身動きが取れなくなってしまった。足が思うように広げられず、…いやシルクの布地はある程度伸縮はしてくれるのだが、脳裏に張り付く値札が無理な扱いを躊躇させるのだ。
うぅ…、鏡に自分の姿が映っているのが見える。裸で床に転がってアラレもないな。
一体自分は何をやっているのか。などと考えてもいまさらどうしようもない。両足はヒモに拘束されたままだ。
ゆっくりと、
寝転がった状態で両足を高く上げ、そのままヒモを穿こうと試みる。
………ふわぁぁぁ、
布地がヒザを越えて太ももに差し掛かるに連れ、シルクが肌を滑って密着が増していく。
真新しい毛布の中へ裸で潜り込むような、何とも言えない心地好さが両足の限定的な部分を刺激して、何だか変な気分だ。
そして太ももの先の、より太い部分。
お尻に差し掛かるところで、止まる。
…………、
ここまでは、比較的容易に穿くことが出来た。
しかしどうやらここから先は、もう少し力を入れなければならなさそうだ。
太ももの根元まで拘束具が上がることで両足が少し自由になった。
一旦立ち上がって鏡を確認してみる。
……とんでもなく挑戦的な絵が映っている。別に条例に喧嘩を売るためにこんなことをしているわけではないというのに。
鏡を向いて正面に立ち、
いまや足の付け根まで上がったヒモの両端を、ガシリと両手で掴んだ。
ぉぉ…伸びるな……。少し手に力を籠めるとみょいんと布地が伸びる。こんな柔な絹の細いヒモがゴムのように伸びて繊維が伸張に抵抗してくる。これがシルクか。あまり力を入れ過ぎるとさすがに破れてしまいそうでやはり怖いが。
これなら尻くらいは収まりそうだな。収まってくれないと困るな。誰が困るんだっけな。
思い切ってヒモを掴んだ両手を持ち上げ、
シルクの布地がお尻を滑る感触。
この肌触りはクセになりそうだ……。
そのままお尻の盛り上がりを越えると、後は布地の伸縮で自動的にフィットしていった。
フィット………、
フィット、
というか、
やだ、
なに、これ、
や、
しめつけられる。
黒いシルクの下着が、
正しく私に装着され、
私のデリケートな部分を、甘く締め付けてくる。
……あっ、ぁ、ゃ、なにこれぇ、
股が真ん中から後ろに、優しい力で引っ張られる。お尻が勝手に上がってしまう。
気付けば内股で前屈み。ただ立っているだけで何だか頼りない。
そして何より、その真ん中、というか、間というか、
ヒモの一番細い部分が、キュッと食い込んで、
不思議な感覚だ。
自分でさえ、直接手で触れることはそうない部分。
鏡を使っても見るのは難しい。
体の外側であるはずなのに、体の内側に侵入されたような、
自分の敏感な部分を無理矢理意識させられる。
私のお尻の間のデリケートな部分に、シルクの肌触りが当たっている。
何とも言えない心地好い感触が、前から後ろまでぴっちりフィットしてしまっている。
少しでも動くと余計に食い込んできて、甘く擦れて、うぅ……、
…………………………ぞくぞくしちゃう。
ひょっとしたら私は今、とんでもないことをしでかしているのかもしれない。
とんでもなくイケナイことをしているのかもしれない。ただパンツを穿いているだけなのに。
………鏡、
ふと見る姿見鏡には、私が映っている。
裸の金髪幼女が黒い下着を一枚着けて信じられない姿だ。身を捻って後姿を見ると背中の傷を隠す長い髪の下で、本当に信じられないことに尻の間に隠れてヒモが見えない。そして尻はひとつも隠されていない。普通逆だろ。尻くらい収まってくれないと困るじゃないか。本当に下着なのかこれは。
私の敏感な部分が心地好い感触に隙間なく包まれて、すごくイケナイ気分だ。
鏡に映る顔が赤い。後ろで食い込むヒモから腰の辺りまでがぞくぞくして、小さな胸に手を当てて心臓の鼓動を強く感じる。
気持ちが高揚して、自分が映る鏡に手を触れるとぶるりと全身が震えた。
世の少なくない女性たちは、例えば奥さまは、こんなものを着けて、こんな気分で人前に立つのか?
信じられない。こんなのまるで変態じゃないか。私には到底マネ出来そうにない。
これはイケナイ。
これ以上、イケナイ。
どうにかなってしまいそうだ。
こんなの…、
こんなの誰かに見られたら、私の心臓は破裂してしまう。
あわわわわ……、
私はコレをただのヒモだと甘く見ていたのかもしれない。
コレはとんでもない代物だ。私ごときが手を出していい物ではなかったのだ。
奥さまには悪いが、やはりタンスの奥底へ仕舞ってもう二度と出さないでおこう。たんとお食べ鰹節虫。
それか出来れば鍵の付いた箱に閉じ込め二度とサルベージ出来ない深い海に沈めてしまうのが良さそうだ。そして遥か未来の氷河期の後、地殻変動で陸に上がった地質の断層から化石のごとく掘り出され遠い古代の遺物として博物館を飾るのだ。永遠に。
………、
……………ん、
……微妙な力で締め付けられて、変なところが刺激されるせいでトイレに行きたくなってしまった。
う…ちょっとヤバいかもしれない。けどこんな格好で外へ出れないな。
とりあえずクローゼットに何か羽織る物が、
「あら~、もう見つかってしまったわね」
…………なんと!クローゼットはミミックだった!
私の時が停止する。
クローゼットの中には貴婦人が待機していた。
「可愛いわよメイス。私の見立てた通りだわ。今度はコルセットとベルトも買わなくちゃ」
「…………奥さまいつからそこに?」
「それはもう最初から!余すところ無くあなたを見守っていたのよ!」
「…………………そうですか」
最初から、か。
クローゼットに隠れていたのだ。私がこの衣装室に入る前に先回りしていたのだろう。
私の行動は全て奥さまに読まれていたというわけだ。やっちまったなぁ。このヒモを購入した時から、私はどうやら奥さまの手の平の上で踊らされていたようだ。
私に落ち度があるとすれば、たとえ美少女であろうとも男の尊厳を忘れてはいけなかったという点か。
これも一つのお約束なのだろう。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
心臓が破裂するくらい、力いっぱい叫んだ。