七話と八話の間くらいの話。
「お前は、才能が無いのぅ」
「…………」
師匠の家にほど近い森の中、的となる巻藁を前にしてそんな言葉を師匠に投げ掛けられる。
僕の手の平から出た火の玉が巻藁を燃やす予定だったのだが、残念ながら火の玉はあさっての方向に飛び森の一本の木に火をつけた。
火は師匠が消してくれたが、僕の頭にはゲンコツが返ってきた。痛い。
才能が無い。
このお爺さんの弟子になってからというもの、毎日そう言われ続けている。
なんていうか、こう、実は僕にはすごい力が眠っていてこの人の教えに従えば秘めたる才能がぱぱっと開花するものだと簡単に考えていたのだが、どうもそういう展開は無さそうだ。
才能が無い。才能が無い。
それはもうわかったよ。いいからどうやったらもっと巧く魔法が使えるのか教えてくれ。
「…今日はもう止めじゃ」
「ま、待ってください! まだ…!」
「今日はここまで。それ以上やると倒れるぞ。魔力の練りが甘いからすぐにバテるのじゃ」
「うぅ…、まだ、僕はまだやれます!」
「こりゃ」
こんどは杖で頭を小突かれる。
亀の仙人が持つような硬い木で出来た杖なのだがかなり痛い。
頭ばっかり…、バカになったらどうするんだ。
「僕ではない、私じゃろうが」
「わ、私はまだ大丈夫です。続きをお願いします!」
「駄目じゃ。フラついておるぞ。魔力切れを起こす前に休め」
ぴしゃりと言われ、取り付く島も無い。
たしかに少しフラフラしているかもしれない。頭痛もするが、それは殴られた所為もあると思う。
魔力切れ。魔力が無くなると人間は死ぬらしい。怖い話だ。
だが人間は生き物なので肉体の限界には痛みという名の危険信号が生じる。死ぬ前にまず気絶して立てなくなるからそうそう命を落とすことは無いとのことだ。
だが、気を失うまで魔法を使うと何日か寝込む破目になる。そうなったら本末転倒だ。気ばかり急いてより大きな遅れを生むことになる。
僕を置いてすたすたと家に戻る師匠。
くそぅ、ここに来てひと月ほど経つが、毎日こんなことの繰り返しだ。
休めと言われてもまだ日は高い。昼食の後に師匠と共に少し昼寝をしたのがついさっきのことだし、横になろうにも全然眠くない。
まあ魔法さえ使わなければ大丈夫だろう。少し頭痛が残る気がするが、体力が尽きたわけではないのだ。
少し森の中を散歩しよう。
街へと続く小道の方なら安全だと言われている。もっとこの世界に慣れておきたい。木々の発するフィトンチッドだかにはリラクゼーション効果が期待できるだろうしね。
この世界にも季節があるようで、木々はほんのり色付き出している。
もうすぐ秋になるのだろう。
○
街へと続く小道は、進んで行くと程なくして広めの街道に当たる。
その街道に沿えば街はすぐだ。といっても用事があるわけではない。
さて、どうしようか。べつに街に行くことを禁止されているわけではないが、特に用事があるわけでもない。
……それに、
………………師匠以外の人に会うのは、まだ怖い。
ま、することもないし、帰るとしよう。
師匠のいるあの家へ。
師匠は大恩ある人だ。師匠がいなければ今頃僕はどうなっていたことかわからない。その師匠が、僕を弟子にして育てている。僕はそれに全力で応えなければいけないのだ。……修行はうまくいっていないし、がんがん頭を小突かれるのは正直むかつくが。
師匠には休めと言われた。寝ろと言われたわけではないが、気分転換も済んだし、やはり帰って大人しく寝るとしよう。
…と、
静かな森の中、空気を裂くような音が聴こえてきた。
重い棒を振り回すような音。まさか魔物じゃあるまいな?
もしそうなら大変だ。急いで師匠に知らせないと。
音は小道から少し外れた森の奥から聴こえてくる。それほど遠くない。移動しているようでもない。
移動していないなら、少し様子を確認していくか。
警戒しながら、ゆっくり音に近づいていく。
お約束のように木の枝を踏んだりなんかしないよう、細心の注意を払ってだ。
少し進むと、森の小さな広場に出た。木々が避けている小さな隙間のような広場だ。
そこに居たのは魔物ではなく、人のようだった。
剣士なのだろう。木製の剣を片手で構え、そこから足運びを交えてぶんぶんと剣を振っている。円を描くように、飛び回るように、ときには上体を反らしたり、足払いや肘打ちなどの体術も駆使して、見えない仮想敵を切り刻んでいく。
さっきから聴こえているこの音はこれだったのだ。
…うわ、人だ。
そう思った。
僕の背中を打つ鞭がチラリと頭を掠めた。
少しでも気を抜けば容赦無く鞭が飛んでくる。あの音が耳に響く。
もちろん街に行けば人なんていくらでもいる。師匠に連れられて何度か行ったこともあるが、それは師匠が一緒にいたから平気だったのだと今自覚した。
落ち着け。僕はもう奴隷じゃない。
鞭なんてどこにも無い。こんなところでいきなり鞭で打たれるわけがない。
そんなわけがないのに、ひょっとしたらあの剣士も、と、
考えたところで初めてその剣士の顔を見た。
…………、
………すごい。
…すごい、美男子だ。
なんだアレ? なにアレ? あんな人間がいるのか? あんな美形が現実に存在するのが信じられない。ハンパねぇな異世界。
モデルとかのレベルですらない。全ての角度から奇跡の一枚が撮れそうな一切のバランスが崩れていない完璧な造形。女性的な印象すら持つのに男性として矛盾していない。神様かなんかが造った像のようだ。
木剣を振るたびに汗が飛び散り、木々の間から射す陽光に照らされてキラキラ光る。汗に濡れた金色の髪もキラキラ光る。僕の目には青年自身がキラキラしているように見える。
師匠に染められた僕の髪色も同じ金髪だが、あれが同じ物だとは到底思えない。
思わず溜め息が漏れる。
鞭の音など、吹き飛んだ。
僕は青年に見蕩れていた。
見蕩れていたのだ。
ハッとする。
なんで僕はこんなとこで、草葉の陰からイケメンに見蕩れているのだ?
いやあんな美術品紛いの顔では仕方がないとも思う。男とか女とか関係なく思わず見蕩れる見事な造形だ。
だがしかし、リア充はすべからく爆発するべきである。
思えばこの幼女の身体になる以前の僕は、元の世界でどのような人間であったか。それを考えるとあんなイケメンには憎悪以外の感情は湧かない。
思い出すよ、初めて好きな子に告白したときのこと。
気持ち悪い、だぜ?
そんな子が僕を笑ったクラスの男子と共に歩く姿を見た日には、自分という存在の意味を見失う気分だ。世界から切り離されたような気分だった。僕は一体何故生きているのか。生きてても死んでても一緒なんじゃないか。そんな気持ちを思い出す。
そうだ。あんなの僕が一番嫌いなタイプの人間じゃないか。きっとあの甘いマスクで数多の婦女子をかどわかし、夜な夜なその柔肌を貪るのだ。妖怪か。
みんな馬鹿だ! 町娘たちも淑女婦人たちも、あんな男に騙されて!
されど僕の言うことになど誰も耳を貸さない。イケメンと僕のどっちを信じる? みんな口を揃えて言うだろう。イケメンになら騙されてもいいと。
そんなことはわかりきっているから、僕は……、
…だが、今の僕はあのときとは違う。若干幼女。顔だってかわいい方なはずだ。悲しくなってくる事実だが。
今の僕は魔法使いの弟子なのである。何も出来なかった頃の僕とは違う。
嫌なことを思い出させてくれたな名も知らぬイケメンよ。今の僕は魔法だって一応は使えるんだぜ。
ここでいますぐ特技の○オナズンで爆発させてやりたいところだが、運がよかったな。今日はMPが足りないみたいだ。
などと考えつつ、イケメンを見やる。
上半身裸で一心に剣を振り続ける青年。肉体はかなり筋肉質なのに無骨な印象は一切無い。ひたすらにしなやかで爽やかだ。イケメンは何をしても絵になるってことか。いちいち腹が立つ。これ以上見ていると目に毒だな。
さっさと帰って寝るとしよう。
そう考えその場を後にしようとすると、ふいにイケメンが剣を振る音が止んだ。何事かと気になって見ると、
犬のような生き物が、そこにいた。
僕の知っている犬とは形が違う。だって見た目は完全に柴犬なのに、後ろ足がバッタだ。…バッタだよおい。気持ち悪っ!
街に出たときこの世界の犬も見たことがあるが、そっちは元の世界の犬とさほど変わらない。だから目の前にいる犬もどきが犬とは違う存在であることはすぐにわかった。
それは、この世界の生き物を混ぜこぜにしたような姿をしている。
魔物。
犬の魔物は、木剣を振るのを止めたイケメンに狙いを定めている。危ない。イケメンは剣士のようだが、持っているのは木剣だ。すぐに逃げた方がいいんじゃないのか?
ど、どうする? 助けに入ろうにも、僕は今魔力が切れている。いやグズグズしている暇はない。自分でどうにも出来ないならせめて人を呼んでくるのだ。師匠!間に合うわけねぇ!
そうこう考えている内に犬の魔物がイケメンに飛び掛った!
ぎゃん!と、
次の瞬間、犬が断末魔を上げた。
イケメンには傷一つも無い。
僕はそれを一部始終見ていた。
飛び掛る犬の魔物が、バッタの足の脚力で一直線にイケメンに迫り、
イケメンはそれをヒラリと避け、すれ違い様、木剣を一閃。
延髄に入った木剣は、犬の魔物の首の骨を叩き割っただろう。
犬はビクビクと痙攣しているが、起き上がる気配は全く無い。すでに絶命している。
一撃だった。
僕は何も出来ずに、口を開けてそれを見ているだけだった。
イケメンは特に何も言わず。犬の死体と木剣と、自分の両手を見て、
よし。
とだけ言って、まっすぐ街の方へ帰ってしまった。
僕は、
終始見蕩れているだけで、
「………………かっこいい」
自分でも気付かないまま、そんなことを呟いてしまっていた。
○
数日後。
今日は師匠と共に街に出る。買い出しの日だ。
師匠は街の人とは折り合いがよくない様で、だからなのかは知らないが師匠の家は町外れの森の中にある。月に何度かこうして買い出しに来るのだ。
道行く人との挨拶も無い。僕は師匠の影に隠れて歩くが、遠目にひそひそと噂されているのを感じる。あまりいい気分ではない。
あのイケメン剣士も当然この街に住んでいるだろう。
ひょっとしたら、あいつも僕を遠目に見て噂しているのかもしれない……。
そんなことを考えつつ、師匠に連れられて酒場に来る。
師匠はお酒が好きなようで、街に来ると必ずこの酒場に寄る。基本的にこの街で酒を手に入れたい場合、師匠はこの酒場を利用するようだ。
まだ日は高いが、テーブルには街のオヤジたちが昼間から酒を嗜んでいる。ろくでもない。
「ああメイスさん。とお嬢ちゃんも一緒だな。いらっしゃい。今日もいつものかい?」
「……うむ、頼む」
師匠は、人に対して最低限のことしか言わない。
僕に魔法を教えるときは少しは饒舌になるのだが、どうやら相当に偏屈のようだ。
「たまには別のを買っていってくれよ。これなんかどうだい?」
「…いや、いい」
「まあそう言わずにさ。メイスさん歳なのにいつもそんな強い酒飲んで、心配なんだよ」
「…………」
酒場のマスターはとてもいい人だ。買い物の短いやり取りの中で、師匠の身体を気にかけている。この人だけは、僕もあまり怖くない。
対する師匠は無愛想なものだ。僕もこの爺さんは少し酒を控えることを覚えた方がいいと思う。
「まぁ無理にとは言わないけどさ」
「あ、じゃ僕が貰います」
「こりゃ!」
せっかくなので僕が貰おうと思ったのだが、頭にゲンコツが降って来た。
親方ぁ!! 空からゲンコツがっ!!
「何度言わせるのじゃ。私、じゃろうが」
「すみません。じゃあそのお酒は私が貰います」
「こりゃ!」
親方ぁ!! 空から杖が降って来た!!
「痛いです師匠」
「酒などお前にはまだ早い」
「お嬢ちゃん酒が好きなのか?」
「…はい、すごく」
「はははは、そいつはいい。でももうちょっと大人になってからだな。嬢ちゃん今いくつだ?」
「…………」
言葉に詰まる。
剣に幼女にされたわけだが明確に年齢を指定されて変えられたわけではない。 小学校低学年以下だとは思うが…、
「あ~ひょっとして歳数えてないのか? …まぁ見た感じ5才くらいか。10年したらまた来な」
む、5才か。
こんなに小さくなってしまったとは。気付けばコナンより年下だバーロー。
というかあと10年と言ったな。この世界では15歳から飲酒が可能なのか。どっちにしろ元の世界に帰るのに10年も掛ける気は無いから、飲もうと思ったら隠れて飲むしかないか。この世界の酒はどんな味がするのだろう。気になる。
「酒は出せないけどよ。いつでも遊びに来るといい。嬢ちゃんくらいの子どももこの辺にゃ結構いるぜ」
「あ、はい。ありがとうございますマスター」
「すまんな。また来る」
マスターに見送られながら酒場をあとにする。
が、とっさに酒場のドアの影に入り身を隠した。
「おっと…、どした?嬢ちゃん」
「何をしとる。早よ行くぞ」
「………」
いる。
酒場前の通り、すぐそこ。
パン屋の前で人と話しているのは、森で見たあのイケメン剣士だ。
とっさに隠れるが、何をしているのだろう?
「…お、……はっはははは! 何だ嬢ちゃんもパン屋のせがれが気になるのか!」
「……………」
パン屋のせがれ? あそこのパン屋の主人の息子ってことか? パン屋に生まれて剣士になるとは、イケメンは大層な向上心もおありのようで。
「あいつはおっ母さんに似て顔がいいからなぁ、仕方ないか。
しかしあいつはどうもハルバードさんとこのお嬢さんに惚れてるみたいだぜ? これがぞっこんみたいで、何人も言い寄られてんのに浮いた話のひとつもねぇんだ」
「…………へぇ」
…ふん。
どうやら夜な夜な柔肌を貪っているわけではないようだが、一途な紳士でも気取っているつもりか。ただの一人も友人の居なかった僕の孤独の十分の一でも味わえばいいのに。というかいっそ死ねばいい。そうだ今日の僕は魔力もある。魔法さえ使えればちょろいもんだぜ。そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる!!
……って、ハルバードさん?
「ロクに友達も作らないし、家も継ぐ気が無いのか剣ばっかり振ってやがる。良い奴なんだけどな」
「え、友達もいないんですか??」
「ふん、わしは先に行くぞ」
師匠が隠れる僕を尻目にさっさと行ってしまう。
それでも酒場の入り口から離れず、一心にパン屋の店先を見つめる。
…そうか、
あいつ、友達いないのか。
…………、
………ざまぁwww
なんだよあいつ、あんな顔して友達のひとりもいないのか。
ちょっと親近感湧いたわ。しかもハルバードさんの娘さんに惚れてるだって? それってフランシスカさんのことだよな? よりによってフランシスカさんか。これは同情を禁じえない。
ハルバードさんはこの街の貴族だ。その長女であるフランシスカさんは身体が弱いらしく、治癒魔術が使える師匠がよく邸に出入りしている。
僕も弟子としてそれに着いて行くわけだが、つい先日の訪問の際に知り合った住み込みのメイドさんに聞くところ、フランシスカさんは近々別の街の貴族と婚約するらしい。
あの大層お顔がよろしいパン屋の息子は、何も知らぬまますでに恋破れている。始まる前から終わってる。ようするにただのピエロである。
踊るピエロの滑稽な姿はひたすら僕の笑いを誘う。やばい。挨拶とかされたら噴出しそうだ。この情報はぜひとも僕だけの秘密にしておかなければ。
「ん、なんだ嬢ちゃん急に嬉しそうだな。何か面白いことでもあるのか?」
「いえ、全然何とも一切面白いことなんて皆無です」
フランシスカさんの婚約の件は関係者以外ではまだ僕しか知らないだろう。つまり彼の恋路を邪魔する者は誰も居ないということだ。
ともすればあの甘いマスクが告白に踏み切るというおもしろ珍イベントが発生するかもしれない。
笑ってやろう。
もしその時が来たら指を差してゲラゲラ笑ってやろう。あの日の僕がそうされたように。
パン屋の長男よ。生まれの不孝を呪うがいい。君はどうやらぼっちのようだが、君のお顔がいけないのだよ。
フフフフ。
ハハハハハハハハ。