小さな姫と誤解と争いの炎
息も絶え絶えになりながら、ようやく俺は学園の門を潜り抜ける。
直ぐに目に飛ぶこむのは、どこぞの映画の庭園か?と思うような色とりどりの花が、中心の噴水の周囲を通路のように綺麗に縁取っており、通路は綺麗なレンガ敷、そこを抜ければ昇降口となる。
映画の一幕の中を、遅刻しないように必死に走り抜ける光景を浮かべ、そんな努力家ではないなと自分の認識を確認しながら、一気に駆け抜ける。
「間にーーハァ、ハッーーあえ!」
昇降口を抜けた瞬間に、ラッパの音が鳴り響き、訓練開始の合図を聞きながら俺はその場にへたりこみ、間に合った事を内心で喜びながら額の汗を拭う。
「ハイハーイ!今日も遅刻者0ですよぉーと……あれ?先輩!?あれ?あ、セーフ?」
「ハァ、ハァ……ああ、ラッパの音と同時に入ったからセーフだ」
片手を上げながらそういうと、声の主はちょこちょこと歩み寄ってくる。
「先輩、今日遅刻したら大変だったよぉー教官が今日の担当だから、先輩死んでたかもね♪」
「そうか、それは良いことを聞いた。悪いが千夏、手を貸してくれ」
そう言って手を差し出すと、両手で俺の手を掴み、一生懸命引っ張る小さな彼女は、何だか微笑ましく見えてしまう。
「ん〜!ん〜〜!先輩!ちょっと、上がらないよぉ?」
「悪かった。千夏の筋トレの為に、多少太ったのがいけなかったようだ」
「えぇ!?そんな事させないでよぉ!!ちぃね、これでもスタイルには……気を……ん〜!つけてる!の!」
微笑ましい努力は、まるで実を結ばない。小さな彼女の周囲には、汗が飛び散るような絵が浮かび、しょうがなく俺は片手を床につき立ち上がると、小さな彼女ーー千夏はようやくホッと息を吐きながら、俺へと満面の笑みを浮かべる。
そんな微笑ましい千夏の体躯は、恐ろしく華奢で小さい。俺より一つ下とは到底思えないような、そんな印象を最初に受けたなと思い出す。
身長差は歴然だ。千夏の頭までの全部をもってしても、俺の胸まであるかないか、俺の身長は割りと低いほうだから千夏がいかに小さいかよく解る。
子供みたいな丸い顔に、一際目立つ大きな目で、くりくりとした愛らしい感じの大きな瞳が俺を見つめ、しかし、両の瞳は片方ずつの色が違う。
虹彩異色症、これは先天性の遺伝等によって通常ならば起きるが、千夏の場合は後天的なものが原因だ。幻想種適用細胞、これのせいで千夏は虹彩異色症になった。
幻想士、これの適性がある者は全てが、虹彩異色症になってしまう。何故そうなるかは、未だに原因が究明されていない。
千夏の左目は赤、右目は淡い水色をしている。柔らかそうな小さな唇は、肌色で、幼い子供のそれと被って見える。
髪型は多少大人みたいに見せる工夫か、ガーリーショートボブで、銀色の髪が千夏の肌色と相まって目を引き、赤い花を模した髪飾りをつけている。
千夏が着ているのは、ほぼ特注品に近い服だ。見たままドレスのような格好。
大人びた感じを出すためか、スカートは多少透けており、ヒラヒラと動く度に揺れ動く。千夏の体躯には、少々大きな胸元を強調するかのように谷間が覗け、真っ黒のドレスに身を包み、足は黒のストッキングに、軍用の黒のロングブーツを身に付けている。
幼い子供の印象を受けながら、それでも歯向かうように大人びた背伸びするような格好で千夏は、その華奢な足を少しだけ前に踏み出し、スカートの合間から黒い紐がチラリと覗き、ガーターベルトをしていることが解る。
「千夏、毎回思うがその格好怒られないんだよな?」
「え?ちぃの服の事?可愛いでしょう〜これね、ゴシックロリータ風のファッションなんだよぉ〜ゴシックバッスルスタイルドレスって言うの!見た目もちょっと大人っぽくて、ちぃのお気に入りなんだ。本当はね、もっと色々したいんだけど、司令官がね、これ以上は認められん!って怒っちゃって……」
司令官もそれは怒るだろう。戦闘になった際に、まさかのドレスで戦う事は無いとは思うが……しかし、千夏の無防備さにこの格好は、危険ではないだろうか?色々な意味で。
「何かね、司令官が言うには、何で黒なんだ!赤か紫にしろ!って、それでちぃ……黒がいいな♪って言ったら、怒っちゃって、これ以上はダメなんだって」
「……そんな理由か?あの人は……色とかそういう問題じゃないと思うんだが」
「ええ!?先輩、色は重要だよぉ?ちぃの外見じゃ、子供扱いされて見てくれないんだもん。先輩、黒が好きだよね?」
千夏がそう言って、俺の顔を覗き込むように前傾の体勢をし、軽く前に踏み出した足から覗くガーターの紐と、胸の谷間がちょうど視線のラインに入り、千夏は無邪気に微笑みながら少しだけ首を傾げる。
「あ、ああ……まあ、好きだな。見飽きてるが、緑とかも好きだな」
真っ直ぐ見ていられずに軽く濁しながら横を向くと、千夏は追従するように視線に入ってきて、俺は困ったように髪をかく。
「エヘヘ、先輩黒が綺麗に見えるし、黒が似合うのが大人みたいに見えるからいいって言ってたもんね。ちぃの黒は……似合いますかぁ?」
「ああ、似合っていると思う。まあ、多少背伸びした感はあるがな。それでも、よく似合ってるよ」
頭に自然と手がいき、優しく撫でながら、千夏は猫のように目を細め、照れたように細い指先で頬をかくと笑ってくれた。
「後は、その無防備な所を注意したほうがいいな。何人かは犠牲になりかねんぞ?」
「それは大丈夫だよぉ!ちぃね、先輩にしかしないから。もしね、他のが来たら……明日の朝日は拝めないと思うな♪」
「……いや、洒落になってないから、やめような?真面目に」
「え〜……先輩に群がりそうな虫とか、私に近寄ってきたハエとか。ああ……そうだった。虫で思い出した、ピンク虫は今日は来るのかなぁ?どうやって料理しようかなぁ?」
不穏な発言をしながら、千夏は俺に背を向け、少し離れた位置でドレスの胸元に手を突っ込むと、一冊のノートとペンが何故か出てきて、それにきちんと何かをメモしているようだ。
「千夏、ちょっとこい」
「ハイハーイ!先輩今行きまーす!何ですか?ご要望ですかぁ?今すぐ脱ぎますかぁ!?」
無言で軽くチョップを繰り出し、千夏の頭部に命中させてから仕舞い忘れたノートを片手で確保し、千夏は頭部を押さえながら涙目で俺を見上げーー
「先輩酷いですよぉ?ちぃこれ以上、小さくなりたくないんですよぉ?って、あれ?無い。無い!」
俺の手の中にあるノートの表紙には、こう書かれていた。
『先輩の全行動99巻』
表紙を無言で破り捨て、中身に目を通す。千夏からは、酷い!人でなし!とブーイングの嵐だが構う事なく中身を目で追っていく。
『〇月×日。今日も先輩は格好いい♪欠伸をしながら、トイレに入ったのは10時55分、出てきたのは11時ぴったり。先輩の後を追いかけ、あれ?何か虫が見える?なにあの馴れ馴れしさ。危険。少しだけ様子をみていると、先輩が手を振って別れたみたい。虫を追いかけていくと、あら?同じ陸上型……まあいい、ここは見逃す。先輩に手を出したら、覚悟だけはしておくように。自宅住所まできちんと把握しておいたからね。住所:〇××』
黙って紙を破り、俺はポケットにしまっていく。
「先輩!返して!本当に返して下さい!」
無視したまま、次のページに目をやり、文面を見ながら、一枚ずつ破り捨てていく。
「鬼!!先輩の鬼畜!!乙女の初めてを食い散らかすなんて……最低だよぉ!!」
「嘘を並べるな嘘を!誤解されたくはない!そして、このノートは作らないと前にも約束したはずだぞ?しかもだ、俺の写真やら俺の行動やらを記載するのは諦めたが……他人を巻き込むな!と、あれほど言っただろうが!千夏。このノートも没収して焼却するからな」
「そ……そんなぁ!せめて、先輩の寝顔第12565番の写真だけでも返して下さい!木漏れ日の中、うたた寝してるいい写真なんですよぉ!?あれだけで、一週間はオカズに困らないんですよぉ?お願いだから、先輩返して」
「いつの間にお前は撮っているんだ?全く、どの写真だか解らんが、どうせネガがあるだろう?今度やったら、千夏のネガごと焼却するからな」
「先輩、酷いです!乙女の楽しみと生活と、涎垂れちゃう日々を全部捨てるんですかぁ!?寝食すら忘れて、写真とかボイスレコーダーとか、ちょっと先輩に言えない小細工を施した、ちぃの行動とかを無かった事にするんですかぁ!」
「言えない小細工ってなんだ?また怪しい事をしたんじゃないだろうな?次にしなければいいだろ?全く、そんなに俺を追いかけても、良いことなど一つもないぞ?」
そんな俺の言葉に、千夏は高速で首を振りながら直ぐにこう返してくる。
「先輩を追いかけるのが、ちぃの楽しみなんです!もうそれこそ、時間が早く進むような感じがしてですね……」
「ああ、もう解った。とりあえず、今後はしないようにしろ。特に、俺の周囲を粉砕するような真似は絶対にやめろ。千夏が軽く捻る程度だとして、そんな事をされた日には死人が出るからな?やめろよ」
「は〜い、わかりましたぁ♪ノートには書き込みません」
「……おい、本当に解ってるのか?証拠すら隠蔽するからなお前は……」
無邪気な笑顔にため息を吐きながら、俺は千夏のノートを手に持ちそのまま下駄箱へと向かうと、俺の後を追いかけるように千夏はゆっくりと歩き出す。
「千夏、訓練いかなくていいのか?いや、そうだった。お前には必要無いんだったな」
「ん〜そうですね。やれること大体やったし、先輩との時間が一番大事ですからねぇ〜」
余裕の表情でそんな事を言いながら、俺は下駄箱の蓋を開け、中から軍用の茶色の革靴を取りだし履き替えると、そんな俺達の後方から鼻歌が聞こえてきた。
誰だ?と思いながら後ろに顔を向けると、ピンクの髪が左右に揺れながら動いているのを確認し、俺は直感的に不味いと思ったのだが、既にその進路を塞ぐように黒のドレスは仁王立ちで立ち塞がっていた。
「なに?」
「今日はちぃの言うこと、聞いてくれたんだ?偉い偉い、してあげようか?」
「……おチビの姫は相変わらずね。はいはい、偉い偉い」
手を振りながら適当にあしらう美紀を見て、安堵の息を吐きながら、俺はゆっくりと立ち上がりーー
「先輩にね。今日……ちぃの初めて捧げたからね」
「……おい、何だその爆弾発言!意味が解らんぞ?」
そんな俺の言葉は、振り向いた美紀の表情からして、聞こえてないと瞬時に理解した。
「だって、先輩。乱暴にちぃの純潔を破って、しかも終わるとすぐに捨てるって言ったじゃないですかぁ〜酷いですよぉ?」
「ああ、確かにそうだが……それはーー」
俺は手に持ったノートを見せながら説明しようと腕を上げかけ、そんな俺を鋭い目付きで睨む美紀と目が合うと、俺はそこで過ちに気付く。
「ちぃコワーイ!あそこにいる、絶壁さんがこっちを睨んでるよぉ〜先輩……ちぃを助けてくれますよね?」
おい、待て。俺を巻き込むな!と声を上げようとして、それは完全に失敗に終わる。
千夏が勢いよく俺の胸に飛び込んできて、慌てて支えようとしたのだが、千夏の体躯に似合わない胸を俺に押しあてたせいで、抱き止める形になりーー
「……零司。今の話は本当?どっちでもいいけど、頷け。テメエ、絶壁とか言ったな?誰がーー」
「ま、待て美紀!ここは不味いとおも……」
美紀は、ほんの少し右足を前に出すと、呼吸を整えるように目を閉じ、左足が床を蹴るのと同時に開く。
「絶壁だってんだぁ!?」
その言葉を言いながら、瞬間的に俺の髪が風に煽られる。
「……バーカ、虫らしく燃えちゃえ」
千夏のそんな声を聞きながら、目の前には拳を構えた美紀の姿が見えーー
「爆発」
見計らったように、千夏は指で銃を作ると、目の前で拳を振り抜こうとする美紀目掛け銃を撃つ仕草をすると、俺の目の前で炎が炸裂した