真面目と天然とあだ名
地表からおよそ20メートル下れば、巨大な都市の入り口が見えてくる。
元々は、神之門という市がここにあったのだが、それはたったの3時間で地表から姿を消してしまった。
第一種幻想種遭遇日、ファーストタッチと呼ばれたあの日、一つの市が完全に消滅してしまったのだ。
後に残ったのは、市を中心とした……直径15キロに及ぶ爆発の傷痕。地表から20メートルほどしか抉れなかったのが、奇跡と言える傷痕がそこに残った。
そんな馬鹿げた日、俺は生き残ったらしい。
生き残ったらしいと言うのは、俺が目覚めた時には既に別の場所にいたせいだ。後から聞いたが、俺は爆心地の中心で倒れていたそうだ。
死傷者の数は未だに把握されておらず、遺骨も、身元も、その全てが消え失せたという事実のみが残っている。そんな状況下の中で、俺だけはーー右腕の骨折及び全身裂傷に軽度の打撲。
怪我の程度は知れているし、意識も記憶もある上に、俺と共に残っていたというある物を、起きて少ししてから見せてもらったのを覚えている。
痛む体に、心がへし折れそうな状態で俺はそれを見ながら、こう呟いていたそうだ。
「……極限幻想を殺す兵器」
ほぼ半分以上が無くなり、ガラクタ同然の鉄屑の塊が、ただそこに鎮座した状態で、それは置かれていたのを良く覚えている。
俺はそれに支えを借りて近づくと、まだ残っていたコックピットハッチの場所を口頭で説明し、それからの作業は早かった。様々な人がそれを弄り、コックピット内部を調べ、構造や装甲、手当たり次第にやれる事を駆使し、鉄屑同然のそれはまるで宝物のように扱われ、それを怪我が治るまでの期間俺は眺め続けていたんだ。
目が覚めてから質疑応答を何度も繰り返し、あの兵器は何処から来たのか?あの時の破壊を行ったのは何か?どうやって生き残ったのか?
答えられる範囲で、俺はそれに答えていた。正直な所、俺はどうやって生き残ったのかを知らない。
あの兵器がどうやって来たのかも覚えてない。あの破壊についても、映像写真を見せてもらってどうしてそうなったのかを問われ、俺は答えられなかった。
俺が覚えている事は、あの兵器の扱いかたと、殺戮と恐怖と、喰われていた光景。何も出来なかったこと、無力感。
体の検査も当然のようにされ、色々な機械も取りつけられ、血液も何度も検査された。
精神科医の人の事は今でも思い出す。催眠で記憶を掘り起こすようにしようと思ったのも、あの人が居なければ俺はしなかったと思う。子供の俺には、保護権限が適用されていたようで、強制執行は人道的に反するとの旨を、軍部及び政府、国民が人の感情の部分で守ってくれたそうだ。
有り難い話だが、俺は結局生き延びたにも関わらず、何も貢献出来ない自分に焦っていたのも、理由としてあったのだと思う。
結果は、俺が泣きながら目覚めたという不甲斐なさ。叶の名を叫びながら、何も出来ない自分を呪った叫びだけを、あの人は優しく優しく受け止めたのを今でも思い出す。
怪我が完治したのは、一月くらい立った頃だった。あの兵器に関する事で聞きたい事があると、一人の人物が尋ねて来たのはそんな時のことだった。
そう、それはこんな風に、普通の挨拶のような仕方で来たのだ。
「やあ、新藤君。皆さんお揃いで来ましたか」
そう言って、一人の人物がゆっくりと俺達へと近付いてきた。
背が高く、司令官と同じかそれより上だが華奢な体躯で、ヒョロヒョロとした印象の男は、何故か茶色の髪をアフロヘアーにしている。
赤色のサングラスへと、何かの拍子に折れてしまいそうな細い腕を動かし、指で軽く上に持ち上げ取り外すと、柔和な表情を見せながら、顔付きに合わない小さな目が瞬きをする。
黒い瞳が小さな目に対して、少し大きい印象を受け、細くて長い口元は笑みを浮かべる。
顎には無精髭が産毛みたく生え、狐のように細長い輪郭の顎は少しだけ下がる。
「お待ちしてました。この黒田、特待生さんに逢うのを楽しみにしていましてね。ああ、いえ、女性だからじゃないんで安心してください」
長身の背が会釈をするように折れ、着ているダボダボの薄汚れた抹茶色のトレンチコートが、風に煽られ宙に浮き上がり、黒のドレスシャツの襟元から、緩く垂れ下がる水色の小さなネクタイは胸元辺りより下の位置でブラブラと不規則に揺れていた。
パッと見ただけで解る茶色の使い古した革靴に、黒のズボンを履き、何処かにいるような間違った安いホストみたいな印象の彼は、会釈から直るとサングラスをシャツの胸元に入れ、彼女に対して手を差し出す。
「黒田主任、ご足労だったな。その手の癖さえなければ、貴様の評価は高いのだがな?どう思う黒田?」
「おや?何のことでしょうか?鳴瀬司令、黒田は普通に接したいと思っているんですが?ええ、それはもうーーその隙間に黒田のを、こんにちは〜させたい位には仲良くしたいんですがね?」
「ほう?やってみるか?貴様のが顔を出して挨拶しようものなら、9ミリが挨拶した口を吹き飛ばすが、覚悟はいいんだろうな?」
その言葉を聞き想像したのだろう。彼ーー主任は首をぎこちなく振りながら、手をオバサンのように軽く前後させ、お茶目な冗談ですよ。なんて言いながらいつものように、トレンチコートのポケットからプラスチックの箱を取り出す。
ハッカパイプと書かれたそれを開け、口に運びながら主任は、彼女へと片手を差し出すとこう言った。
「適性検査の紙を貰えますか?それから、貴女の連絡先を添えてくれたら、天国に連れていってあげますので、よければこのペンで書きなぐって下さい」
そう言って腕を一度振ると、いつの間に出したのか、指にボールペンを挟んで彼女へと向けている。
彼女は冷ややか笑みを浮かべながら、素直に紙を手渡す。いや、それは語弊がある。紙を手に置くと、彼女は瞬間的に後ろに跳んだ。
大きく後退した彼女は、大股で俺の背に隠れるように移動し、主任と俺は視線が交わり、仕方なく俺は口を開く。
「主任、初対面なんだから少しは考えてくれ。むしろ、そのボールペンマジックを俺に教えろ」
「新藤君、君は誤解をしてますよ。初対面だからこそ、人は輝くんですよ?それとですね、これは黒田の必殺技なので、教える事は出来ませんね。仕方ない、今日はハルちゃんから連絡が来る日なので、また次の機会を楽しみにしています」
「結局誰かいるんじゃねえか……主任、その癖は真面目に考えたほうがいいと思うぞ」
そんなやり取りをしていると、俺の肩に誰かが手を置きーー
「零司。ちょっとヤバイかも……急がないと時間がないかも」
美紀にそう言われ、慌てたように街中の時計を探るべく顔を動かしていると、それに気付いたのか、司令官は優雅にブレザーの胸ポケットから懐中時計を取り出すと、俺達に対して笑みを浮かべながら宣告をする。
「ああ……後15分で9時か。急げばまだ間に合うだろう。黒田、特待生ついてこい」
司令官はそう言って歩き出し、主任は肩をすくめてから後を追いかけ、彼女は俺達を見て、司令官の背に顔を向けてから困ったような表情を浮かべ、美紀がそんな彼女に対してこう言った。
「大尉、我々は急ぎ行かなくては行けません。また後で大尉が望んだように、逢うことも出来ます」
「はい、わかりました。あの、ありがとうございました。また後で逢えますよね?」
「大尉がそれを望むのならば、我々は必ず逢えます。それじゃあ……あ!失礼しました!また後程」
美紀が敬礼をし、俺も敬礼をしてから、二人で駆け出す。その背に対して、声が投げ掛けられた。
「あ!待ってください!中尉!あ、すみません!零司中尉!」
呼び止められ二人とも立ち止まり、俺の名前を呼ばれたので何事かと思いながら、振り向く。
「はい!大尉殿何ですか!?」
自然と大きくなる声には理由があった。頭上をヘリが、低空飛行をしていたせいだ。
「あの!さっきから気になっていたんですが!いいですか〜!?……の!!……が!!」
先に訓練を始めたのであろう、今日は市街地強襲作戦の訓練のようだ。プロペラの音が大き過ぎて、彼女の声は所々聞こえないまま、会話を続ける事になった。
「大尉殿!何ですか!?すみません!よく聞き取れなくて!!」
「ですから〜!!零司中尉の!!……です!」
「すみません!聞こえません!!もっと大きな声でお願いします!」
プロペラの音はなりやまない。聞こえない会話をずっとしていられるほど、時間もなかった。
「で・す・か・ら!!零司中尉の〜!!……んが!!……てるんです!!」
「大尉殿!!申し訳ありませんが!!我々は行かなくてはいけません!あと、一度だけお答え下さい!!」
「ですから!!零司中尉の!!ズボンのチャックが!!!全開なんです!!しかも!!何故か大きくなってて!気になっていたんです!きこえましたか!?」
……はて?へりのおとがなくなったようだ。
頭上を見上げれば、そこはヘリポートと併設されたビルがあり、どうやら部隊の降下を確認後、そこに着陸するための訓練だったようでーー
「……ぶ、くく……零司、災難だったな。いや、すまない。まさか、朝からこんな……くくく」
司令官は、彼女が来ないから再度迎えに来たようで、横にいた主任は両手を合わせ、俺に向かって合掌をする始末。
「はぁ……零司。先に行くから、じゃあね」
「あ、おい!美紀?みきさ〜ん!?ちょっと待て!これは、どうすれば」
「零司中尉〜ちゃんとチャックは閉めて下さいね〜私だって、言うの恥ずかしいんですよ!」
公開処刑をやってのけた人の台詞とは思えない陽気さに、俺は思考回路が停止し、ゆっくりとその場でチャックを閉めていく。
「駄目だ。いかんな……笑いが……くくく」
司令官は笑いを噛み殺しながら、何とか彼女へと合図をし、彼女はお辞儀をしながら三人で歩き出す。
「……行くか。行くしかないよな」
俺は一人で走り出す。時間もない、急がないといけなかった。
後に解ったことだがこの日、声が聞こえたほぼ全員が、俺の事をこう呼んでいたそうだ。
『チャックマン』