彼が見たおとぎ話の始まり
この世界は全てが終わっている。
いや、終わっているというのは語弊がある。現に、世界は稼働しているし、俺はこうして存在している。
ただ、俺はこの世界は終わっていると思う。何かが変わる訳でも無く、日々を生き抜いて、こうして思考を繰り返す。
さて、一つ疑問を投げかけてみたい。
幻想を信じているか?いや、頭のおかしい奴だと思われるのは当然だ。
当然だが、同時にこうも言いたい。幻想は、実在する。
それを願い、信じ、俺はそれを受け入れた。
だからだろうか?幻想なんてものに、夢や希望、そんなものを願ってしまった。
願いを叶えたら、それは幸せになると信じていたのだ。
世界は終わっている。俺は、俺の世界を、現実を、終わっていると思う。
幻想を夢見て、幻想を食い尽くす。
要するに、俺はそんな存在。それだけが、俺の存在意義。
故にーー俺には、選択肢は残されていない。
幻想を覆す。幻想を打倒する。幻想を破壊する。
つまり、こう言うことだ。俺は幻想を、自身が描いた夢を、壊したいのさ。
ああ、だからだろうな。
俺はーー正義の味方には、なれない。
何かを救い、誰かに賞賛される事も、英雄なんてものにもなれない。
人を愛することも、誰かを幸せにすることも、人として当たり前の事をしたいと願っていても、俺にはそれは不可能なんだ。
それでも、叶えたい願いがあった。何かを失い、何かを助け、何かが変わるのなら……俺はそれを願う。
願って、それが叶い、そうしたらーー俺は、救われると思っている。
そんなおとぎ話。終わった世界に、小さな希望を残せたら、俺はそれで良いと思う。
それが、幻想だと解っていても、俺には、それが正解だと言うことだ。
そう、あの日ーー
あの瞬間に、俺はーー叶えたいと思ったのだから。
今でも思い出す。鮮明に覚えている。
あれは、まだ俺が、正義の味方って奴を頑なに信じていた時の事だ。
まだ小さく幼い俺は、ガタガタと揺れる大きなバスに乗っていたんだ……それが、俺のおとぎ話の始まり。
「皆様、後乗車ありがとうございます。次の目的地は、『神之門』、神之門中心街。お降りの際は、お荷物並びに……」
車内のアナウンスを聞きながら、窓から覗く景色をただ見ていた。
代わり映えの無い、普通の景色。車が走り、綺麗に舗装された歩道を、色々な人達が通る。
それを眺めていると、不意に視界が真っ暗になった。
「だ〜れだ?」
「……あえて答えない」
あ、それ酷いよ!なんて、いつもの聞き慣れた声に合わせて、俺は横を向く。
直ぐ目の前に、綺麗なピンクの唇があった。
慌てたように、顔を上に向けるが、それに合わせて唐突に何かが俺に倒れて来て……慌てて掴んだ。と言うか、抱きしめたそれは、微かな桃の匂いと、柔らかな感触、そしてーー
「キャ!!ちょっと……レイちゃん、いきなり動くのは禁止だよ?」
「いや、ごめん。少し慌てたせいだな」
そう言いながら、引き倒してしまった彼女を起こそうと力を込めるが、何故か彼女はビクッと体を震わせる。
「ちょっと!!レイちゃん!?まだそこはダメだよ……私、気持ちの整理が……」
「ん??何大きな声出してるんだ?訳わかんないこと言ってないで、手伝うからちゃんと起きてくれ」
「え!?起きーーレイちゃん、そんなに我慢出来なかったの?……ごめんね、私気付かなくて」
何故か神妙な顔で謝られ、俺は首を捻りながら、彼女を見つめる。
栗色の長い髪が腰の辺りまでかかっていて、淡いピンクのワンピースを着ているせいか、妙に髪が綺麗に見える。神妙な表情をしているが、綺麗に整った顔のパーツのせいか、可愛いと素直に思い、俺は軽く目を細める。
背丈は、俺より、彼女の方が大きい。俺は大体155センチほど、彼女は158センチはある。
紫の綺麗な瞳と愛嬌のある大きな目、ピンクの小さな唇。
「……あのね、レイちゃん。そんなにジッと見られると、恥ずかしいよ?」
「あ、ああ、ごめん。可愛いなと思ってた。叶、そろそろ起きてくれないか?俺もちょっと体勢的に厳しいかな」
彼女ーー叶に対して俺はそう言い、照れ隠しのように顔を背ける。バスの座席の赤いシートを視界に映しながら、叶がゆっくりと俺から離れていくのを感じ、顔を叶へと向けると、自分の頬を触りながら、困ったように微笑んでこう言った。
「レイちゃん、ごめんね。私、引っ張られてレイちゃんの方に倒れちゃって、しかも……私、ここが小さいから」
叶は、困ったような、悲しい顔をしながら自分の胸に手を置き、俺はそれを困惑しながら見つめ、何故か自分の手を視界へと持っていき叶と俺の手を交互に何度か見ながら、俺はそこでようやく気付く。
「あ!そういうことか……叶、俺が悪かった。その、事故だ!これは事故だから!な?」
「レイちゃん……ちょっと声が大きいよ?ほら、私達見られてるし、笑われてるから、少しは大人しくしよ?ね?」
叶が言ったように、バスに乗っていた人達の微かな笑い声が聞こえ、俺は髪をかきながら、座席に深く腰をかけ、叶も同じく座席に座り直す。
「まあ〜まあ〜微笑ましい事だこと」
「お婆ちゃん、どうして笑ってるの?あ、ママも笑ってるし、何で?」
「仲が良いって言うのはね、それだけで良いことなの。いずれ、解るからね」
そんな会話が後ろの席から聞こえてきて、俺は頬をかきながら照れたように、窓から見える外の景色を眺めようと顔を向ける。
快晴の青空、通りを行き交う人々、信号待ちの車、照りつける夏の日差し。
「レイちゃん、もうすぐ着くよ。ほら、お母さん達が待ってる」
「ん?もうそんな所まで来たんだ?じゃあ、叶降りよう」
叶に言われて、正面にバス停が見える事に気づき、俺は降車ボタンを押そうと座席から立ち上がる。
止めろ!!触るな!!
俺の中で、何かが叫ぶ。その声に抗うかのように、指は降車ボタンを押し込む。
逃げろ!!せめて叶を!!
叫ぶ声は止まらない。それなのに、笑った叶の顔を見ながら、俺は一緒に歩き出す。
ああ……止めろ。もう止めてくれ!!もう、嫌だ!!
バスのドアが開き、ゆっくりと外に足を踏み出す。後ろには叶が続き、バス停の前で待っていた人達がこっちに歩き出す。
来るな!!来るな!!止めろ!!
「じゃあね、レイちゃん。また、明日ね」
笑顔の叶に手を振り、俺は振り向く。帰り道は別々だから、俺は振り向いてしまったんだ。
夢ならいい。それでいい。俺には、訳がわからなかったから。それはそうだ、何せーー
「な……んだ?これ?」
視界に映ったのは、巨大な赤い炎。
それが、目の前にあった大きく巨大なビルを飲み込み、次に来るのは衝撃。
次いで、ガラスが砕け、車が吹き飛び、俺は遅れて後ろへと吹き飛ばされる。
物凄い速さ、宙に浮くという体験がこれほど凄いとは思っていなかった。
何の抵抗も、何が起きたかも解らないまま、俺は宙を滑り、そのまま通路の固いレンガ敷に背中から叩き落とされる。
熱い。感じたのはこれ。次に地面を滑る事による痛みがきて、それが終われば、フラフラと立ち上がる。
何で立てたかは、覚えていない。ただ、そうしないといけないと思ったんじゃないかと思う。
逃げまどう人々の姿が見え、通路や道路に倒れたままの人の姿が見え、俺はクラクラとする視界を頭を振りながら、前へと進ませる。
俺達が乗っていたバスは、ほんの少し進んだ場所にあった。ひっくり返り、真ん中から半分にへし折れ、割れた窓から手が覗いていた。
フラフラと歩みより、俺はその手を掴む。
ズルリーーと音がした。腕がそのまま道路に落ち、よく解らない肉とか何かの繊維とか、血とかが、俺の頬を染め、触って確かめる。
生暖かい。臭い、ネバネバする。視界が地面に倒れ、ああ、俺が倒れたんだと気付くまで、しばらくかかったと思う。
立ち上がり、直ぐに嘔吐した。ヘドを吐き出し、苦しさで涙を流しながら、俺はバスの残骸を片手で押しやり、フラフラと歩き出す。
正直、頭の中が一杯だったんじゃないかと思う。この異常に、脳が、思考が、俺の感情とかが、全て破棄されたんだと思う。
進んで、歩みを止めなかった俺は、ようやく元のバス停まで辿り着いた。
燃え盛る炎の熱気と、煙と、それからーー
「グチャ……クチャクチャ……ギュル?」
「た……じゅ……げ」
俺は、そこで見てしまった。有り得ない、そうだ、これは夢だ。
「にげ……きちゃ……ダメだよ」
何かが言っている。俺に対して何かが、語りかける。
「ひ!!ひぎゃ!?あーー」
喰われている。語りかけた何かが目の前にいるその元凶に、喰われている。
それは、とても巨大。首は長く、瞳は金色、切れ目で、恐ろしく巨大な口を閉口している。
口が動く度に覗く牙は、鋭く、長い。全身が真っ赤な鱗に覆われ、巨大な2対の翼がゆっくりと動く。
それだけで、俺の体は宙に浮き上がりそうになるが、地面を踏みしめ、それでも足りないために、道路に身を伏せる。
閉口が終わり、ゴクリと飲み込む音がして、俺は顔を上げる。
トゲのような、鉄球みたいな先端をした長い尻尾が、後ろにある建物を叩きつけ、その衝撃により、俺は道路へと倒れ込み、それでも、何とか立ち上がる。
グラグラと揺れる地面と、視界のブレを、ゆっくりと前に進ませ、俺は、そこで見たんだ。
淡いピンクのワンピース、それが視界に映り、栗色の長い髪が揺れる。
「叶……無事か!?」
歩みは、速かった。叫んだ事により、巨大なアイツに見つかるとかそう言う事すら、どうでも良かった。
「叶!?ーーッ!?!?あ、アァアアァアア!!!」
闇雲に叫びながら、俺は駆け出す。
淡いピンクのワンピース、笑顔。困った顔、また明日と言った。
そんな彼女は、ひっくり返った車の上にいた。
衣服は完全に剥ぎ取られていた。綺麗な体が見え、触れたあの柔らかな胸は、それはとっても綺麗でーー
揺れる髪は、衣服は、その車の真下にあった。
「ギュ?ギュギュ!?」
喰われている。腕や足が無い。頭は綺麗に無い。
ああ、畜生。お前らか?お前らなのか?
叶の周囲には、あのデカイ奴を俺達みたいな人のサイズにした小さな赤いのが、三匹いる。
「離れろ!!吐き出せ!!あいつをーー!!」
拳を握る。効くわけ無い。アイツラにこんな物は通用しない。
「返せ!!」
解ってる。そんなことは、解ってる。当たり前だ。
叶の真横にいた赤いのに、拳を叩きつける。
怯んだ様子もなければ、俺の方が大きく後退する羽目になった。
「ギュギュ!!ギャ!?」
後退した俺に向かい、殴られた奴が突進してくる。その速度は異常。
車と同じか、それ以上の速度に、俺は思いっきり真横に跳ぶしか無く、ギリギリのタイミングで突進を避けたが、目の前には既に……
「ギャ!!」
死ぬ。俺も喰われる。あ、もう一匹来た。
冷静な頭の中は、それは妙に冴えていた。死ぬ間際だからだろうか?
咄嗟に、俺は地面へと体を沈め、一気に前へと回る。
これにより、奴等の牙や爪は俺の体の上スレスレを移動。
生き延びた。そう思った瞬間、俺は吹き飛ぶ。視界に映るのは、最初に突進してきた奴の口と牙。
「ぐ……畜生」
終わった。これで、完全に俺は終わった。
「叶、ごめん。俺ーー何も出来なかった」
懺悔の言葉を口にしながら、俺は目を閉じる。
喰われる。喰われる。いや、違う。
「ーー起きなさいって!!零司!!」
その声に、俺は目を開けた