第五章 9
緻密な動きはできなかった。
大脳にナイフが突き刺さったままだ。
腕も足も力任せに振り回すしかできない。グリズリー並みのパワーは、当たれば人間の首を根こそぎ吹き飛ばす力があるが、当たらなければ意味が無い。
眼の前のクジはほとんど無傷だ。
ダイバースーツに似た対デーモン用のスーツはぼろぼろだったが、そんなものをいくら切り裂いたところで、クジの動きは鈍らない。クジも承知で好きにさせているようだ。スーツが裂かれるほどのぎりぎりの距離でドウマの爪を躱し、躱しざまにナイフでドウマの腱をどこかしら断っていく。だが――
断たれた腱は数瞬で再生した。
傷は瞬時に塞がり、流れた血は皮膚から体内に吸収されていく。
すでに何十回と繰り返されたクジの攻撃とドウマの再生。
《化け物が。死ぬのか。貴様――》
合成ヴォイスでなければ、うんざりした響きが混ざったかもしれない。
こちらが知りたい。と言いたい。
そんなことよりも。
シアはどうなった。どこにいる。
焦燥感のせいで、戦闘に集中できない。
右手を背中に回した。肝臓に刺さったナイフが邪魔だ。
ナイフが残っているため、未だに大量の血が溢れてくる。
クジが動いた。懐に入って来る。左腕で薙ぎ払う。クジの身体が沈みざま回転した。居合のように右のナイフを振り抜いて来る。脇腹から十二指腸に入ったナイフは、骨に当たる前に止まった。運動エネルギィの消失を嫌ったクジがナイフから手を放したのだ。眼の前でクジの回転運動が続いている。左手には逆手に握った別のナイフ。軌道は首の位置。
首を落とされても、もはや死ぬとは思わなかったが、さすがに首が飛べば、動けなくなるに違いない。
背中に回した右腕を戻しざま首とナイフの間に入れた。
斬、と音をたてて、肘から先が飛んだ。
獣のように吠えながら、左手でクジに掴みかかった。
クジの身体が離れる。左手は空を切った。バランスが崩れ、左手を屋上の床についた。
右眼だけでクジを睨みつける。
頭の奥が痛い。ナイフが刺さっているせいではない。
『闇』が解放されたがっている。それを抑えているからだ。
主従契約がドウマの中で蠢いている。
主人を奪われた下僕が、子供のように感情を爆発させようとしている。
落ち着け。
子供に言うように己に言う。ろくにコントロールもできそうにないこんな状況で、『闇』を解放したらどうなる。半径三キロ圏内を灰に変える気か。その中にシアがいないとは限らない。自分の手で主人を殺す気か。
嫌だ。
ドウマの中の下僕が子供のように叫ぶ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
思考が子供のように空回りする。大脳のナイフのせいか。
シアを失いたくない。
ユミエのように――
心臓に痛みが走った。心臓のナイフはすでに無いというのに。
――哀しいと心が凍る。
(……ソウシュウ)
――孫の名前をあげよう。わしの孫として生きなさい。
意識が過去に落ちようとしている。
血を失い過ぎたか。




