第三章 7
シアはベッドに寝ていた。
来訪を告げるチャイムが玄関で鳴る。
眼を開けて、身を起こした。リビングに出て、玄関のモニターを確認する。
映っているのは男のひとだった。人数はひとり。
「……夜分に申し訳ありません」
インターホンから男のひとの声が流れる。
「警察です。重要参考人を探しております。この男を――」
男のひとはオーマの写真をモニターに掲げた。
「見かけなかったでしょうか」
「シアは知らない」
「おひとりですか?」
「うん」
「申し訳ありませんが、部屋の中を見せていただいてもよろしいでしょうか」
「いいよ」
シアは開錠キーを押した。
玄関のドアが横にスライドして開いた。男のひとが入ってくる。シアを見て、驚いたような表情を浮かべる。下着同然の姿だから、というのはシアにはわからない。
「入ってよかったですか?」
「どうして?」
見せてって言ったのに?――シアは首を傾げる。
入れてくれ、と言っておきながら、入ってよかったのか、と訊かれる理由がシアにはわからない。
男のひとは首を振ると、手近にあったバスルームのドアを開けた。
全ての部屋を確認して男のひとがリビングに入ってくる。シアはソファに腰を下ろしていた。手の中に漆黒のサングラスを持っている。
「男物のサングラスですね。誰の物ですか?」
「知らない」
「知らない? 重要参考人の物では?」
「知らない」
「協力していただきたいのですが」
男のひとの左手がソファの背もたれに乗せられた。シアは男のひとの貌を見上げた。
「シアは何も知らない」
「ふざけるな」
男のひとの右手がシアの肩を掴み、ソファに押し倒した。男のひとの左膝がシアの足の間に割って入る。シアは男のひとの貌を見つめた。貌の色が土のよう。
はあ、と男のひとが息を吐いた。
そのまま空気を吸おうとしない。
眼を閉じている。
ソファの背もたれにあった左手が、手探りでシアの首を掴んだ。
くう、とシアの喉が鳴った。
男のひとの眼が開いた。白目が血のように赤い。眼はどこを見ているのか、虚ろだった。瞳孔が完全に開いているのだが、そこまでの知識はシアには無い。
にちゃあ――と口が開いた。だらりと垂れた涎まみれの舌がシアの貌に向かって降りてくる。シアは無言でそれを見つめた。
ひゅう、と風が鳴った。
ベランダに通じる窓が開いた、というのは後から気づいた。
漆黒の風がシアの身体の上から男のひとの身体を引き剥がした。
風が実体化する。黒い髪。雨に濡れた黒いスーツ。
誰だかわかった。
オーマの右手が男のひとの貌を掴み、右腕の力だけで男のひとの身体を持ち上げていた。
男のひとの手が動き、手探りでオーマの頭を掴もうとする。
オーマの手の中で、ぐしゃり、と音が聴こえた。
男のひとの身体が落下する。シアの位置からだとオーマの背中が邪魔をして、男のひとがどうなったか見ることができない。
「オーマ?」
ソファの上でシアは口を開いた。
オーマの背中がぴくりと反応した。
でも、振り返ろうとしない。
「……シア。おれに命令しろ」
背中を向けたまま、オーマが言った。
「命令?」
「ゾンビを始末して、マンションを護れと言え」
オーマの背中を見つめ、シアはソファの上で身体を起こした。
息を吸って、命令を告げる。
ゾンビを倒してマンションをまもって
オーマの背中から力が抜けた。
息を吐いたのだとシアは気づいた。
「オーマ?」
声をかけると、オーマはゆっくりと身体を回した。雨に濡れた前髪の下で、漆黒の眼が深い闇と化している。
「端末――貸してくれ」
シアが端末を渡すと、オーマはインターホンに近づいた。
端末とインターホンを操作してから、端末を口許に近づけた。
「……ターニャ。おれだ。シアの端末からマンションの管理システムを支配してくれ。……ゾンビが発生した。……ああ。出入り口の封鎖を頼む。誰も外に出すな。……いや。部屋は外側だけロックしてくれ。どれだけ内部に侵入されたかわからない――」
その声を聞きながら、シアは首を巡らした。
先ほどまでオーマが立っていた場所に移動する。
そこには何も無かった。
床に黒い染みだけが残っている。
シアは跪いた。手を伸ばすと、指の先で染みのように見えた部分がぼろりと崩れた。
床下の断熱材が見える。そこにも黒い染み。
「触るな」
端末を切ってオーマが言った。肩越しにシアを見ている。闇のような眼は変わらない。
「これなあに?」
「塵と灰だ」
オーマはインターホンを操作した。全館放送に切り替える。
《……マンションにゾンビが発生した。助かりたかったら部屋から出るな。出てくる者はゾンビと見做して始末する。繰り返す――》
インターホンをOFFにして、オーマは端末をシアに放り投げた。
「行ってくる。部屋から出るなよ。ここで――そうだな、歌でも歌っていてくれ」
「歌?」
「全館放送で。何かあればわかる」
「ん――」
シアが頷くのを見て、オーマは玄関に足を向けた。その背中に、
「オーマ――」
シアは声をかけた。オーマが首だけ巡らしてシアを見る。
生きて帰って
シアにキスして
「なんだ、その命令――」
オーマが苦笑を浮かべた。オーマの眼にあった闇が薄れる。
受諾した
ふ、と笑って、オーマが言った。




